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Fehlen world ‐欠ける世界‐  作者: 長野晃輝
第一章 シンジツ
6/22

Ⅵ 欠落と改変

 夢を見ている。

 初めての欠落で消えてしまったあの女の子。その子の夢。

 暖かい笑顔がかわいい子だ。

 家が隣で、年も同じで、物心付く前(と言ってもその頃物心があったかどうか分からない)から一緒に遊んでいた。

 僕は子供ながらにその子を意識していて、たまにいたずらして泣かせてしまったりしていた。けど、いつも最後には仲直りして、暖かい笑顔を僕にくれた。

 時折、僕は見たくなる。

 今はもうない、彼女の笑顔を。



 甘い匂いがする。

 書架で感じた匂いと同じだ。

「……泣いていますね」

「まさか本当にウサギなのか?」

「私の分析が間違っているとでも?」

「偶にとちるくせに、って!止めろ!そんなにギュウギュウ閉めたら本が傷むやろうが!」

「……何してるんですか?」

 起き上ったら女の子が図鑑クラスの暑さの本を革ベルトで思いっきり締めているというレアなシュチュエーションに出くわしました。

「おう!起きたか兄ちゃん。悪いけど助けてくんない?」

「必要ありませんよ。黙って刑を執行させてください」

 帰りたい。

 無表情なまま本を踏みつけているエイナさんを見ていて、心からそう思いました。


「見苦しいところをお見せしました。すみません」

 慇懃っぽく言うエイナさんを見ながら「ハハハ」と乾いた笑みを浮かべる。

「あんがとう。お前さん口は悪いが、やっぱ良い奴だ。根暗っぽいけどな」

 僕はエルを脇に抱えていた。あまりにも可哀そうと思ったので救出したのだけど、

「エイナさん、お風呂を借りていい?」

「どうぞ。ここを出て左へ一直線です」

「まてーぃ!!俺様抱えたまま水気のある場所へ行く気か!!」

 ばたばたと暴れるので、お風呂を諦める。

 改めてエイナさんを見る。

 黒いワンピースのような服を着ている。どことなく近寄りがたい雰囲気はあるものの、可愛い娘であるのは確かだ。

 むしろその雰囲気がミステリアスな魅力を放っているといえる。

 その彼女の左目は、今は黒い。

「どうしました?直樹さん」

「ううん。なんでもないよ」

「お前さん、エイナに手を出したら承知しないよ?」

「エイナさん、トイレはどこですか?」

「廊下を左に行って、三つ目の扉にあります」

「さっきより悪化している!?ちょ、おま!」

 何だかムカついたのでエルをいじめて解消する。

 ストレスは溜めるべきではないよね。



 時刻を聞くと午前三時だという。

 僕、今日どんだけ寝てるんだろう?

 パタパタとスリッパを鳴らしてエイナさんは僕の数歩前を歩いていた。どこか子供っぽくて微笑ましい。

「何をにやけているんだよ。お前さん」

 はっとして頬のあたりを触る。

「……やましいことでも考えてたんですか?」

 振り向きもせず冷たく言い放つエイナさん。うん。なんていうか、オーラが怖い。

「全くの誤解だよ」

 おっさんはいらないことしか言わないな。お仕置きにベルトの穴一つ分締めてあげよう。

「ちょ、本は伸縮せんぞ!」

 黙らせるためにもう一つ分締める。

(ギブギブギブ!!)

 大人しくなったので開放する。エルへの対処法が見つかった。

「では何を考えてたのですか?」

 と聞かれても……。答えに窮する。さすがに「子供っぽくてつい頬が緩みました」と言うわけにもいかないしな。

「その、僕他人の家に泊まったことがなくて、それで何気に初めてだな~って思ってただけなんだけど」

「?それが楽しいのですか?」

「うん。まあね」

「そうなんですか」

 嘘を言ったつもりはないけど、そう簡単に信じられると微妙に罪悪感を覚える。

「え~と、エイナさんは一人でこの屋敷に住んでいるんですか?」

 なぜか敬語を使ってしまう。やっぱりこの娘、話しかけにくいよ。

「一人ではありませんよ。エルさんがいます」

 エルは一人とカウントされるのだろうか?

「……ふふふ」

 堪えきれずに漏れたという感じの小さな笑声が聞こえた。見ると少し肩が震えている。そんなに面白いこと言ったかな?

「どうしたの?」

「ごめんなさい。まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなくて」

 振り向いた彼女の笑顔は本当に嬉しそうで、

 暖かい、気がした。

「どうして?結構気になると思うけど」

 動揺を気取られないように会話を続ける。

「だって今日あれだけ(・・・・・・)のことがあったっていうのに、そんな普通のことを聞いてくるとは思わなかったんですよ」

 うぐ、確かに。僕ってそういう大きなことよりも、小さいことを気にすることが多いような気がする。細かい人間なのかな。

 そう少しショックを受けていたのだけど、僕は意図せず微笑んでいた。

 彼女が本当に楽しそうなので、それを曇らせるようなことはしたくなかったんだ。




 エイナさんが向かった先はバルコニーだった。

 少し肌寒い気もするけど、気持ちいい涼風が吹きぬける。こういうのは嫌いじゃない。

「ここからの景色は好きなんですよ」

 手すりに寄りながら、エイナさんは微笑んでいた。

 僕は人ひとり分の間をとりながら彼女の横に立つ。

 深夜と早朝の境界、この時間では街を照らす人工の光はほとんどない。

 自然の光だけがこの闇を照らしていた。

「うん。僕も好きだよ。今みたいな時間だと、特別綺麗だね」

「そうですね。でも、今の時期だと昼間はこの山の深緑が見ものだと思いますけど」

「それは考え付かなかったよ」

 僕は空しか見ていなかった。暗い街を照らすこの空を。

 でも彼女は空じゃなく、この山の緑にも目を遣れた。それが僕らの違いなんだろう。

「……そろそろ本題に行きませんか?」

 少し目を伏せながら放たれたその言葉に、僕は安堵感を覚えていた。

 ようやくそこに行ける。

 僕はきっと自分ではその言葉を言えなかった。

 それは僕がこの娘との会話を楽しんでいたからかもしれない。

 でも、女の子ばかりにリードさせていては申し訳ない。

「じゃあ、まず君は何者なの?目が青くて、それを見るたびに僕が眠ったのはどうしてなの?」

「私は、あなたの言う欠落を正すことができる存在です」

 僕は思い出す。欠落は起きてから1週間以内に、元に戻ることがある。どういった条件で戻るのか、僕には見当もつかなかったけど、

「その存在は記録者(リギスター)と呼ばれています」

記録者(リギスター)?」

「不安定な世界を記録することによって確定する者だといいます」

 記録とはどういうことだろう。

 不安定な世界は分かる。僕が言う欠落が起きるこの世界ということだろう。

「記録とは?」

「……うまく説明できません。記録は私ではなくエルさんが行うものです。私はその補助をするだけです。家計簿をつけるときに暗算ではやりづらいですよね。私は電卓みたいなものですよ」

 うすうす感づいていたことだけど彼女の例えは少しわかりにくい。あと、的を射ていないことが多い気もする。

「つまりこういうことだ」

 僕の困惑を察したのか脇に抱えたエルが話し始める。

「俺様が世界の記録をするためにはエイナの目を借りる必要があるんだ」

「目を借りる?」

「そう。どうもお前さんは俺様の本体がこの本だと誤解しているようだが、俺様は精神生命体に近しい存在だ。だから質量としての本体はない。物質に関与するためには俺様は幽霊みたいに取り憑かないとならなねぇ。今はこの本に取り憑いているだけなんだよ」

 そうか、おっさんは幽霊だったのか。と僕なりの解釈で全てを終わらせて流す。この人|(?)の話は微妙に難しい。

「目を借りるっていうのは視界を同調させるってことだ。俺様はその視界に映したものを記録することができる。正確には視角情報を文章情報に置き換えて……」

「ごめんなさい。わからないです」

 諦めました。

「えーとだな。この本、こいつには1月前から今日までの間にエイナが見た光景が文字情報として載っている。俺様がこの本にそれを書き込んだというわけだ。これが世界を記録するってことだ」

 ……よくわからないような、わかったような、イマイチはっきりしない。

 少し首を捻ったが質問はしなかった。

「わかったか?なら、続けるぞ。俺様たちがそんなことをするのはお前さんの言う欠落が起こらないようにするためだ。俺様たちはその欠落のことを改変(フューレン)(Fehlen)と呼んでいる」

改変(フューレン)?」

「そう。過去を変えることを表している」

「あの、僕が一般論を言うのも何なんですけど、過去を変えることなんてできるんですか?タイムマシンでも使えばできるのかも知れませけど」

 僕の脳裏に某ネコ型ロボットや、車型タイムマシン等のタイムマシンが浮かび上がる。あの欠落がそんなもので起きているとは思えないんだけどな。

「タイムマシンね」

 そんな僕に少し皮肉気な笑い声が聞こえた。

「タイムマシン等による時空移動を伴う過去改変はパラドクスを発生させる故に、成り立たねえ。因果の関係がおかしくなるからな」

 僕は困り果ててエイナさんに助けを求めるように視線を移す。

 ……コクリコクリ。この娘、退屈すぎて眠かったのか立ったまま首だけで船を漕いでるよ。

 唯一の味方がまさかの戦線離脱したため僕は仕方なく言おう。

「どういうことか説明を」

 自分の無学をさらけ出すようでなんだか気恥ずかしいやら、腹立たしいやら。

「例えば、お前さんがタイムマシンを使って過去の自分を殺したとする。それで現代に戻るとお前さんが死んだ世界になっているはずなんだが、それだとお前さんは過去に死んでいるんだから、現代のお前さんが過去に行くことはありえないだろ?

 それじゃお前さんは殺されない。しかし、死んでいる。そんなわけわかんない状況に陥っちまうわけだ。これをタイムトラベルパラドクスという。

 つまり原因と結果の関係が矛盾しちまう」

 ふむ。難しいな。その理論を考えた人は普段から難しいことばかりを考えてきたに違いない。人生楽しんでいたのだろうか?(まあ、僕が言えたことではないかもしれないが)

「これに対して改変(フューレン)は過去に赴く必要がない。というよりもこの世界では時間というものが確固とした存在じゃない。現代にいながら過去の情報を改変できる困った世界なんだよ」

「時間が確固としていないとは?」

「過去を変えることは普通できないよな。でもこの世界(・・・・)の常識は違う。この世界(・・・・)では普通に過去を変えることができる。条件さえそろえば誰だって過去を変えることができる。

 それがこの世界の時間がちゃんとしたものじゃないっていう何よりの証明じゃないのか?」

 なんだか問題な発言があったように聞こえたが、僕の関心はそんなところには惹かれなかった。

「……誰でも?改変(フューレン)は誰でもできるものなの?」

「そう。誰でも(・・・)。お前さんだろうが、お前さんの知り合いだろうが、他人だろうが、エイナだろうが、誰でも」


 つまり、僕が今まで体験した欠落は誰かが過去を変えたために起きたということなのか。

 夏の日にあの女の子が消えたのも。

 中学の入学式の日に両親がとうの昔に死んだことになっていたのも。

 僕が今高校で転入生として、少し距離を置かれているのも。

 誰かが望んで改変フューレンしたというのか。

 僕は自分の中からドス黒い何かが溢れ出してくるのを感じた。それは尽きることなく、次第に僕を飲み込んでいく。どこか懐かしい、内側から張り裂けそうなこの感情。それは……。


 ぎゅ、と何か柔らかいものが手を包んできた。

 あったかい。ノスタルジックなその温かさはより懐かしいもので、黒い感情は嘘のように霧散していた。

「エイナさん?」

「……はい?」

 どうして手をと聞きたかったが、

「その、……何でもないです」

 この手の温かさを長く感じていたくて、僕は閉口してしまった。

「?そうですか?」

 少し首を捻った彼女はどこか眠そうな顔で、僕を見続ける。

 ぎゅう。とより強く握りしめられる。

 僕は迷った末、少しだけ強く、壊れないように握り返した。

「青いね~。少年」

 どこか楽しそうに笑うエルの声なんて聞こえなかった。

 ただこの手の温かさだけが僕の心を占めていたのだ。



 満足したように鷹揚に頷くと、エイナさんは一人屋敷内へと戻って行った。

「……ハア~~~~~~。何だったんだろう?」

 長い溜め息を吐いてから、僕は手すりに背中を付けてへなへな~と座り込んでしまった。

「ぐうう。目の前で青春されて、俺様胸焼け気味」

 悶えるようにバタバタと暴れる図鑑を見ながら思う。

「おっさんの目はどこにあるんでしょう。死ねばいいのに。ページの上下の端だけ全部折って閉じたら真ん中だけ浮くようにしてあげましょうか?」

「思考駄々漏れ!!兄ちゃんヤバいぐらい毒吐いてるよ!!」

 僕はそのままぎゃぁぎゃぁ騒ぐエルを無視して包まれた手を見る。

 そこには彼女の温もりが残っているような気がした。

「初々しいやね」

「……ところで、過去を変える条件って何ですか?」

 エルが漏らした一言は無視して、僕はさっき聞けなかったことを尋ねた。

「それは明日にしようや。あいつ(エイナ)も眠たかったみたいだし」

 確かに眠そうだった。それもそうか。

 今は午前3時。コンビニ店員ぐらいしか起きていない時間帯だ。

 僕はしょっちゅう眠っていたせいで然程眠気は感じないが、それに付き合っていた彼女は限界だったのか。

 僕は苦笑いして、

「僕ももうひと眠りします」

「おう、廊下に入ってすぐ手前の部屋が客用の寝室だ」

 その言葉を聞いてバルコニーを出る。

「って!!俺様置いてくの!?ねえ!ちょっと待てよー!」

 エルを放置して客室へ向かう。

 ……夜露で濡れて湿気ればいいのに。


 今回は普段より多めの内容ですがいかがでしたでしょうか?

 今後は毎週月曜日の更新を予定しております。

 今後ともよろしくお願いします。


 次回も増量予定です。

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