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Fehlen world ‐欠ける世界‐  作者: 長野晃輝
第二章 ニチジョウ
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アリスⅢ 調律者の仕事


 僕の両親は二人とも実業家で、二人で会社を経営していたらしい。

 らしいというのは僕も詳しくは知らないからだ。親戚筋からそういう話を聞いた程度だから詳細なことは僕には覚えがない。

 ただ、二人が楽しそうに仕事をしていたことは覚えている。

 いつも忙しそうだったけど、二人は笑っていた。

 家を出る時も、帰ってきた時も、たまに家族そろって食事の時も仕事の話で盛り上がっていた。

 そんな二人だから僕に構うことができなかった。

 でも、寂しいとか感じる前に、僕は初めての改変ヒューレンを経験していた。

 僕はそのことで頭がいっぱいだった。

 当然だけど、周りがそんな現象を理解してくれるはずない。だけど僕はまだそれを知らなかった。両親と、もう存在しない幼馴染の女の子の話をする僕との間にはすれ違いが生じていた。

 単純に僕が親に向かって「どうしてわかってくれないの!?」と一方的に怒っていただけなんだけどね。二人とも僕の話を子供の空想話とでも思っていたんだろう。

 結果として僕は、「もう二人なんて知らないから!」とへそを曲げていた。

 両親が突然欠落したのは、そんな時だ。


 ある朝、僕はいつものように目を覚ました。

 その日はいつにも増して家が静かに感じた。

 両親が朝起きた時にはもう出勤しているという状況は、昔から少なくなかった。でも、僕は胸騒ぎを覚えて、すぐに起き出した。

 すぐに違和感に気付いた。

 そこは確かに僕の家だったのだけど、でも明らかに足りないものがあった。

 廊下に置かれていた、父が趣味で集めていた映画のパンフレットが入ったケース。母のお気に入りだった薄紫のシオンの花。二人が出張や旅行先で撮ってきた写真。

 それらは全て消えていた。

 目に映ったのは記憶よりも薄汚れた壁や、広い廊下だった。

 僕は家を探し回った。

 あの子が消えた時と同じ……。

 そんな予感が、幼い僕の胸を圧迫していた。

 両親の寝室の和室に飛び込み、僕はその事実を知った。

 不動の事実としてそれが置かれていたのだ。


 二人の遺影が飾られた、その仏壇が嫌でも目に映ったのだから。


 それから僕は祖父母や親戚、近所の人たちに話を聞いた。

 どうやら僕の両親は、僕が五歳の頃に出張先の海外で交通事故に巻き込まれて亡くなったらしい。

 違う。そういう風に改変されてしまったのだ。

 僕は確かに、前の夜に二人と一緒に久々の食事をしたのだから。その記憶が残っていたのだから。

 捜したってどこにもいない。分かっていても僕は二人を探した。

 公園や、よく買い物に行っていた商店街。二人がこっそりデートの時に使っていた映画館。

 どこに行っても二人はおらず、僕は最後に二人の会社を訪れようとしていた。

 幼い僕は街を走り回っていたせいで足をパンパンに腫らして、疲労で息も絶え絶えだった。それでも僕は走った。そこに二人がいてくれると信じて、二人がいた証明である会社があることを信じて。

 街の東側にあったはずのその会社へ辿り着いた時、僕は驚愕のあまり立ち尽くした。

 いや、それは安堵だったのかもしれない。

 その会社は変わらずにそこにあった。

 冷静に考えれば両親はあの女の子のようにいなかったことにはなっていない。両親は欠落によって数年前に死んだことにされたのだ。二人が死ぬ前から存在していた会社は消えることはなかったのだ。

 でも、当時の僕はそれに気が付いていなかった。

 僕は全身の力が抜けてしまい、膝を折った。

 でも、ここにも父さんと母さんはいない。分かっていた。

 泣かないように唇を噛んだ。

 苦い鉄の味と痛みで涙は出なかった。

「おや? 君は緋島さんのところの……」

 その時会社から誰かが出てきて、僕に声を掛けた。

 見覚えのある顔だったが、誰か思い出せず僕はその人を凝視する。

 黒縁メガネを掛けた知性的な雰囲気の男性だった。年は僕の両親と変わらないぐらいか。もっとも幼い僕にとっては大人と言う以上の認識はなかったのだろうけど。

 彼は少し目線を外して、僕に話しかけた。

「息子さんだったね……。お久しぶり」

「……どうも」

 僕は頷き挨拶を返した。

「どうしたのかな? 今日は」

 酷く重い口調だった。

「いえ……、その……」

 どう説明すればいいのか分からず、僕は閉口してしまう。

 説明したところで誰にも理解できないのだから、する必要なんてない。

 諦めて帰ろうと思った僕にその人が声を掛けた。

「お父さんとお母さんならいないよ?」

「はい。知ってます」

「「……」」

 二人して沈黙した。

 今思えばおかしな会話だ。

 その人は麦野大河むぎのたいがさん。僕の両親の元部下だった人だ。



「……」

 アリスは僕の話を黙って聞いてくれた。

 彼女は仏壇の両親の写真を見つめた。

「あの写真もいつ撮ったのか知らないんだ。事故の前の日に二人が記念にって僕に撮らせたみたいなんだけど、そんなの覚えてないし……」

 僕はなるべく明るい口調で話した。

 なんていうかさ、空気が重いじゃん! 大気圧が実際に重さを持ったみたい空気じゃん! 押し潰されそうなんだよ! こんな空気にいつまでも耐えられる訳ないし、早くいつも通りに話したいんだ。

 しかし、僕のこの行動は逆効果だったらしく、アリスはさらに表情を硬くし、口も開かなくなっていた。

「……何か甘いものでも飲む?」

「……いただきます」

 苦し紛れの提案だったけど、彼女はすぐにそれに乗ってくれた。

 僕は立ち上がって台所へ向かう。

 えーっと、何を作ろうかな。紅茶でもいいんだけど、ミルクティーも捨てがたい。

 悩んでうーんと唸っていると、ふと昔の事を思い出した、

 それは消えてしまった幼馴染の少女との思いで。

 夏でも冬でも、あの子はココアを作ってくれた。

 辛い事や寂しい思いをしたとき、あの子の作ったココアを飲むと少し心が晴れたように思えた。

 僕は気付かない内に微笑んでしまっていた。

 うん。ココアがいい。あの子みたいにうまく作れるかは分からないけど。

 氷を二、三個入れて程よく冷やしたアイスココア。ちょっと濃い目に作っておくと氷を入れても大丈夫だ。

 二人分作って、僕の分を味見がてら少し飲んだ。

 苦笑いが出た。

 あの子のココアには程遠い。一体どういう風にあの子はココアを作っていたのだろうか。

 ココアを持って台所を出て、居間のアリスに手渡した。

 アリスはしばらく薄いチョコレート色をしたココアを見つめて、おずおずと口元へ運び、コップを傾けた。

「おいしい」

 驚いたように目を丸めるアリスに僕はまたしても苦笑する。

 あの子には届かないけど、僕もアリスの心を晴らすことができたのだろうか。

 そのまま二人無言でココアを飲んでいた。

 さっきまでとは違い、空気が少し軽い。ココアのほのかに甘い香りも一役買っているのだろうか。

 コップを空にしたアリスはコップを机に置いてから口を開いた。

「直樹さんは……、その……改変をどう思っていますか?」

 ちらちらと僕を見るアリスは、何だか慎重に言葉を選んでいるようだった。

「う~ん。今まではホント迷惑な現象だなって思ってたよ」

 勝手に人の世界を変えていく。過去さえも信じることができなくなってしまった。

 でもそれは数週間前までだ。

「でも、今回の出来事があってからは大分変ったよ」

「変わった?」

「うん。

 今までは誰がどうやって起こしてるのか分からなかったからね。天災と同じような感じで捉えてた。諦めるしかないんだと思ってたんだ。

 だけど今は違う。改変の事をちゃんと学んだからね。誰かが本気で今を変えたいと願った結果だと思ってる。認められることじゃないと思うけど、でも一概に否定していいものでもない。だから余計に厄介だよね。良いことじゃないけど悪いことでもないって感じかな」

 アリスはちょっと首を捻った。思うまま言葉を繰り話したせいか、ちょっと分かり難かったみたいだ。

「ごめん分かり難かった?」

「えっと……ワタシが聞きたかったのはもっと具体的な事です」

「具体的?」

 アリスは少し逡巡するように視線を迷わせた。

「例えば……、直樹さんの両親を消した改変をどう思いますか?」

「……」

 僕は言葉に窮してしまった。

 初めてに近い改変ほど、いろんな感情があって、一言では説明できない。

「……いろいろ思ってるよ。一言じゃ言えないぐらい。でも、一番は、受け入れられてないってことかな」

「受け入れられてない……」

 彼女は静かに僕の言葉を復唱した。それには何か意味があるんだろうけど、僕にはよくわからなかった。

「今も、夜寝て目が覚めたら、父さんと母さんと一緒に暮らしているんじゃないかって思うことがあるくらい。でも、そんなことはないんだけどね」

 どれだけの夜を過ごして、どれだけの朝を迎えても、彼らは戻ってこない。僕は一人で朝食を作って一人で食べるだけだ。

「……じゃあ、その上で質問します。直樹さんはその改変者を恨んでいますか?」

「……」

 また答え難いことを聞いてくる。

 アリスはさっきまで逸らしていた眼を僕に向けた。

 翡翠のように美しい緑の瞳は、卑怯なくらい真っ直ぐだった。

「恨んでる……だろうね。多分。うん。僕は両親を欠落させた改変者を恨んでる。絶対に許せないほどに」

 そう言いながらも僕の心は穏やかだった。

 何故だろうと僕は考えた。でも、答えを見つける前にアリスの様子がなんだかおかしいことに気が付いた。

「アリス? どうかしたの?」

 ずっと僕を見つめていた瞳が少し潤んでいた。

「いえ、……直樹さんが改変者を恨むことは当然だと思います。だから、ワタシ直樹さんに嫌われても仕方ないんですね」

 はい?

 矢継ぎ早にアリスは僕に言葉を投げかける。

「あ、アリス?」

「いいんです。ワタシは全然気にしないんですけど、直樹さんが嫌なら仕方ないですもん。でもそれでワタシの使命を放り出すわけにはいかないんです。だから、思う存分恨んでください! さあどうぞ!」

「いや、どうぞって言われても……」

 正直まだ何のことを言ってるのか理解できてないし。

「アリス……、僕がどうして君を恨まなきゃならないの? よくわからないんだけど?」

「ワタシの仕事が……、改変者を救うことなんです」

 改変者を救う?

「改変者は記憶を、……自分が世界を改変したという記憶を持っています。それが原因で苦しむ人もいるんです」

 例えば人を消してしまった改変者たち。本心から現実を変えたいと思ったがゆえに、彼らはそれから時間が経過した後に、罪悪感を覚えることがあるらしい。

「ワタシは……、ワタシたち調律者はその記憶を消すことができます。そうやって改変者を救うことが使命なんです」

 酷く申し訳なさそうに彼女はそう呟いた。

 悲壮感すら漂う彼女の様子に僕は『使命』というその言葉のリアルな重みを感じた。

 彼女は、彼女たちはそんな使命を背負っている。

「貴方を苦しめた人を、ワタシは救うんです」

 そういうと彼女はまた顔を伏せてしまった。

 それは親の敵の味方になるようなものなのだろう。

 あまり、というか全く自覚なかったけど。

「ほら、ワタシの事、……き、キライになったでしょ?」

 考え込んでいたのをアリスは勘違いしたようだった。

 彼女は膝の上で拳を握って、肩を震わせていた。

 それを見ていると、心に空いた穴に風が吹き抜けるようにひどく冷たく、切なくなった。

 いつもより小さく、触れれば壊れてしまいそうな少女に僕は微笑みかけた。

「アリス、僕が君を嫌うはずないじゃないか」

「う、嘘です……」

「嘘じゃないよ」

 言いながら形のいい頭を撫でる。

「アリスは僕の大切な友達だから。君たちと一緒なら改変の事を考えずに、ずっと笑っていられるから、僕は君を嫌うはずないよ」

「でも……、でもぉ……」

 顔を上げた彼女は目端に大粒の涙を溜めていた。



 う~ん。どうすれば彼女に信じてもらえるんだろう。

 いや、方法はあるけど……。

 きっとそれをしても彼女は喜ばない。

 信じてもらえるかもしれないけど、それ以上につらいところを見せてしまう。

 それに、本当ならもう傷つかないであろうあの人・・・も苦しませてしまう。

 僕自身も、それで救われるわけじゃない。

 みんなを傷つけてしまいそうで、怖かった。

 でも、僕にはこの方法しか浮かばない。

 情けない話だ。



「アリス、ちょっと一緒に来てくれないかな?」

 唐突に僕はそう提案した。

 彼女はハンカチを取り出して、涙を拭いた後、鼻をティッシュで静かにかんでから、頷いた。

 それを見届けてから僕は携帯を取り出して、メモリから長く使ってなかった連絡先を呼び出した。

 昔、あの欠落が起きるまで、両親が経営していた会社の番号だ。

「……スン。どこへ連絡しているんですか?」

 まだ鼻がぐずぐずしているのか、小さく鼻を鳴らしてアリスは問いかけた。

「僕の両親を消した人のところだよ」

 アリスが息を呑むのが分かった。

 何か言う前に僕は彼女の手を握った。

 それは彼女が反対しそうな気がして、強引にでもいいから連れて行きたかったからだ。

「……」

 彼女は何も言わずに僕に連れられてくれていた。

 もしかしたら、と僕はつないだ手の温かさを感じながら思う。

 僕は彼女に勇気を貰いたかったのかもしれない。

 僕はこれから、僕の両親の敵を赦しに行くのだから……。

 電話が繋がった。


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