Ⅺ 調律者
アリスを連れて僕はエイナさんの屋敷に来ていた。
「相も変わらず大きい屋敷ですう~」
ちなみにのんびり口調を何故か継続中。
そういえば自分からこの家に入るのは二回目だけど、前は森川さんを負ぶっていたし、この屋敷をよく見ていなかった。
屋敷というか本当に一人で生活しているのだろうか?と思わせる大きさだ。地上三階、地下はあるのか知らないけど、とにかくその屋敷は大きい。一軒家で三階もあれば十分すぎると思う。
また、近所の子供が幽霊屋敷というだけあって、想像通り蔦が外壁に絡んでいた。ついでに言うとその外壁も雨風で所々ひびが入り、汚れも酷かった。
「ワタシ、この家苦手なんです」
元の口調に戻ったアリスがギュッと腕にしがみつく。
「確かに怖いよね。僕もお化け屋敷とかは入れないよ」
というより行ったことないんだよね。遊園地とか。修学旅行は熱出して休んだし。……泣けてきた。
「あの~、しばらくこのまま握ってていいですか?」
上目遣いで頼むのは反則だと思う。
「ど、どうぞ」
何でこんな小さな子に敬語を使うのだろうと思いながら、しがみつく少女の柔らかい手の感触にドギマギする僕。ちなみに僕はロリコンではない事をここに宣言しておく。
「……うぅ」
本気で怖がってる。
中は綺麗だし、人も住んでいるんだけど。さっきはあわせて怖いと言ったけど、その実特に何も思わない。ちょっと怖さが分からない。
「とにかく中に入ろうよ。いつまでもこうしている訳にはいかないよね」
震えながらアリスは頷いた。
(そんなに怖いのかな?)
実はまだ門の手前だったりする。
ギギギッと錆びた鉄の音で、アリスはビックとその場で跳ねた。
「驚きすぎだよ」
「だ、だってぇ~」
情けない声を上げるアリスは見た目相応に可愛い。
僕は苦笑しながら、門の中に入り、びくびくしているアリスに沿ってゆっくりと歩いて玄関まで辿り着いた。
ええっと、呼び鈴は、
「ああ、このライオンの口の中にあったんだっけ」
趣味の悪い、人の顔ぐらいの大きさのライオンが右側の壁についていて、大きく開いたその口にこの家の呼び鈴があるのだ。
変だなと思いながらも呼び鈴を鳴らそうと指を伸ばそうと、
「あのう……、指入れても大丈夫でしょうか?」
おずおずと話しかけるアリスを見つめて、何がと問いかける。
「だって入れた瞬間、ガブッ!て食いつかれるんじゃないんですか!!」
そんなことがあるはずがない。と思ったがかわいらしいことを言うものだと頭を撫でる。
アリスは平らで撫でやすい頭をしている。それに性格も子供っぽい。まるで頭を撫でられるために生まれてきたような娘だ。(どんな娘だ)
彼女を見たまま僕は指を入れようとすると、
ガチャっとノブを回す音が聞こえた。
二人して固まったまま、見ていると大きめな扉がゆっくりと開かれた。
「……」
出てきたのは黒い双眸のエイナさん。彼女の本日の服装はジーンズにTシャツ、その上にノースリーブの黒い上着を着ていた。スレンダーな彼女の体つきがよく出ていて、似合っている。ちょっとかっこいい気がする。
そんな彼女の顔つきが無表情から不機嫌に変わる。といっても少し唇が斜め下に曲がっただけだけど。
「アリス……」
「おひゃ!!」
またまた思いっきり舌を噛んだらしく、蹲って涙を堪えるアリス。
今思えば駅で会った時も舌を噛んだから泣いていたのかもしれない。そういえば本を買い忘れた。特に欲しいものがあるわけではないのでいいんだけどね。
「思ったより早く来たのね」
「ははははふぇふ」
「何を言っているのか分からないから、無理して話さなくていい」
対応に慣れているね。二人は付き合い長いのだろうか。
「お前さんにはつくづく迷惑かけるな」
おっさんの声が聞こえたと思って何かないか探してみたけど、本も何もないので多分エイナさんのカラコンなんだろう。
ところで、あまりにも二人が険悪そうなのでここは僕がどうにかするべきなのかな?
「こんにちは。エイナさん」
取り敢えずしてなかった挨拶をしてみた。
「……」
凍りつきそうなアイスアイズで睨まれました。
「エイナ、挨拶はきちんと返すものだろう?」
おっさんが親のように言って聴かす。
「……こんにちは。直樹さん」
もんのすごく不満そうに睨みあげるエイナさん。
「……」
「……」
そしてまた睨み合いを開始する二人の少女。物凄く居心地が悪いんだけど、僕何かしました?
「ま、ここで立ち話もなんだ。上がってこいよ」
エルの一声に渋々といった苦い表情で玄関を開いて、エイナさんは僕らを招き入れた。
そして僕らは何故か客室ではなく、書架に通された。
「お茶などはでませんよ」
アリスを睨むエイナさんが言う。
「お構いなく」
やや緊張気味にアリスは返答する。
本だらけのこの書架で唯一間の空いたスペースであるテーブルに備え付けられた椅子に僕らは腰かけた。僕とアリスは隣に、エイナさんは僕の向かいの椅子に座った。
その途端、エイナさんにばれないようにこっそりと僕の手を握ってきた。
手は少し震えていた。
「?」
彼女の顔を見ると少し赤かった。
まあ、この書架は薄暗くて気味が悪いかもしれない。そういうところを怖がっているのかもしれない。
(しばらくはこのままでいいか)
特に嫌なわけではないので好きにさせることにした。
「直樹さん」
はっとして正面を向くとエイナさんの無表情フェイスがそこにはあった。
「な、何かな?」
「どうしてあなたがアリスと一緒に来るんですか?」
どうしてと言われても、
「たまたまだよ。たまたま」
としか言いようがないので、二回言いました。
「……たまたまと言いますと?」
まさかの深く尋ねてきました。
「ちょっと泣いているのを見かけて声を掛けたら、それがアリスで、あれ?そういえばアリスは何で僕がエイナさんと関係してるって知ってたの?」
考えてみるとたまたま声をかけた少女が改変について知っているのは、どれほどの低い確率で起きることなのだろうか。
「それはこの天然の子供娘があなたのことを知っていたからですよ」
アリスより早くエイナさんが言う。
そうだろうね。ということは僕らの出会いは偶然ではなく必然だったのか。……今ちょっと格好つけました。ごめんなさい。
「天然子供娘ってなんですか!?」
そこに反応したアリスは口をアヒルのようにまげて不満を表す。……天然かどうかはともかくそういうところは子供っぽいね。
「全く、のこのこアリスの思惑通りに動かされるなんて、直樹さん、情けないですね」
この場合、僕は情けないのかな?冷たいエイナさんの言葉に僕は首を捻る。
「まあ、そんなことは置いとけ。エイナ、早く物を持ってこい」
エルの一声で、ジト目で僕を睨んだまま、エイナさんは席を立って書架の奥へ行った。
……後ろ向きに歩いてこの本の山の中、こけずに歩けるエイナさんはすごいと思う。細かいことだけど。
「アリス、記録者とか改変とかの話を知っているってことは君も記録者なの?」
取り残されて手持無沙汰だったので、この際聞きたいことを聞いてしまおうと僕はアリスに尋ねた。
「いいえ、ワタシの瞳は青くないでしょう?」
アリスは翡翠のような瞳で僕を映す。
たしかミルネさんは青い瞳が記録者の証だと言っていた。エイナさんもカラコンの下の左目は青い。だけど右目は赤い。
「ワタシは調律者と呼ばれる存在です」
調律者。確かピアノとか楽器の音を調節する人は、調律師でしたね。うん、多分何の関係もないんだろう。
「ワタシたちは封印した負素を浄化して、無害な思念して解放するんです。いつまでも本の中に閉じ込めておけるものでもありませんし、何より時間の経過とともに負素は大きく強くなることもあります。だからこそワタシたちはいるんです」
とても確固たる意志がある目をしている。この小さな少女がとてもたくましく思えた。……まあ震えながら僕の手を握っているのを思い出したら、頼りないと思ったけどね。
「すごいんだね。調律者って」
僕は言いながら昨日のミルネさんの言葉を思い出した。
『……破壊者』
記録者は世界の記憶を記して確定する者。調律者は負素を解放する者。では破壊者は?
破壊者と呼ばれたエイナさんはどういう存在なのだろう。
僕はそれをアリスに聞くべきかどうかと悩んだ。
しばしの逡巡の後、僕は口を開く。
「アリスは、破壊者って何か知っている?」
それを聞いたアリスの震えが止まった。
「知っていますよ」
淡々と彼女は告げる。
「どうしてもというのなら、お話しますけど」
「何か話したらまずいことでもあるの?」
歯切れの悪い反応に僕は逆に聞き返す。
「いいえ。ただ、本人が話されないのに、ワタシが話していいものかと思っています」
そうか。僕は納得していた。
もし話すべき事なら、彼女は既に僕に話しているだろう。それをしないということは言う必要が無いのだろう。それにどうして先にエイナさんに聞かなかったのだろう。僕は。
「ごめん。忘れて」
「はい」
それで僕らの話は終わった。
また震えだしたアリスがぎゅっと手を握ってくる。
ここは握り返したほうがいいのだろうかと悩んでいると。
「何をちちくりあっているのですか」
背後から絶対零度の声がした。
「わぁぁっ!!」
驚きのあまりアリスは僕の手を離して、さらに距離を取ろうと思ったのか僕を突き飛ばした。
椅子共々、僕は左側頭部から床に叩きつけられる。
痛い。
「どど、どこから出てきてるんですか!?」
「後ろからです」
「そんなことは分かっています」
アリス、ならどうして訊いたの?とツッコミたかったけど、頭痛いし、巻き込まれたくないし、しばらく横なっておこう。
「さっきから直樹さんの手を触りすぎです」
「仕方ないんです!!この家が怖すぎるんです!!よくこんな家に住んでられますね!!」
「住めば都ですよ?」
それは用法的にあっているのだろうか?
「それに緋島サンの手が温かくて安心できるのがいけないんです!!」
あれ?それ僕のせい?それ僕のせい?
「なるほど」
納得しちゃった!?
「では試してみましょう」
そう言って僕に歩み寄り、しゃがみこんで手を握るエイナさん。
「……」
「どうですか?」
「癖になりそうです」
何がですか?という余裕もない。
彼女の細い指と僕の指が絡まってる。ちょっと冷たい彼女の手と触れ合っているのは、なかなかに心地よいことだった。
だからとしても、僕らは一体何をしているのか。
「あの?そろそろ本題に入りませんか?」
「そうだぜ。兄ちゃんを苛めて遊ぶな」
エルさんが窘めようやく僕からエイナさんは手を離した。
どこかさみしく思うけど、無視だ。無視。
さっきと同じ位置に座ってから、エイナさんはテーブルの上に昨日見た黒い負素が封じられた本を取り出した。
「これが今回の負素よ」
アリスはそれを持ち、
「では、さっそく解放します」
アリスの二つの緑の瞳が光を放つ。
それは黒い本を包み込んでゆく。
次第に黒本が色を変えていくのが見えた。
そこで眩さのあまり目を閉じてしまった。
光が収まったので見てみると、アリスが本をテーブルに戻していた。
その色は黒から薄い茶色に変色していた。
「……」
どこか不服そうな顔をするアリス。
「どうかした?」
「いえ、エイナさん、今回見つけた負素はあれだけですか?」
「どういうこと?」
「いえ、連絡したワタシが感知した改変とは違うみたいです。ワタシが感知したのは人の生命に関わるほどの大規模な改変です」
困ったような顔をして、エイナさんは僕に視線を送る。
「俺様たちはこの緋島直樹に改変の中心にいたことを知って、干渉しただけだ。そしたら、向うから呼んでもいないのに改変者が現れただけだよ。
この男に関わること以外は調べてない」
エルの言葉に、アリスも僕を見る。
「では緋島さん。今回、どのような改変が行われたのか分かりますか?」
その言葉に少し違和感を感じたけど、それよりも他にも改変が行われていた驚きのほうが大きくて、僕は彼女の言葉に従って思い出す。
今回の改変、欠落は何だったのか。
僕が転校生になってみんなから距離を置かれたこと。それは確かに改変の結果だ。
でも、それ以外に何かあったのだろうか。
たまたま目をやると、エイナさんの顔が見えた。そうだ。彼女と会う前に何かがあったような気が、
はっとした。
今回の改変は森川さんが僕を対象に行ったものだ。なら、あの人の変化に説明はつかない。森川さんがあの人の事情を変える必要が無いのだから。
僕はそれを口に出す。
「沢田先輩、僕の学校の先輩に改変が起きたはずだよ」
黒い霧のような負素を纏った少年、沢田拓斗は昼下がりの商店街を歩いていた。
そこには少なからず人がいた。
店の店員やその客。ピークは過ぎたといえ、決して少なくない人がいる。
それでも黒い霧を纏う奇怪な少年に気付くものは誰もいなった。
沢田は嘲笑気味に笑う。
今までは自分を消したという実感がなかったが、こうして人に注目されていないと知ると、その実感が溢れてきた。
彼らは沢田の存在に気付けないのだ。
それは沢田が負素によって自身の存在が無かったように改変したためだ。
しかし、その気付けないはずの彼を見つめる少女がいた。
金髪に碧眼という分かりやすい外人像の少女は紙袋を引っ提げて、少年の行く手を塞いでいた。
「な~んか嫌な予感はしたんだよね」
少女は、記録者ミルネ・ジュトム・リヴァリアス、その人だった。
遅れましたが最新話です。
来週はきちんと月曜に更新します。