Ⅰ 欠落後
神様は六日で世界を作り、七日目に休んだという。
もしも神様が七日間きっちりと仕事をすればどうなっていただろう?
こんなにも世界は欠けていなかっただろうか?
夕日に照らされた教室を僕は掃除していた。
学校というのは結構機能的に作られている。校舎の建て方がそうであって、必ず東と西をつなぐような直線の形なのだ。
理由は太陽の昇り沈みが東から西になっているためだ。東から昇る太陽の光は東から差し込む。だから、生徒たちは西向きの黒板を使う。
夕日とは西から差し込むものだ。
だから今、僕には黒板の文字が見えない。
でも知っている。
どんなに見たくなくても、夕日が輝いていても、掃除をしているんだ。黒板だって掃除するに決まってる。
どんな言葉だっけな?確か大してうまくもない言い訳が書かれていたはずだ。
放課後の教室掃除をするはずだった。
みんなで掃除するはずだったのに、どうして僕一人が、こんなに時間をかけて掃除している?
なあ、
神様が最後の日に休まなければ、世界はこんなに不条理じゃなかったのか?
「お~い、そこの君」
いつの間にか教室に誰かが入っていた。
その人は僕のように普通の人じゃない。生徒会なんて権力の中心に近いところにいる人が、普通の人間であるはずがない。
「もう下校時間近いんだが、何をやっているんだ?」
生徒会副会長、沢田拓斗。道を歩けば女子が振り返るイケメンで、勉強も運動も人一倍できる生粋の天才。
人並みに気を使っているであろう髪をばさばさと雑に掻いて、
「なんでまだ掃除?」
「先輩、日本語は正しく使いましょうよ」
「伝わりゃいいんだよ、言葉ってのは」
ある種の真理を言って彼は掃除用具入れの中から塵取りを取り出す。
「何をしているんですか?」
「見てわからないのか?君の手伝い」
僕は何も言わずに彼の好意に甘えることにした。
ここまで数時間かけてしてきた掃除がものの十五分程度で終わってしまった。ここまでの苦労が土台にあるとしても、少々あっけないものだ。
沢田先輩は疲れて席に座ってしまった僕にコーヒー牛乳を買ってきてくれた。
数時間の掃除の報酬が、百円で買えるパックのコーヒー牛乳というのは少し安すぎるが、何もないよりましかと自分を納得させる。どうしたことか口に含んだコーヒー牛乳はとても美味かった。「これは黄金と同じ値段なのです」と言われても疑えないと思う。
沢田先輩は僕の前の席の椅子を引っ張り出し、どんっと腰かけた。
「君はこのクラスの子か?」
僕は黙ったまま頷く。沢田先輩はそれ以上は何も言わずにただ前の席に腰かけたままだった。
その沈黙が僕には心地よかった。
下校を知らせるチャイムが鳴ると同時に僕は席を立った。この機会を逃すと二度と帰れなくなりそうだった。
「君」
沢田先輩は僕を呼びとめた。
「これでも俺は生徒会の人間なんだ。もし何かあったらいつでも相談すればいい」
「ありがとうございます」
なるべく事務的な言葉を、無感情な声で発した。
「それだけだから」
先輩は僕より先に教室を出ようとした。
「彼女とはうまくいっていますか?」
今度は僕が彼を止めた。
少し驚いたような顔をする彼に、「もう全校生徒の噂ですよ」と僕は言った。
「上々だよ」
輝く笑顔を残して彼は去って行った。