第3話 白きベール
僕らは、ダンの怪我が治るまでアリヤの小屋……もとい「家」でお世話になることになった。
この家には暖炉もキッチンもない。どうやって暮らしていたのか不思議で尋ねてみると、ここにはたまに帰ってくるだけで、普段は各地を転々としているらしい。
理由はわからないが、彼女も教会に追われているようだし、同じ場所に長く留まるのは危険なのだろう。
今の僕らは、ダンの怪我が治るまではむやみに動き回れない。追っ手が近くにいる可能性もある。だから、家から出られない僕らの代わりに、アリヤが毎日、国境近くの小さな村まで食べ物や薬を買いに行ってくれていた。
「……ただいま」
夕方ごろ、いつものようにアリヤが帰ってきた。
「おかえり。無事でよかった」
「……言ったでしょ。わたしは大丈夫だって」
「そうは言っても心配だよ。君だって、僕と同い年くらいだし」
「……」
アリヤに頼るしかないのはわかっている。けれど、彼女も追われる身だ。毎日出歩くのは危険だと言っているのに、アリヤは「大丈夫」としか言わない。
「……食べるもの食べなきゃ怪我も治らないでしょ? ダンの具合は?」
「もう2、3日すれば動いても問題ないくらいだと思う」
「ああ、おかげさまでな」
僕らが逃げ出してから二週間。ダンの怪我は酷かったが、傷口も塞がり、動けるようになってきていた。
「そう」
アリヤはそれだけ言うと、いつものように机に座って本を読み始めた。
* * *
次の日。アリヤはいつものように買い物へ出かけた。
だが、いつもの時間になっても帰ってこない。
「……僕、探してくる」
「待て、エリオル。バラバラに動くほうが危ねえ。行くなら俺も行く」
「だめだよ。せっかく傷が治ってきてるのに、今動いたらまた開いちゃうよ」
そんなやり取りをしていると、アリヤが戻ってきた。
「アリヤ! よかった! 何かあったんじゃないかと――」
「静かにして」
「何があった?」
「帰り道、王国の騎士とすれ違った。この場所が見つかるのも時間の問題かもしれない」
「そんな……!」
「すぐに逃げる準備をして。今夜、ここを出る」
* * *
その夜、僕らは小屋を出た。服と外套は、アリヤがあらかじめ用意してくれていた。
森を抜け、狭い道に出たところで、アリヤが不意に言った。
「……それじゃあ、ここでお別れね」
「え? 一緒に行くんじゃないの?」
「そんなこと一言も言ってない。それに、どうしてわたしがあなたたちと一緒に逃げなきゃいけないの?」
……てっきり、来てくれると思っていた。でも、確かにアリヤは一度もそんなことを言っていない。
アリヤはぶっきらぼうだけど、優しい人だ。僕は、ダン以外で初めてまともに話した相手だったから……少し浮かれていたのかもしれない。人との距離感を、僕はまだ知らない。
そんな僕を見て、ダンが口を開いた。
「……俺はへっぽこ騎士だが、いないよりは役に立つぜ。人数がいたほうが、いざってときの選択肢も広がる」
「……」
「それに、お前さんは女の子だ。エリオルと歳も変わらねえ。そんな子を、騎士として一人にしておくわけにはいかねえよ」
その時――爆音のようなノイズが響いた。
「……っ」
僕は頭を押さえてしゃがみ込む。
「エリオル! 大丈夫か! くそっ……またあれか!」
声が聞こえる。
「……こ……す……ろす……」
「……殺す!」
はっとして立ち上がった。
「やつらが来る! 逃げろ!」
「いたぞー!! 捕えろー!!」
森のほうから叫び声が響いた。
僕らは道を走り出す。だが、追っ手の影はどんどん近づいてくる。
「くそっ!」
このままでは捕まる――そう思った瞬間、アリヤが立ち止まった。
「何してんだ!」
「このまま逃げたって無駄でしょ。……ほんとは使いたくなかったけど」
アリヤは腕を前に伸ばし、親指と人差し指で三角形をつくる。
「……サタル・アナン。神の白きベールよ、道を閉ざせ」
次の瞬間、濃い霧が一気に広がった。あの日と同じ、世界を飲み込むような霧だ。
「今よ。走って」
僕らは霧の中へと駆け出した。




