清きシスターの裏の顔
リリーとソフィアが住まうイーガンツ修道院は、モルガン帝国の北東に位置する首都――ミリオネーア市内に建っている。
夏は比較的涼しく、冬は氷点下を下回る日が多いこの地域は、麦やキャベツなどの野菜に、肉や魚と幅広い食料が特産品として知られている。
帝国の領土は広大な一方で、決して広いとは言えないこの首都の人口は数万近くあり、周辺国の領地開発を中心に、著しい発展を遂げている国の一つでもあった。
帝国の領主はおらず、帝国に居住権を持つ者の民意で政治が為されており、軍部の力が非常に強いのがこの国の特徴といえるだろう。
とはいえここ数年の内政は落ち着いており、街は生活を営む市民たちで満ち、日々平和な賑わいを見せていた。
そんな街の中心に建つ修道院で、リリーとソフィアはシスターとして神への祈りを捧げる毎日を送っている。
基本はそれぞれの奉仕活動と祈りを繰り返す毎日――だが午後の祈りを終えたリリーは今、修道院の長――シスター・アクアに声を掛けられ、エールの仕込みを手伝っていた。
麦が入った大きな布袋を積み上げたリリーに、
「シスター・リリー、お疲れさまでした。残りはまた明日にしましょう」
アクアは額の汗を上品に拭いながら声をかけた。
シスター・アクア――紅色の髪を編み込んで前に下した、穏やかな印象を感じさせる彼女は、修道院の長だ。とはいえその歳は二十五と、他の修道院の長と比べてかなり若い。
その理由はリリーはおろか、ソフィアもよく分からないらしい。
だが他のシスターを含め、アクア本人はその経緯についての話題を避けているようだ。
とはいえ、この場に来て間もないリリーは、教会の事情を気にする余裕がないまま、自然とアクアの立場を飲み込んでいた。
たまに会話を交わす程度だが、リリーにとってソフィアを姉とするなら、アクアは母のような存在に感じている。
そんなアクアからの頼まれた仕事を終える頃には、窓から覗く空が薄暗くなり始めていた。
「はい、シスター・アクア。お疲れさまでしたっ」
ドンっと、最後の麦袋を積んだリリーは、埃をバサバサと両手で払いながら返す。
何処となくわんぱくさを感じさせるリリーの仕草に、アクアは軽く微笑みを浮かべながら、両手を前で重ねると、
「それにしても貴女、身体が小さい割に力があるのですね」
「そうでしょうか?」
「えぇ。あの麦袋なんて、大抵のシスターは息を切らしながら運ぶのに、貴女は誰よりも早く運んで行ったではありませんでしたか。正直、とても意外でした」
感心した様子で口にするアクアの言葉に、リリーは両腕を腰にあてながら、少し誇らしげな表情を浮かべると、
「正直あの袋は大きいし、胸が邪魔で運び辛かったですけどね……。でも此処に来る前は、両親が農家をしていたので、似たようなものはよく手伝いで運んでいたんです」
「やっぱり少し無理されていたのですね」
「気づかれていたのですか?」
「えぇ、どことなくペンギンみたいな歩き方で、とても愛らしい動きでしたよ」
「な、なんか恥ずかしいですね……」
顔を赤らめながら照れるリリーの様子に、アクアは優しげな笑みを深めた。
そんなアクアの反応に、リリーは視線を横に逸らす。
さっきまでに持ち上げていた麦袋の一つを目に留めると、リリーはふと一つの疑問を口から漏らした。
「そういえば今更ですけど、一つ聞いてもよろしいですか?」
「えぇ、なんでしょう?」
「今仕込みをしているエールって、なぜこの修道院で作っているのですか? しかもこんな大量に……。エール自体は、商会直属の工場でも作られていますよね?」
「それはですね、元々エール自体が家庭の味だったからなのですよ」
「家庭の味? ですか?」
「えぇ、そうです」
アクアは人差し指を立てながら、リリーの素直な疑問に対して答えの続きを口にする。
「もともとエールは、各家庭ごとで毎年秋に収穫した麦を使って作る飲み物だったのです。今ではどちらかと言えば嗜好の一つに寄った感はありますが、エール自体はとても栄養価がありますからね。もっと言えば、元々は食事の一つだったのですよ」
「なるほど……、でもなぜそんな家庭の飲み物を、修道院で作るようになったのですか?」
「色々と説はありますが、ひとつは”恵まれない方々にお配りする”のがルーツだそうです。とはいっても、私どもも商会を経由して酒場にエールは昔から収めていますからね。きっかけは分け与える食事の一つですが、いまは修道院の収入の一つというのが大きな理由ですね」
「なるほど……」
リリーは小さく頷きながら、アクアの説明に短い声を漏らす。
そんなリリーの様子に、アクアはふと何かに気づいたのか、一瞬だけ驚きの表情を見せると、
「ですが感心ですね」
「えっ?」
「私がここに来たばかりの頃は、エールを作る意味はおろか、私を捨てた両親を恨むことしかできませんでした。ですが貴女は私や周りのシスターとは違って、前を向いて順応しようと努力している」
アクアが自然と溢した言葉に、
「か、買い被りしすぎですっ!」
リリーはブンブンと両手を振るように慌てふためきながら、照れ隠しと言わんばかりに声を上げた。
「そういう謙虚で可愛げのあるところも、貴女の大きな美徳ですね」
「うぅ……っ」
「ふふっ」
尚も顔を真っ赤にしながら照れているリリーに、アクアはいつもの穏やかな笑みを浮かべると、
「さて、そろそろ温かい部屋に行きましょうか。”例の奉仕活動”、今夜もあるのでしょう?」
「はい、そうですね……」
リリーは一瞬表情を曇らせると、先に蔵を出ようと歩き出したアクアの背中を眺める。
ソフィアと二人だけでやっている、”例の奉仕活動”というワードが胸の奥に引っ掛かり、その違和感を振り払いきれなかったリリーは、
「シスター・アクア、もう一つだけ、よろしいですか?」
「どうされました?」
「その……、シスター・ソフィアについて、聞きたいことがあるのです」
「シスター・ソフィア? もしかして、”例の奉仕活動”のことですか?」
「はい……」
リリーは予てから気になっていたことを、アクアにぶつけてみることにした。
そんなリリーの真剣な様子に、
「なるほど……」
アクアは何か察していたことでもあったのか、
「シスター・リリー、もし貴女も他の奉仕に力を入れるべきだと思うのなら、それでも良いのですよ?」
「いえ、私はシスター・ソフィアの奉仕活動について、とりあえず意義がある事の一つだと正直思いました。ですが、なぜ”教会の腫れ者”と言われながら、あんな活動をし続けているのかが気になって……」
「そういえば貴女は、”シスター・ソフィアの過去”を知らないのですよね?」
「…………はい……」
「少なからず今後にも関わる事ですし、貴女の疑問の答えとあわせてお教えしましょう」
あらためて突きつけられた違和感の核心――その答えを前にして、リリーは少し身体を震わせる。
一方のアクアは、軽く深呼吸をすると、
「シスター・ソフィアはもともと、魔女になろうと黒魔術を習得していたのです」
真剣な表情で淡々と、過去にあったであろう事実を口にした。
「く、黒魔術……、ですか?」
あまりにも唐突で衝撃的な単語に、リリーはそれ以上の言葉を失う。
「えぇ……、それとここからは本人が否定しているので、定かではない話になりますが――」
珍しく自信を感じさせない表情と声音でアクアは前置きを挟むと、
「――シスター・ソフィアはかつて、グレイスワン共和国の皇女だった、と噂があります」
「グ、グレイスワン共和国って……」
またも驚きの単語に、リリーは目を見開いた。
グレイスワン共和国――それは今から五年前に、リリー達が暮らすモルガン帝国の軍事的侵攻によって吸収された、小さな国だった。
軍事的侵攻とはいうものの、実際に互いの国で戦争があったわけではなく、初めからグレイスワン共和国の国王は国外逃亡して姿を消したことで、無血開城となった国――そんなグレイスワン共和国の国王を、当時の国民は”民を見捨てた弱腰の卑劣外道”と揶揄されている。
「そんな汚名を被った父上のお嬢様が、シスターに……?」
リリーは信じられないと言わんばかりに、自然と感じた疑問を口にする。
「あくまで噂ですけどね。ですが、黒魔術を習得していた事実は、シスター・ソフィア本人も認めています」
「……ではなぜ、悪魔と契約を結ぼうとした方が、神の教えを……?」
石造りの壁から、冬の冷たい空気が差し込む。
「それが、分からないのです。シスター・ソフィアは話したがらないので……。ですが――」
アクアが続きを口にしようとしたその時、
「なんのお話をされているのですか?」
二人の背後にある扉から、澄んだ声が蔵の中に響く。
リリーとアクアは同時に肩をビクッと震わせると、
「シスター・ソフィア……」
そこにいた人物――ソフィアの姿に目を見開く。
ボソリと呟くように名を口にしたアクアに続いて、
「いえ、大した話では……」
リリーは軽く弁解するように口にする。
だが、当のソフィアは表情を一切変えることもないまま、
「シスター・リリー。そろそろ”奉仕活動”の時間ですよ?」
ただそれだけを言い残して、背を向けて出て行ってしまった。




