プロローグ ~清きシスターは旅路を照らす~
「それでは、失礼します」
礼服を端正に着こなした初老の男は、軽く頭を下げたのちに馬へまたがった。
しばらくして馬車がゆっくりと動き始めると、二人のシスターはこれから旅立つ無縁仏に頭を下げて見送った。
木製の車輪が石畳を蹴る音は、木枯らしの冷たい風に搔き消され、やがてその気配は消えていく。
やがて通りの角を曲がって、その車体が完全に見えなくなったその時、
「お疲れさまでした、シスター・リリー。初めての奉仕活動はどうでしたか?」
教会前で馬車を見送っていた、少し背の高い少女が声をかけてきた。
着慣れた様子の修道服と、美しい金髪が印象的な十七歳の彼女――シスター・ソフィア。
彼女はその整った顔立ちに、優和で穏やかな笑みを浮かべながら、新人シスターのリリーに問いかけた。
一方で、ソフィアの隣で真新しい修道服を着たリリーは、
「シスター・ソフィア……。これはとても辛い奉仕ですね……」
既に見えなくなった馬車の残像に表情を曇らせ、両手の指を身体の前で絡ませながら答えた。
紫髪を編み込んだ、少し幼い印象を思わせるリリー――とはいえ歳は十六と、ソフィアより一つしか違わない。
シスターとしての歴も、ソフィアは三年ちょっとと、意外にも大きな開きはなかった。
だがリリーから見たソフィアは、出会ってたった一週間ほどとはいえ、実年以上の落ち着きと経験があるように感じられる。
とはいえ、そんなソフィアを快く思わないシスターは多いようで、教会内の他のシスターからの態度は、どこか刺々しいものだった。
そんな彼女の下につくことになったリリーだが、教会内で特殊なのはソフィアだけのようで、今のところ他のシスターから冷たい視線を向けられることはない。むしろ周りからは心配されるほどで、今ではソフィアだけが続けているという”奉仕活動”に付き合わされているリリーを、周囲はむしろ哀れんでさえいるのだ。
そんな初めての奉仕活動を終えたリリーは、素直な感想を口から漏らすと、ソフィアは何処か思わし気な表情を浮かべて、
「貴女はなぜ、この奉仕を辛いと感じましたか?」
「だって、私たちがあの方を見つけてから、天へ召されるまで、あの方はずっと孤独ではなかったのでしょうか? そんなあの方の最期を想像すると、胸が苦しくて仕方ありませんでした」
「そうですね。貴女が感じたその胸の苦しさは、私も始めのころ、よく感じた痛みです」
言いながらソフィアは、昔を懐かしむように小さく頷いた。
「――だけどね、シスター・リリー」
突然呼びかけられたリリーは、反射的に肩を震わせながら視線を上げる。
そこにはどこか慈しみと痛みを綯い交ぜにしたような表情で、ソフィアは諭すように続けた。
「さっき旅立ったあの方は、神のお導きによって、永遠の命を得るのです。
そして現生では成し得なかった無念や孤独は、同じ天の地に住まう人々との出会いによって、やがて癒されるでしょう。
そんな天の国へ続く道を照らし、旅立ちを迎えた方々を祝福して送り出す――それが私たちの役割なのです」
「祝福して、送り出す……」
ソフィアの信念の核ともいえる言葉を、リリーは短く反芻する。
真剣に言葉を受け止めているリリーのその様子に、ソフィアはなおも柔和な表情で、
「そうです。現生での試練を乗り越えたこと――それは称賛と祝福に価します。
ですからシスター・リリー、決して貴女は苦しむ必要はありません。むしろ新たな門出を祝う者として、この奉仕活動を誇るべきなのです」
言いながら親しみやすい笑みを深めたソフィアに、リリーは思わず見とれてしまっていた。
だが同時にリリーは、思考の片隅でこの”奉仕活動”とソフィアの立ち位置に違和感が強まった。
(なんで、こんなにも慈悲深い方が……)
リリーが違和感の正体について頭を働かせたその時、教会の鐘が広場に鳴り響く。
ゴォーン、ゴーンと、正午を告げる重々しいその音に、
「そろそろ祈りの時間ですね。教会へ戻りましょうか。シスター・リリー」
リリーは結局疑問を口にできないまま、ただソフィアの後ろをついていくように、教会へ戻っていくのだった。




