2024年4月『入れない現場』3
改めて、現場に立ち入る。
浅井の目から見れば、隅で蹲る怪異に目をつむれば普通の仏間である。
仏壇の前には電池式のろうそくと燃え尽きた線香の重なる線香立てが並んでいる。
横の床の間にある品のよい花器にはパステルカラーの百合とネコヤナギが生けられていた。水がもう上がりきっているのだろうか。百合の花はほんの少ししおれてもいる。
その壁を飾る掛け軸も上品なもので、「風暖鳥声砕」と、柔らかな筆致で書かれていた。
左手にある掃き出し窓を覆うカーテンは完全遮光ではないらしく、ほんのりと部屋には陽光が差し込んでいる。
春のまどろみをしまい込んだような部屋だ。家主が横たわったまま、冷たくなっていることを除けば。
交通事故による被害者よりは穏やかで、今まさに起きている暴行事件に比べたら緊急性は低い。だが、そこにいるのは「直接悪意によってできた死体」だ。
その真相をつまびらかにすべく子細を観察する覚悟は、浅井にはまだできていない。
鑑識が写真を撮る横でじっくりと遺体を観察し躊躇なく触れる龍崎からも目をそらし、壁に掛かっているカレンダーが五月のものであることに気がついた。
近づいてよく見れば、一枚分だけ乱暴に破った跡がある。
部屋全体から受ける印象は、実に丁寧に一日一日を過ごしていた人なのであろうということ。その人物像と、このカレンダーだけが食い違っていて、強烈な違和感を浅井に与えた。
「浅井巡査部長」
ほかに違和感の元はないかと改めて部屋全体を観察する浅井を、龍崎の声が引き戻した。
「何か気になるものがありましたか?」
「はい。このカレンダー、五月のものになっています。それに、一枚だけ乱暴に破られた跡がある」
「あら、本当ですね」
ついとつま先を伸ばして、龍崎か確認する。背伸びしないと見れないらしい。遠目から見ても遺体は小柄だ。それにもかかわらずきれいに切り取っていたとなると、
「被害者の方は、通常は一回一回壁から外して切り取っていたのではないでしょうか。一枚以外、引きちぎっている様子はないですし」
「いい着目点です。では、一枚だけ通常と異なる切り方をされた。そのことを念頭において捜査をしていきましょう」
そういって、龍崎は何故か部屋から出て行く。一瞬お手洗いかとも思ったが、すぐにそれならそうと言うだろうと思い直し、慌ててその背中を追う。
小さな背中は迷うことなく廊下の反対側の扉、つまりリビングに続く扉を開く。
リビングもまた、丁寧な暮らしぶりを感じさせる、ほどよく整頓されほどよく生活感のある部屋であった。
捜査員は誰もおらず、怪異の姿はなく、また家主もいない。置き去りにされた日常だけがある空間。まだ捜査の序盤も序盤なのはわかっているが、ほんの少し肩の荷が下りる感覚がした。
「龍崎警部補?」
「よし。ここなら聞かれないでしょう」
聞かれるとは何か、と問おうとして、すぐにその答えに行き着いてやめた。
これより話す内容を、あの泣き止まぬ女に聞かれたくないのだろう。
「ほら、聞いたら彼女、犯人に激昂しちゃいそうだったので」
「それは、確かにそうですね。捜査員が入るのすら嫌がっていましたから」
「そうです。流石に私も彼女を止めれるかは不安だったので」
そう、龍崎は苦笑いする。対等に立ち会っているが、力量が対等とは限らないらしい。
そうなると、ますます龍崎のやり方は危なかっかしいもののように感じたが、本人は気づいているのだろうか。
だが、これはこの数十分で感じた危機感に過ぎない。忠告して足をとめるよりも今は互いのやり方を知ることを優先するべきだ
「ひとまず今のところ分かっていることを共有しますね」
そう言うと、龍崎は慣れた様子で待機していた捜査員に声をかけ、刷りたてであろう書類を受けとった。




