2024年 4月 入れない現場1
「車の鍵借りたので早速行きましょう」
「龍崎警部補、運転は私がしますよ」
「目の下に隈を貼り付けている方にハンドルを握らせるわけには行きません。それに今から行くのは、しょっぴき切れないぐらいの軽微な違反の跋扈する無法の道です。ある程度遠方に飛ばされ慣れてる私が運転します」
「はぁ」
「ちなみに、帰りも大迷宮ですので私がします」
そんな大げさな、という浅井の感想は乗車十分後には消し飛んだ。
時間はちょうど通勤ラッシュの時刻である。上りも下りもみっちりと自家用車とトラックがひしめき、そこに加わるために無茶をするドライバーによってさらに流れは不均一となる。さらに悪条件を重ねるならば、4月からマイカー通勤をする慎重なドライバーが混じっていることだ。
何台か定員外乗車違反の車も見えたが、おそらくドライバーは気づいていないのだろう。皆一様に顔だけが黒塗りになった同乗者など、昨日まで浅井の見ている世界にも存在していなかったのだから。
だが、案外異常なものは少ないというのが浅井の印象であった。
なんせ、愛知県はここ数年間はワースト1位は返上しているとは言え、元の事故率が事故率の土地だ。もっと交通事故による亡霊がひしめいているかと思った。あるいは、いるにはいるが対向車線の車が多すぎて亡霊の立つ隙間がないのだろうか。
対向車線の車の量は、車線が多くよく整備された伊勢湾岸道に入っても変わらず、工場から名古屋港に向けて出てきたのであろう大型トレーラーや、夜行バスまで混じり出した。
対する今走っている上り車線はそれなりにスムーズに進むようになった。横の龍崎の様子を伺えば先ほどまでに比べてハンドルを握る手から力が抜け、リラックスしている様子であった。
「龍崎警部補。私は市外に出ること自体が稀で、高速道路を走る経験自体が浅いのですが、こんなに流れに差があるものなのですか?」
「……いえ、おかしいですね。ラジオつけて貰ってもいいですか?この時間なら交通情報流してるので」
「はい、ちょっと失礼します」
促され、ラジオのチャンネルをいじってラジオの電波を拾う。龍崎のいう通り、番組のジングルのあとに交通情報が流れ出した。
機械音声ではない、アナウンサーの肉声が情報を読み上げていく。国道での工事情報、車線規制、高速道路の事故の処理に伴う規制とその解除。
事故と聞いて、龍崎に一言入れてからスマホで詳細を検索する。未明に県境で起きた事故は今のところ死亡者はいないようだが、散乱物が多く処理に時間がかかり、今しがた全面規制解除となったようだ。
「原因はこれですね。それなりに大きな事故だったようですが、死亡者はいないようでよかったです」
「読み上げありがとうございます。それにしても、浅井巡査部長は目のつけどころが良いですね」
視線を前方から外さないまま、龍崎は口に柔らかや笑みを浮かべている。
「刑事にはそういった、違和感をつかみ取ってその形を明瞭になるように情報を積み上げていく才覚が必要です」
「恐縮です」
「あ、お世辞とか揶揄とかじゃないですよ。本当に、刑事には刑事として必要な思考パターンがあるんです」
浅井の四角四面な返答を、賛辞をマイナスイメージで捉えられたと思ったのだろう。龍崎はちょっと焦った様子で、言葉を重ねる。
「実のところ、成り行きで見れるようになったその視界や見えているものとの付き合い方を学んでもらう他にも、私が浅井巡査部長の思考パターンを知りたいというのもあります」
「思考パターン、ですか?」
「はい。何を拾い、何を置きざりにし、どこに着目し、どこを無視するか。お互いにお互いの思考パターンを知っていれば、穴埋めできますから」
「……なるほど」
現時点で龍崎は浅井とは真逆の人間だ。体格もであるが、龍崎はどうにも、あやふやなものをあやふやなまま受け入れる質だ。対する浅井は因果関係や正体不明は明確にさせておきたい人間である。
言動も、10代から警察に入り上下関係の重要性をしっかり教えられてきた浅井から見たら、龍崎のそれは柔らかすぎるほどに丸い。
歩調も、ひょっとしたら意見も合わないかもしれないが、互いに欠点を穴埋めし合うならば最適なのかもしれない。
「では、今日の私は、捜査に関しましては遠慮や謙遜等をせず私が考えるように動きながら、同時並行で龍崎警部補の思考パターンを知ればよろしいのですね」
「はい、そのとおりです!」
この一言をとっても、この人はどちらかといえば保育士や教師の方が向いていそうだと感じた。ささやかな事すら褒めて伸ばしに掛かってくる。
ひょっとして、古塚に目をつけられて警察に入るように仕向けられたのだろうか。だとしたら気の毒である。
「さ、あと10分ほどで現場です。事件現場としてはそこまで凄惨ではないようですが、いかんせん詳細なしに『捜査員が立ち入れないから何とかしてくれ』と私に投げられた案件です。それ相応の覚悟はしておいてください」
「分かりました」
刑事としても、この異様なものを見る目を押し付けられた身としても初めての現場だ。何が待ち構えているか分からないが故に、気合いを入れる必要があるだろう。
車は危なげなく、高速道路を降りた。
*****
現場は、田園と工場が入り混じる中にぽつんと立つ民家であった。
小さなガレージ付きの2階建てで、申し訳程度の柵で庭と一段下に広がる田園との境を明確にしていた。
市街地から出たことのない浅井から見ると、あまり馴染みのない風景だが、同じような形で民家があるあたりありきたりな風景なのだろう。
浅井には馴染みのない風景だが、今は異様な状態となっているのは分かる。
民家の前には複数台パトカーが停まり、規制線を張っていた。制服警官の姿に交じって、刑事らしきスーツ姿も見える。だが、皆一様に玄関前で立ち往生している様子であった。
「ああ、入れないようですね」
車から降りて開口一番に、龍崎はこともなげにそういった。
人質を取っての立て籠もりに対応できずにいる、というわけではないだろう。なんせ、吐瀉物のツンとした嫌な臭いがここまで届いている。
浅井は念のために、ハンカチで口元を覆う。もしガス漏れや気化した劇物だった場合にはあまり意味がないというが、臭いを遮断できる分ないよりはましだ。
近づけば、現場としての異様さがより分かるようになった。鼻を押さえて蹲ってる捜査員、口元を押さえる捜査員と、その介助に当たっている捜査員。機材一式抱えたまま扉の前で右往左往する鑑識。
いずれも顔色が良くないが、命に別状はないのか緊迫した雰囲気はない。ただ、何とも形容しがたい重苦しさと息苦しさがそこにはあった。
ぞわりと、背中が粟立つ。だが、その理由は浅井自身にも分からなかった。
「おはようございます。県警本部『特殊6係』の龍崎です」
「同じく、浅井です」
「おはようございます!刑事課の鹿狩です!本部からわざわざお呼びしてしまい、大変心苦しく思っておりますっ」
蛮勇の龍崎がパトカーの無線に張り付いている男に声をかけると、男は即座に敬礼の姿勢を取った。彼がこの現場の陣頭指揮に当たっているようだ。
理由不明の体調不良者を複数名出し、本部に応援要請をしなければならないとは、さぞや胃が痛んだことだろう。
「状況報告をお願いしてもよろしいですか?」
「はい!」
鹿狩の言うところによると、通報があったのは今朝6時30分頃。被害者はこの家に住む60代の女性。早朝のパートタイムに出勤していないことを不審に思ったスーパーの店長が家に連絡するも繋がらず、年齢的にも万が一がありうると警察に連絡した事がきっかけである。
寝室代わりにしている仏間で、布団に横たわっているのまでは確認できているのだが、それ以上は確認できていない。
現場に入ろうとしたところ、何故か入れない上に、近づくだけで皆が皆、鼻血、嘔吐、腹痛の症状を訴えてるのだ。
入ろうものなら自分で現場を荒らすことになる。だが、捜査はしなくてはならない。そんな『不可解な障害』を乗り越えるべく、龍崎にお声が掛かったというわけである。
「入れない理由は分かりませんが、鼻血に吐き気に消化器官への影響とくると、やはり放射線障害でしょうか?」
今回の浅井がなすべきことは、この不可解な事件を解決に導く以前の段階、この目に慣れ互いの思考パターンを探ること。その命令に忠実に従い、聞いた状況証拠から自分なりの解を提示した。
浅井の解に対して、龍崎の反応は芳しくない。
「うーん……それらは長期的に見て出てくる症状で、入って直ちにそのような症状が出る程の放射線を浴びたのだったら、助かりませんよ」
「そうなのですか」
なんとなく、放射線障害といったらこういう症状があるものだと思っていたが違うらしい。
「けど、放射線含めて何らかの物質への曝露を疑うのは良い線だと思います。普通ならありえませんから、理論立てて説明をつけられる手段はそこになります」
「つまり、視座は間違っていないと考えてよろしいですか?」
「はい。そしてそうやって適宜確認をしてくる姿勢も素晴らしいです。私としてもやりやすいです」
にこりと笑う龍崎の顔に嘘はない。ただ、その笑顔はやはり場違いな印象が拭いきれなかった。
パンパンと、仕切り直しの合図とばかりに、龍崎が柏手を打つ。
「答え合わせの為に中に入りましょう。今の浅井巡査部長なら見えますから」




