絶体絶命
ダンジョンを進むガンマ班、前方を進むガンマの歩みは、先ほどまで不機嫌だったにしては軽やかだった。その態度は全員の目に不気味に映った。
足取りはしっかりしているが、演習の目的地と経路を把握しているのはガンマだけである、ダンジョンに足を踏み入れてから、そこそこの時間が経過した。その後モンスターと会敵していないのに、想定より時間がかかっているなとアリアは思った。
「ねえちょっと」
「うん?」
そこでアリアはこっそりとリベルに話しかけた。喧嘩になりかねないので、ガンマには聞こえないよう声を潜めた。
「こんなに時間がかかるもの?戻ることも考えると、前の班の滞在時間より長くなるんじゃないの?」
「…そうなんだよな、正直今俺たちがどこに向かってるのか分からないから、感覚でしか把握できないんだけど、明らかにルシアス班より滞在時間は長いと思う」
これはあくまでも実地演習であり、その過程が二班でそこまで異なるものなのだろうかと疑問が深まる。自分たちはまだまだダンジョン探索の初心者で、長時間の滞在はリスクが大きい、学園がそれを考慮しないはずがないとアリアは推測していた。
リベルもまた同様の考えを持っていたが、それ以上に気になったのは、インプ以来、他のモンスターと会敵していないことだ。
まるでこう進めばモンスターとの遭遇率を下げられる、そんな自信がガンマから感じられた。ガンマの父は冒険者なので入れ知恵をした可能性もある、そうであれば演習にならない、そんな不満をもったリベルだったが、その不満が切っ掛けでもう一つの違和感に気が付いた。
自分はまだ、一度も罠の解除を行っていない。それどころか、一度も罠を目にしていなかった。モンスター同様、罠の位置を把握していなければ、通常そんなことにはならないはずだった。
しかし違和感に気が付いた時にはもう遅い。少々開けた場所まで来てから、今まで感じたことのない濃厚な死の気配に、リベルは足を止めた。
立ち止まって滝のような冷や汗をかきはじめたリベル、その尋常ではない様子の変化に、アリア、エドガー、フィオナの三人は、同じように立ち止まってリベルの元に集まった。
だがガンマだけは違った。舌打ちをしてから大声でまくしたてる。
「おい!何してるんだ!早くしろよ、目的地はすぐそこだ!」
「ほ、本当に、そ、その先が目的地なの?」
リベルの様子を見て疑問に思ったエドガーが、ガンマを問いただした。そのことで更に苛立ちを強めたガンマは、地団駄を踏んで声を上げる。
「当たり前だろうが!地図は俺が持ってるんだぞ!」
「…ではその地図、確認させていただけませんか?私たちはまだダンジョン探索に不慣れ、ガンマさんが道を間違えた可能性もあります」
フィオナは冷静に指摘したが、ガンマは更に語気を強めて、何度も舌打ちをした。
「今更臆病風に吹かれてんじゃねえよ!!このパーティーのリーダーは俺だ!!俺に従え!!」
「ちょっと、お前は確かにリーダーかもしれないけど、別に私たちはお前の部下じゃない、そんな命令の仕方をされる謂れはないわ」
不信感で言うことを聞かなくなったことに腹を立てたガンマは、もういいと吐き捨てるように言ってから、懐から小さな袋を取り出した。そして袋を閉じてある紐を切ると、それを前方へ投げた。
「…ッ!!よせ!やめろッ!!」
ようやく死の恐怖を振り払い、声を上げることができたリベルだったが、もうすべてが遅かった。袋から出た匂いを嗅ぎつけ、奥の通路からのしのしと体を揺らして歩いてきたのは、巨大な熊のような姿のモンスターであった。
全員が一斉に戦闘の構えを取ったが、それ以上は何もできなかった。全身がぶるぶる震えて動くことができなかったからだ、目の前にしただけで分かる圧倒的な実力差、それが強烈に死を想起させた。
ガンマもまた震えてはいたが、計算通りにモンスターを呼び寄せることができて、にやりと笑みを浮かべてもいた。
現れたモンスターの名はアバレウルサと言う、地下一階では一番危険なモンスターであった。熟練の冒険者でも、戦闘を避けるほど脅威のあるモンスターだ。
実地演習でアバレウルサを討伐した生徒はいない。ガンマは他の生徒がメンバー集めや、戦闘訓練をしている中、一人その事実を探ることに勤しんでいた。
「アバレウルサ!こいつを討伐すりゃ俺は学園初の功績を打ち立てられる!はははっ!やっぱり俺が一番優秀なんだよなあっ!!」
アバレウルサのことを知ったガンマは、討伐経験のある父から、何か弱点はないのかと尋ねていた。ガンマの父は息子の熱心な姿を見て感心し、ある情報を教えた。
「アバレウルサは嗅覚に優れていてな、それを利用して奴を引き寄せる匂い袋がある。大抵の使い道は、それでアバレウルサの気を引いてから、安全に通り過ぎるために使うんだが、実はその匂い袋にある薬液をかけると、アバレウルサを大幅に弱体化させる臭気を発生させることができるんだ」
ガンマは父から、いつか使う時が来た時の備えがほしいと説得して、その匂い袋と薬液を入手していた。いい心がけだと、父も快諾した。
匂いに釣られてやってきたアバレウルサの目の前に、ガンマは薬液の入った瓶を投げつけた。すると地面に当たってガラスが割れて、中身の薬液が匂い袋にかかった。
強烈な刺激臭が一瞬で辺りに立ち込めた。皮肉にも、その匂いから身を守ろうとしたおかげで、恐怖に固まっていたリベルたちは動けるようになった。
逆にもだえ苦しみ、その場でのたうち回って動けなくなったのは、アバレウルサの方であった。ガンマの父の情報は正しく、アバレウルサの動きは見る見るうちに鈍っていく、それどころか、暴れて自らの体を傷つけ始めるほどだった。
「ひゃははっ!!ざまあねえなあ熊公!!おら!テメエらも武器を取れ!こいつを仕留める手伝いをさせてやっからよお!!」
意気揚々と剣を鞘から引き抜いたガンマは、後方にいるリベルたちに号令をかけた。そして真っ先に、アバレウルサに飛びかかっていった。
何かが砕ける音がした。苦しむアバレウルサが適当に振るった腕が、ガンマの脇腹に命中した。手に生えている鋭い爪は、鎧ごと胴体を斬り裂き、ガンマは腹の中身と血をぶちまけて、糸が切れた人形のように、地面にべしゃりと倒れ込んだ。
アバレウルサは次に、地面に倒れているガンマめがけて腕を振り下ろした。背骨が砕ける音と血の飛び散る音が混ざり合いながら、ガンマの体は半分に千切られた。
それは本当にあっという間の出来事で、誰一人助けに動くことなど、できなかった。
臭気が作用して、アバレウルサの弱体化は成功していた。ガンマの腹を割いた攻撃も、暴れた腕が当たっただけのものだったし、その後の追撃も、鼻をやられた癇癪の延長のようなものだった。
攻撃ではないただの動作に、ガンマはあっけなく命を奪われた。弱体化してなお、強さが違い過ぎた。功名心に焦ったお調子者は、初のダンジョン探索で散った。これは演習が始まって以来、初めての出来事であった。
リベルはバチンと自らの両頬を叩いて気合を入れた。クラスメイトが死んだショックに囚われているわけにはいかない、リベルたちはもう、アバレウルサに戦闘を仕掛けてしまったのだ。判断が遅くなるほど、自分たちが死ぬ確率が高くなる。
「エドガーッ!防御に専念しろ!絶対にアリアとフィオナに攻撃を通すな!俺のことは構うな!」
「っ!わ、分かった!」
「フィオナッ!かすり傷程度でも、即回復できるように備えてくれ!」
「は、はいっ!」
「アリアッ!かかるか分からないが状態異常の魔法で援護してくれ!攻撃魔法は温存しろ、使いどころは俺が合図する!」
「ああもう!どうしてこんなことに!!」
一通り指示を出したリベルは、すぅっと素早く深呼吸をした。体から力を抜いて緊張を追い出す。ナイフを構えると、全員に言った。
「倒すにしろ逃げるにしろ、アバレウルサの体力を削る必要がある。俺はこんなところで死ぬつもりはない、皆もそうなら、俺に力を貸してくれ」
もはや戦う以外に選択肢が残されていないリベルたちは、メンバーを一人欠いた状態で、強敵アバレウルサに挑む。恐怖している暇は、もうない。




