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車の中で脱力したまま、フランカとコンラッドは黙って座っていた。
遠くの方でなにやら騒ぐ声が聞こえるが、どちらも反応しない。
やがて、フランカがポツリともらした。
「ごめんなさい」
「構わないさ」
「あたし、どうしちゃったんだろう」
「がんばりすぎたんだよ」
「途中から、喋ってる自分の言葉に興奮して、なんだかワケがわからなくなっちゃって」
「だろうね。でも、もう大丈夫だろう?」
フランカは、力なくうなずく。コンラッドはその横顔を眺めながら、ふいに明るい声を上げた。
「それにしても、荒っぽい夫婦だったなぁ。でもアレが彼らのコミュニケーションなんだろうな」
その明るさに、フランカは少し元気を取り戻して答えた。
「コミュニケーション? あれが? 旦那は奥さんを五メートルもぶっ飛ばすし、奥さんは火かき棒を投げて五メートル先の旦那の手を壁に縫いつけたのよ?」
「でも、どっちも平気な顔してた。我々には凄惨に見えても、彼らにとっては日常なんだよ」
「とんでもない日常。迷惑この上ないわ」
「だが、すごくまっすぐで、気持ちのいい夫婦だったよ」
「そうかしら」
言いながらもそれを認めているのだろう、それ以上文句を言わない。
「いっぱいつらい思いをしたんだね? それを全部溜め込んで、君の心の中はいつ破裂してもおかしくない状態だったんだよ、きっと」
コンラッドはいつものように肩をすくめると、優しく笑った。
フランカは黙ったまま下を向いている。
「それを仕事に向けるのは構わないと思う。そりゃ、多少やりすぎなところもあるけれど、無関心にノルマをこなすだけの刑事より、俺はずっと好きだ」
「……」
「だけど、いつも自分の気持ちが一番正しいとは思わないほうがいいね。今回みたいに相手側から見たら、全然違う見方のできる場合だってあるだろうから」
「……うん」
素直にしてるとえらくかわいらしい、などとラチもないことを思いながら、コンラッドは言葉を継ぐ。
「君の経験はつらい思い出かもしれないけど、決して何をやってもいいと言う免罪符ではない。それを仕事のチカラにするのはいいけど、自分の心はきちんと自分でコントロールしなくちゃな」
「そうだね」
フランカは涙の残る泣き笑いのような顔で、しかし、にっこりと笑った。
「いつの間にか自分を哀れんで、世界を閉ざしていたんだね、私。世の中の男を父親に重ねて、まとめて憎んでいたのかもしれない。ああ、これってもしかして、変形のファザコンなのかな?」
「変形じゃなくて、立派なファザコンだと思うよ?」
「ちぇ、キツいなぁ。でも、自分でもそう思うよ。なんだか、急に肩の力が抜けた。あのヒゲもじゃには、感謝しなくちゃいけないのかな?」
「感謝されても、ぽかんとしちゃうんじゃないか?」
ふたりは、声を上げて笑った。
「私、これからはもう少しニュートラルな心で、事件に接することが出来ると思うよ。いたずらに感情移入しないで、平等に見ることが出来ると思う。もちろん、その上で許せない暴力だと判断したら容赦しないけどね」
コンラッドは苦笑した。
「まあ、それでいいんじゃないか? 完全にニュートラルな立場に立つなんて、きっと世の中の誰にもできないことだ。ただ、それでも俺たちみたいな仕事は、少しでもその位置に立てるよう、努力だけは怠っちゃいけないんだと思う」
コンラッドの言葉に、一瞬目を丸くしてから、フランカはくすくすと笑い出した。
「へえ、ただのやる気のない頭でっかちかと思ったら、結構、考えてるんだね? それにあの蹴りもなかなか鋭かったし、あんたも意外と謎の多い男だね」
「よく言うよ。さて、そろそろ帰らないと、課長にどやされるぜ?」
「そうだね。帰ろうか」
彼女がうなずくと、コンラッドは、今度はとても優しく車を発進させた。
「私、これからはもう少し、みんなと仲良くやるよ」
しばらく走るうち、フランカがつぶやくように言う。
コンラッドは前を見たまま、嬉しそうにうなずく。
「ああ、それがいい。みんなだって本当は、君と仲良くやりたいんだ。なんたって君は、DV課一の美人なんだから」
「それ、セクハラだよ?」
「じゃあ、捕まえてくれ。君の部屋に監禁されるなら、大歓迎だ」
「ちぇ、調子に乗って」
クチを尖らせた顔がまたとても可愛らしく思えて、コンラッドはうきうきした気分でアクセルを踏む。すると、フランカが、急に真面目な顔になって、コンラッドに話しかけ た。
「ねえ、コンラッド」
「な、なんだい?」
大きな瞳にどぎまぎしながら、コンラッドは精一杯優しい声で答えた。
するとフランカは、こぼれるような満面の笑みを浮かべる。
「バイキング夫婦の件、あんたが上手くごまかして報告書を書いてよね? あの二人を海に返してやるんでしょう?」
一瞬固まったあと、ニヤニヤ笑うフランカの顔を一瞥し。
コンラッドは大きなため息と共につぶやいた。
「やっぱり、可愛くない女だ」