第1話 目覚め
「ツバキ。」
優しくてどこか落ち着く声色。
何も見えない。ただ、向日葵が咲き乱れるような、そんな陽だまりの中に居るようなあたたかさを感じる。
「ツバキ、おはよう。」
声の主もそうだが、ツバキとは誰なのだろうか。
「ツバキ?」
いつの間にか目の前に女性の顔があった。
向日葵イエローのロングヘアーに白い花の髪飾り。そのぱっちりとした大きな目に吸い込まれてしまいそうだ。
「ツバキ……!」
彼女の声色。どうやら先程の声の主らしい。
そしてツバキとは私の事か?
それにしてもここは一体どこだろう。
彼女が私を覗き込んでいる様子から見て、ベッドの上にいるようだ。
私は眠っていたのか。
だとしたら先程の何も見えはしないあたたかい空間は夢なのか。
無機質な天井には蛍光灯が並び、ベッドの周りはカーテンで覆われている。
もしかしてここは……。
「病院……?」
「ツバキ……!ツバキ!!」
彼女は突然私に抱き付いてきた。急な出来事に驚いたせいか心臓がドキンと跳ねる。
「あの……。」
「会いたかった。ずっとずっと会いたかった。」
彼女は私を抱き締める力を更に強める。
苦しいけれど何故か不快では無い。それどころか彼女を抱き締めたいとすら思った。
会いたかった。その言葉が妙に嬉しく感じる。
その時、カーテンが開いてそこに立っていた一人の男性と目があった。
「ツバキ、目が覚めたのか!」
男性はそう言って目を丸くした。
黒の短髪にスッと通った鼻筋。右腕全体には無数の向日葵のタトゥーが入っている。
「良かったな。」
男性はそう言うと、彼女の頭をそっと撫でる。
彼女は目に涙を溜めながらにっこりと笑った。
「目が覚めたんですね。良かった。」
声のする方を見ると、白衣姿の男性が立っていた。この人が医師か。
「あの、私はどうしてここに?」
医師は私の手をぎゅっと握る彼女と頷きあってゆっくりと口を開く。
「亡くなった貴方の蘇生手術が成功し、目を覚まされるのを待っていたのです。」
「……え?」
亡くなった?蘇生手術?私は医師が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
「えっと……ごめんなさい、蘇生?どういう事ですか?それに貴方たちは?」
私がドクターから2人に視線を移して問うと、彼女はハッとしたように目を丸くして、小指に指輪を付けたその左手を私の手から退けた。
「どうして......っ」
どうしてそんなに驚いているのか。次にそう問おうとしたのだが、彼が向日葵いっぱいの右腕で私の胸ぐらを掴んだ事で問いかけは途中で終わってしまった。
「お前、ふざけるのも大概にしろよ!!」
「え?」
ふざけている要素なんてどこにあった?
どうして彼はこんなにも怒っている?
「セカンドのふりして、俺らを揶揄うなって言ってんだよ!」
セカンド……?なんだそれは。
ただでさえ思考が追いつかないのに、この聞き覚えの無い言葉で私の思考は停止寸前だ。
「お兄ちゃん、やめて!」
「こいつは絶対にふざけてる!俺や、てめぇ自身のことを忘れたとしても葵の事を忘れるわけがねぇ!なあ、そうなんだろ?ツバキ!!」
彼は真っ直ぐな目で私に問いかけた。
彼女は葵というらしい。
「お兄ちゃん、ツバキの事離して。」
「駄目だ!こいつが白状するまで……」
「離して!」
彼女が大きな声でそう言うと、彼はようやく私の胸ぐらから手を退けた。
彼女は私の乱れた服を丁寧に直す。
「びっくりさせてごめんなさい。今日は帰るね。」
「え?あの……」
彼女等は私の病室を後にした。
その後、医師による問診が行われた。
名前、生年月日、私が死んだという事故についてなど聞かれたが、私は何一つとして答えられなかった。
そのせいか医師の表情は徐々に険しくなる。
「少し時間を置いてみましょうか。」
数時間後、私の病室に再び医師がやって来て、先程と同じ質問をされた。
当然私は一つも答えられない。医師は諦めたのか蘇生手術について説明を始める。
蘇生手術が法律で認められてから50年。世界ではそれが当たり前となった。
それは特殊だ。当事者の死後に施される。
その為、当事者が手術に同意する訳ではない。
手術の依頼主は先程の彼女であった。
私は5年前の3067年に死亡し、遺体を冷凍保存された後手術を施された。
そして手術から3日が経った今日、ついに目を覚ましたのだ。
だが、目を覚ました私には問題があった。
それは記憶を失っていたことだ。
記憶を失った蘇生者は第二の人生という意味を込めてセカンドと呼ぶらしい。
その症例は世界で50万人程だという。
「記憶を取り戻す方法は無いんですか?」
「生活の中で断片的にではありますが、記憶を取り戻す方もいらっしゃいます。ですが、完全に思い出すことは難しいでしょう。」
それで第二の人生という訳か。
「ではせめて記憶についてお話しいただくわけにはいきませんか?」
彼女は私を待っていた。
その理由を思い出さなければならない。そんな気がするのだ。
「あまりお勧めはできませんので、とりあえず貴方のお名前だけ。」
「ツバキ、ですよね?」
彼女が私をそう呼んだ。
医師は一枚の紙をひらりと私の前に置く。
「白瀬……乙姫。」
それは私の氏名、性別、住所などが記載されたものだった。
「乙姫と書いて乙姫さん。可愛らしいお名前ですね。」
「可愛い……。」
私はその言葉に何故か嫌悪感を覚えたのだが、一旦それは置いておこう。
「さっきの彼女の名前は?」
「日向葵さんです。冷凍期間中も毎日貴方に会いに行ってたそうですよ。」
「日向葵……」
夢の中で感じた向日葵が咲き乱れる陽だまりのようなあたたかさ。
その正体は彼女なのかもしれない。