こじ×こじ
冷や汗を拭う、包丁少女の憎悪には一点の曇りもない。親の仇は討たねばならぬ、親の仇は討たねばならぬ。
人殺しに、為らねば。
「君のパパ、ニガかったよ。思い出しただけで、吐きそうだなぁ」
対するコジは自然体で、うわの空だ。少女を殺したって何の欲も満たされない。男だ、男を殺したいのだ。
ママに言われて仕方なく、少女を殺すのだ。
「んじゃ、始めていいぞー」
女のやる気のない合図に被せて、孤児は面倒くさそうに唱える。
「もう、『消えてよ』」
その詠唱は何故か成立して、風の刃が少女の喉笛を狙う。
見てからでは対処出来ない速度、細い首を刈りにくる必殺の斬撃にいたいけな少女は───感心した。
(これが、『自由詠唱』ッ……!! 初見だったら魔術って分からなかった……)
女の指導通り孤児が口を開いたタイミングで回避の予備動作を行っていた少女は、難なく風の刃を避け切った。
だがこれで終わりではない。もう少し距離を詰めなければ、包丁は届かない。
「ママ、なんで……?」
───想いを灯した蝋燭が死んだ。女が、ママが孤児の異能を少女にバラしたなんて。そんな、そんなバカな。
試合中だと言うのに孤児は、よそ見して絶望して───
「よそ見、すんなッッ!!」
包丁少女の肘鉄が孤児の脇腹をぶん殴り、勢いそのままに孤児を押し倒す。
少女は片手で孤児の口を押さえて、もう片方の手で包丁を構えた。
「アタシはッ!───お前を殺すッッ!!」
涙を流して恐怖を飲み込んで、復讐を終わりにしようと包丁を、突き刺せ!
澄んだ少女の右眼には、怯えた子供の泣き顔が、どろりぐさりと───
「『丸盾』……悪いな」
女の術で、包丁は弾かれた。
◆◇◆
児戯の戦場に湿った北風が吹く。子供のケンカは合図もなく終了した。
泣きじゃくる孤児に、馬乗りで俯く少女。それでも包丁は手放せない。手放せないが、振り下ろせはしない。
「……ツバメ、お前に殺しは───」
「あなたがッ! あなたが邪魔したからッ!! アタシは、アタシは………」
「あぁ、お前の勝ちだ。コジが本気でも、オレが教えてやった魔術使やぁ勝てたとは思うぜ。だがなぁツバメ───お前は人殺しに、慣れるのか?」
俯く少女を見下ろす女、黒い髪の毛をわしゃわしゃと撫でてやる。
「なっ!? ちょっ、何するんですか!」
「頑張ったな、ツバメ。褒めてやるよ」
「そ、そんな、子供じゃ……ないん、だし……うっ、ううぅぅぅ……ひっ、びぇぇぉぇぉぇ!」
「これからも模擬戦、よろしくな?」
「うん、うんっ……ひぇ?」
ついに顔を上げたツバメが目にしたのは───女の下卑た笑みだった。
「いやぁ、丁度コジの練習相手が欲しいと思ってたんだよなァ! 身寄りもねぇ、『神聖教団』でもねぇ少女が運良く転がってくるとはよォ! ギヒヒヒッ!」
「えっ……え?」
「コジを殺す? オレは聖霊だぞ? みすみす『聖霊君主』の卵ォ殺すわけねぇーじゃん!!」
「ギャハハハハハ!」と盛大に笑う女を見てコジはしゅんと泣き止み、包丁少女は目を血走らせ女へと掴みかかった。
「い、いくら何でもあんまりじゃないですかぁ!!? アタシは本気でっ!」
「もちろん悪いなぁ、とは思ってるぜ? だからこそコジの弱点も教えてやったし、オレが直々に魔術の指導もしてやったんだ」
「そぉ!?そんなの後付けですぅ! アタシはそんなつもりじゃなかった!!」
「じゃあ未来の話だ。オレがお前の着る物と食う物ぜーんぶ面倒見てやる、生きていけるだけの『教育』もしてやろうじゃねぇの。───これが精一杯の誠意だぜェ?」
札束ァ口に突っ込んで黙らせようとする女、身寄りもなく金もない少女に対して大人気なさすぎる。
ブチギレた包丁少女も、しどろもどろに。
「まぁお前が包丁捨てんなら、それも構わん。『幽幻』って魔術でコジのことも辛い過去もぜーんぶ忘れさせてやるよ……どうするか、ちっと考えてみな」
胸ぐらを掴むツバメの頭を、また撫でてやる。女はギヒヒと悪戯っぽく笑った。
◆◇◆
「ママは、ツバメのママなの?」
地面から起きあがろうとしないコジは空虚な方向につぶやく、色鮮やかな焚き火は消え黒い炭と化した。
「どうだ、まな板の上で泣いた気分はよォ?」
女は独り言に返事するほど、優しくはない。ヤンキー座りでコジをおちょくる。
荒んだ孤児は無表情で、彼の理想とは真逆の抗議をする。
「死にそうになったよ、ママのせいで。ママに殺されそうになったんだ」
「で? 今どんな気持ちだ?」
女はコジの喉仏を指でトントンと叩く。「なんならいま斬り落としちまうかァ?」と言いつつ、トントン叩く。
「殺したい、ママを殺したいよ」
憤怒であるべき殺意は自分自身をも傷つける。ママを殺したいなどと、願いたくはないのだ。
孤児と呼ばれた時より辛そうに、殺意を吐き捨てる。
(ちっ……ママママうっせぇな。さっきまで「死にたくないぃ〜」って泣いてたじゃねぇか………ん? 待てよ?)
「お前まさか……殺されそうになったから、泣いてたんじゃねぇのか?」
「───ママに捨てられたから、こわかった。もう、アレはいや」
孤児は愛に飢えていた。ただひたすらに愛を求めていた。───だから男を殺した。いつしか手段が目的へ変貌したことに、気づかなかっただけ。
死ぬより怖い孤独はニガくて、自らの親指を齧った。
(失敗、か。まぁコジにとって母親は、人肉くらい大事ってことかァ? ふむ……)
女はひょいと立ち上がり、コジに手を差し伸べた。
「……しゃーねぇ───テメェがコジでオレがママだ。上等だろ?」
森を荒らすほどの突風が、真紅の髪をはね上げた。世にも美しい女がギラリと見える。
いかにも彼女らしい、趣味の悪い輝きだ。
「……いいよ、イイネイイネイイねェ!!」
今にも死にそうだったコジは痙攣みたく身体を起こし、女の手をバシッと握り掴んだ。
───その瞬間、二人は宙に浮遊する。
「なっ!? おいコジ───」
「アハハハハハ! アハハハハハははハハハハ! 天国まで行けちゃいそう!!」
薄暗い森から飛び出して、燕の羽ばたく青空の中へ。困惑する女をよそに孤児はまさに有頂天。
「ママに、やっとママに会えたんだ!!」
翔んで来た烏の首は一人でにもがれた。天にいざなわれて二人、疑いは晴れた。
「ねぇママ、大好き! 大好きだよ!!」
両手を広げて天を仰ぎ、狂喜に満ちて『riA』は綺羅光る。
遥か昔の遠き日の、彼の笑みか。
◆◇◇
手を離された女は落下していた。
(───浮遊した時、コジは詠唱してねぇ。声で『世界樹』に呼び掛けちゃなかった……心で呼んだっつーのか?)
落ちる女の遥か上空には、コジ。
「それじゃあまるで───無詠唱、じゃねぇか」
いくらなんでも、笑えない冗談だ。