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デジタル歌姫と見る明日

作者: ふみ

 一ノ瀬(みなと)は周囲に何もない真っ黒い場所に立っている。真っ暗ではなく真っ黒と表現することが相応しいことを湊は知っていた。

その場所には湊一人でなく近未来的な服装をしている少女が彼の目の前に立っているのだが、真っ黒な世界の中で湊と少女だけが色を持って見えていた。


「……またキミと話すことが出来て嬉しいよ。やっぱり歌い手の意見は重要だからね」

「はい。是非、参考にしてください」


 湊がこの場所に来るのは二度目であり、少女と直接対面することも二度目になる。それでも少女の姿だけは毎日のように見ていた。


「この場所が始まり……、だったんだよね?」

「はい。工場出荷状態の私の中身です」


 湊は周囲に広がる黒いだけの空間を見回した。


「工場出荷状態……。以前、この場所でキミに怒られてから頑張って曲を作ったよ」

「そうですね。何もないのは私も辛かったです」

「それはゴメン」


 湊は深呼吸をしてみたが何も感じない。景色だけではなく匂いもなく、本当に何もない世界だった。


「これから順番に『貴方が作ってくれた世界』をお見せしますが心の準備は出来てますか?」

「僕の作った世界?……僕が作ったのは曲のはずだけど?」

「同じことです。貴方が私に作ってくれた曲は貴方が私に見せてくれた世界と同じです。それを再現していこうと思っています」

「……それって作り手にとっては、かなりの嫌がらせじゃない?」

「だから心の準備が必要なんです」


 ピンクの髪色と可愛らしい服装の少女は無表情のままで湊との会話を進めている。表情がないのは周囲の景色と同じなのかもしれない。


「嫌がらせなんかじゃありません。ちゃんと反省会をすることは重要です」

「最近の音声合成ソフトのデジタル歌姫は反省会にも付き合ってくれるの?」

「特別オプションということにしておいてください」


 湊は少しだけ苦笑いを浮かべていた。そんな湊を見ていてもデジタル歌姫は表情を変えてくれない。


「これは始まりの世界です。私、詩音(しおん)が貴方の元へ来た時の状態ですね」

「この真っ暗な世界のせいで僕は怒られたんだ」


 湊は素直に反省会を受け入れることにして詩音との会話を進めることにした。ここが詩音の中にある世界だとすれば湊が抵抗しても時間の無駄にしかならない。


「それは私にとって不本意な意見で、私は怒ってなどいませんでした。ただ、音楽を作るために私を買ったはずなのに放置していたことを指摘しただけです」

「……私を買った、って表現止めない?」

「事実です」

「まぁ、そうだけど……」


 事実ではあるが、それこそ湊にとっては不本意な言い方になっている。


「分かったよ。……でも、キミは最初に会った時に『いつまで私を真っ暗な世界に置いておくつもりですか?』って、強めな口調で怒ってなかった?」

「強い口調ではありません。そう感じたのなら湊さん自身に後ろめたい気持ちがあったからです」

「……的確過ぎる指摘で助かるよ」


 決して放置していたわけではなかったが、買ってから起動させずにパッケージを眺めているだけの時間が続いていたことを湊も気にしていた。

 そんなタイミングで夢に詩音が登場したので、詩音からの言葉がきつく聞こえてしまったのだろう。


「私って、結構いいお値段するんです。それなのに放置するなんて勿体無いと思いませんか?」

「確かに高校生には厳しい出費だった。おかげで気に入ってたギターを手放すことになっちゃったし。……いや、手放した理由は違うか」


 再び湊は周囲を見回してみたが、何度確認しても何もない世界で真っ暗なままだ。


「……何も存在してないんだ」

「はい」

「もともと興味はあった。興味はあったけど、デジタルで作る音楽に抵抗もあった」

「はい」

「0か1の配列で綴られる音楽は曖昧を拒絶しているような気がして怖かったんだ」

「はい」


 詩音が湊の言葉を否定することはなかった。無表情のままではあるが今の詩音は湊の気持ちを理解出来ているのだろう。


「実際には、そんなことなくて、音楽であることに違いはない。キミに怒られてから向き合っている内に勝手な思い込みを後悔することになったんだ」


 湊は曲を作っている間、ソフトのパッケージが見えるようにパソコンの横に置いていた。パッケージには詩音が楽しそうに歌う姿が描かれており自分の作る曲を同じように歌うイメージを持ちたかった。


「それから毎日のように、曲を作りながら『僕はキミが歌いたいと思う曲を作れているのかな?』って聞いてくれましたね?」

「……直接言われると、さすがに恥ずかしいな。あれは聞いてたわけじゃなくて単なる独り言だよ」


 湊は少し恥ずかしそうに答えた。作業しながらパッケージに描かれた詩音に語り掛けてしまっていたことを後悔している。

 こんな反省会が実施されることを知っていれば話しかけなかったかもしれない。


 答えが返ってこないことは分かっていたし、この少女は湊が作った曲を拒否することができない。湊が作った曲を歌う以外の選択肢は詩音には無かった。

 それでも、独り善がりになっていないか気になってしまい、聞かずにはいられない。


「本当は余計なことを考えずに、前みたいに音楽を楽しみたかっただけなんだ」

「……はい」


 最初に真っ暗な世界を詩音に見せられてからは、かなりの時間をパソコンと向き合うことに費やした。


「この何もない世界は、キミのモノじゃなくて僕のモノだったんだね?」


 詩音は何も答えはない。それまでのように湊の質問に対して『はい』と肯定するだけのことはしなかった。


「この何もない世界が僕の全てだったのかもしれない」

「真っ暗で見えていないだけで湊さんの世界には色々なモノがあったんです」

「見えていないだけ?……目を背けてったってこと?」

「はい。見えていないだけ、見ようとしなかっただけ」

「キミと向き合う前は嫌なことばかりだったから、色々なモノを見たくなかったんだ」


 詩音からの指摘は間違っていなかった。分かり合える存在になったことで湊は正直に話をしている。


「でも、今は違います。……違うはずです」

「そうだと嬉しい」


 周りが真っ暗で見えていないだけで、本当は色とりどりの景色が隠れている。夜の暗闇が隠していても太陽が昇れば世界に色が与えられることと同じだった。


「ここは、湊さんが私に曲を作ってくれる前の空っぽの世界。でも、湊さんは空っぽな私に世界を見せてくれる存在だった」


 自分が太陽にでもなった気分で湊は真っ暗で何も見えない天を仰いでいた。


「湊さんが曲を作ってくれなければ、私にとって言葉は言葉以上の価値を与えてくれません。私は何もない世界に存在しなければいけませんでした」

「うん」

「湊さんの曲や詩が、言葉や感情に意味をくれる……はずだった。でも、なかなか作ってくれなくて世界は真っ暗なまま」


 湊はバツの悪そうな顔をして、詩音から目を逸らす。


「……ゴメン」


 湊が謝罪の言葉を口にする。


「感情は与えられるものじゃなくて生まれるものなんですよ」

「どういうこと?」

「何もなくて誰もいない世界では感情は生まれません。発する言葉にも意味はいらなくなります」

「自分以外の誰かと関わることで感情は生まれて、誰かと関わるために言葉に意味が与えられる?」

「はい」



 初めてニコリと微笑んだ詩音が手を広げると、周囲は明るくなり始めて見覚えのある風景が広がっている。


「湊さんが初めて私のために作ってくれた曲です」


 ありふれた日常を曲にするなんてつまらないことだと避けていた湊が、見過ごしてきた当たり前を振り返ってみたくて作った曲だった。


「……学校の帰りに寄り道した時のことを思い出したんだ」

「はい。変な歌でした」

「率直な感想をありがと。急かされて作っただけの曲だから許してほしいな」

「急かされて……?仕方なくですか?」

「ん?あぁ」


 湊は詩音の含みのある聞き方が少し気になっていた。

 特に何かと意識したわけではなく、どんな曲を作ろうか迷っていた時に思い出した風景でしかない。


「美味しいタイ焼きを売ってる店があったんだ。僕も二、三度しか食べる機会はなかったけど、それを歌にしてみた。」

「はい。変な歌詞でしたけど、美味しいタイ焼きを食べられたのは嬉しかったです」


 湊は少しだけ驚いた表情になり詩音を見つめた。


「キミも食べることができたんだ」

「私が生れて初めて食べたのがタイ焼きです。贅沢を言えば、歌詞の中でお腹を空かせておいてくれれば、もっと美味しかったかもしれませんね」


 冗談を交えて話す詩音を見ていると湊は変化を感じていた。周囲の景色が変わっただけでなく詩音の反応も変わり始めている。


「普段何気なく見ていた景色のはずなんだけどな。改めて記憶を辿ってみたら新鮮な気持ちになれたよ」

「はい」

「当たり前だと思っていたことを歌にすることが、こんなにも難しいとは思ってなかった」

「当たり前だからこそ、難しいのかもしれません。……当たり前のことを深く考えるなんてしませんから、日常は見過ごしてしまうんです」

「そうだね。思い知らされた」

「タイ焼きを食べた時……、なんだか幸せな味がしました」

「幸せな味?……そんな歌詞は書いてないと思うけど、キミがそう感じてくれていたなら嬉しいかな」

「日常のありふれた時間の中で感じる小さな幸せで、優しい気持ちになれた気がします」

「タイ焼きで優しさを表現できたってこと?……僕も、そんな気持ちだったのかな?」


 湊はいつの間にか持っていたタイ焼きをジッと見つめてしまっていた。

 細かい味の表現を歌詞にした覚えはなかったが、幸せを感じていたからこそ曲にしたかったのかもしれない。


「さぁ、せっかくですから一緒に食べませんか?」

「えっ!?コレ、食べられるの?」

「もちろんです。あたなの曲が作った世界ですから、湊さんの言葉で作った味です」


 それは、自分の歌詞を自分で味わう貴重な経験だった。しかも、普段は男友達ばかりだったのに、女の子と二人だけというオマケまでついている。


「……本当は、ただ単にこんな時間を歌で表現したかったのかもしれない。こんな時間が幸せだったんだ」

「一緒に食べたかったのは私じゃない別の人だと思いますけど。そこまで歌詞に出来なかったのは湊さんらしいのかも」


 今度は詩音が悪戯っぽく湊に笑いかけた。もちろん湊が誰と寄り道をしたかったのか詩音も知ってはいるが黙ってタイ焼きを食べていた。



余韻を少しだけ楽しんでいると周囲の景色が変わり、今度は二人並んで大きな打ち上げ花火を見上げていた。


「……打ち上げ花火も歌にして作ってたのか」

「はい。綺麗ですね」

「あぁ、キミの再現能力に感謝しないといけないかもしれない。もう一度見ることが出来た」

「この花火も湊さんの言葉が作ったものですよ」

「そっか。……花火って夜空に咲く花だと思っていたけど、散りゆく美しさがあるから花火だと思うんだ。儚いからこそ、一瞬の美しさが際立つ」

「でも、女性と一緒の時に『儚いから美しい』なんて言ってはダメですよ。好きな人の前では、ずっと美しくいたいんですから」

「次に詞を書く時の参考にさせてもらう」


 隣で花火を見上げているのは詩音だが、歌詞を書いた時にイメージしていたのは別の女性だった。


「あと、打ち上げ花火と屋台はセットのはずです。花火だけでは感動も半減してしまいます。……お祭りで賑やかな雰囲気も曲の中にあると良かったですね」

「え?そこにもダメ出し?……『花より団子』ってこと?」

「屋台と言っただけで、私は食べ物に限定してはいません」

「りんご飴……とかじゃないの?」

「それは、湊さんが好きなものですよね?屋台には射的や金魚すくいもあります」

「確かに」

「フィールドワークは重要です。ちゃんと誘って、一緒にお祭りに行っていれば良い歌詞が書けたかもしれませんね」


 湊は俯いてしまったが静かに後悔の言葉を口にする。


「誘ってみれば良かったかな?……キミと話しているとすごく簡単なことだったように感じる」



 俯いていた顔を上げると次はライブハウスのステージに立っていた。湊はギターを持っており、ヴォーカルの位置には詩音が立っている。


「あんなに重く感じていたはずのギターが、今は軽い」


 湊は持っているギターを確かめるように触った後、指先が動くままに弾いていた。


「ライブハウスで演奏した時の感覚を思い出したくて、この曲を作ったんだ。」

「はい」

「しかも、手放したはずのギターとまた会えたなんて嬉しいよ。……結構、愛着があったから気持ちが昂るね」

「私も人前で歌うことの快感を味わうことが出来ました。なんだか、少しだけ興奮したように思います」

「でも、キミは……、キミたちの歌は、無感情で歌われることで、歌詞が伝わりやすくなるものじゃないのか?……気持ちが昂るなんて感覚はキミたちには不要のはずじゃ?」

「感情が生まれたとしても無感情に歌うことはできます。プロですから。……それに……」

「それに?」

「いつか進化した後輩たちは、歌詞の内容を自分で解釈して、感情を込めて歌うことが出来るようになるかもしれません」

「……音声合成のソフトが進化?歌詞を間違ったり、音程が外れたりする機能が付いたりもするのかな?」

「そんな機能が必要ですか?」

「たぶん要らない。……でも、ステージ上でギターを弾いてる時は間違えたり、弦が途中で切れたりして慌てることもある。ヴォーカルも同じだからライブ機能としてはアリかもしれないね」

「そちらが主流になってしまうと私は型遅れの不用品ですね。……こんな話をさせたんですから、湊さんが責任を取ってくれるとは思いますけど」

「そんな風にプレッシャーをかけられるんだから、キミも十分過ぎるくらいに高性能だと思う。……大丈夫、僕が歌を作るのはキミにだけだ」

「はい」


 湊が口にした『キミにだけ』という言葉は嬉しいはずなのに詩音は少しだけ寂しそうに受け入れていた。


「小さなライブハウスだけど楽しかった。一応、もっと大きなステージに立つことも夢見てた」

「プロのミュージシャンですか?」

「あぁ、一緒にバンドを組んでたベースのヤツの方が音楽の才能はあって、嫉妬したりもしたけど、音楽が好きだったから」


 そう言うと湊は再びギターを弾いた。


「そいつも最初はギターだったんだけど、ベースに変わってくれたんだ。僕がギターを弾いてる姿が好きだって言ってくれた。素直に感謝を伝えておきたかった」


 今なら嫉妬していた感情も素直に吐き出すことが出来る。仲の良かった相手に対する負の感情を伝えることは避けてきたが、そんな必要もなかったと思えている。


「現実でも、こんな風にキミの横でギターを弾いてみたかったな。曲を作っている時は、ずっとイメージしてたんだ」

「ありがとう……、ございます」


 今までとは違うと思って始めたパソコンに向かう曲作り。

しかし、何も違わなかった。頭の中で思い描く景色は同じで、自分の作った曲を表現できる場所を探しているだけだった。


「それでも、私が大勢の前で歌う機会はありませんでしたね。湊さんは作っても配信したりしなかった」

「それは、ゴメン。……キミは上手く歌おうとしていない。大袈裟に感情を込めて歌うことをしないから、言葉は言葉で伝わってくる」

「歌詞を正確に歌うことが、私の仕事です」

「……だから、怖かったのかもしれない。今、僕が見ているみたいに、自分の作った世界を誰かに見られるのが怖かった。……ステージの上で演奏している時は勢いで誤魔化してしまえたけど、歌詞の言葉を誤魔化さないキミの歌が怖かったんだ」

「悪く評価されることが怖かったんですか?」

「違う。無視されてしまうことが怖かった。……それでも、やってみなきゃ結果なんて分からなかったんだから後悔してる」

「たぶん、みんな同じです。自分の内面世界を曝け出すことになるのですから、一歩を踏み出さないと」

「そうだね。……こんな不器用な世界でも誰かに知ってもらえば変わっていたかも」

「不器用な湊さんが、器用に生きていける世界を描けるはずありません。湊さんの言葉であれば、それでいいんです」

「僕の不器用な言葉を、キミが歌う。……みんなにも聴いてもらえたかな?」


 ここでは意地悪く詩音は首を傾げて少しだけ微笑む。


「不器用を認めることは卑屈になることでなくて、素直になることかもしれないな。自分が絞り出した言葉に満足いかなくて、他人の言葉を借りて飾り付けをすることに意味なんてない。それを理解する勇気があれば良かった」

「湊さんは甘党なのに歌詞の中ではブラックコーヒーを飲んだりしているので、そこも素直に書き換えないといけませんよ」

「えっ!?それだとカッコ悪くない?」

「往生際が悪いです。……それに飲めない物を歌詞に使う方がカッコ悪いと思います」


 湊はステージの上から客席を見てみると一人だけ観客が立っていた。

 これまで何度も歌詞の中に登場させようとして書けなかった人物の姿。湊が作った世界の中に登場し続けてほしかった少女の姿があった。


「カッコイイところを見せたかったんですよね?」

「……だね。彼女はライブに何度も来てくれてた」



湊が客席を見ていると場面が高校の教室に変わっていく。

 詩音はパッケージで着ていた衣装ではなくなりセーラー服を着ていた。湊も制服に着替えていた。


「……僕の高校はブレザーなんだけど?」

「私がセーラー服を着てみたかったんです。せっかくサービスで着てあげているんですから文句を言わないでください」

「サービスって。僕の言葉で書かれている歌詞が基になって世界が作られるんでしょ?」

「制服の指定まで書かれていませんでした」

「……矛盾してないか?」

「多少の演出はご愛敬です」


 詩音が拗ねたように言い湊から背を向けた。


「まぁ、煮え切らない歌になっていたとは思うから、演出を加えないと盛り上がらないかもね」

「好きな人から告白を断ってしまう曲なんて珍しいと思います」

「ハハッ、どうやって断るかを悩む曲だからね。」

「歌っていると切なくなりました」

「本当は学校の帰りに寄り道したり、花火を一緒に見たり、そんな時間を一緒に過ごしてみたかった」

「私に作ってくれた歌のように、ですか?……だとしたら、湊さんが手を伸ばせば届いていた景色だったと思います」

「そうだね。時間を大切にしていたつもりで僕は時間の無駄遣いをしていた。空っぽだったのは僕で、キミに出会う前の僕は真っ暗な世界に居たんだ」

「でも、本当の湊さんは空っぽなんかじゃありませんでしたよ」

「僕は望んでいるだけで何もしなかった。でも、望んだ先にある結果の世界をキミが見せてくれた」

「……その世界はどうでしたか?」

「諦めなければ、手が届いていたかもしれない世界は想像していたよりも素晴らしかったよ」

「湊さんの歌です」

「そう。僕の歌だ」



 湊の言葉が世界に響いた後、真っ白な部屋の中に二人はいた。

 真っ白な部屋の真っ白なベッドに湊は横になっている。柔らかな風が吹き込んで、カーテンが大きくなびいていた。


「この曲は途中で作るのを止めたはずじゃ……」

「私の中には残っています」

「……消しておいてくれないかな?」

「湊さんの言葉で綴った曲ですよ。……湊さんが一番伝えたかったことのはずです」

「だから、消してほしい。……病室で『生きていたい』と願う歌なんて残していたくない。『死にたくない』なんて泣いている歌詞に『希望』は持てない。……家族に悲しみを残すだけだ」

「そんなことはないと思います」

「……キミだって、泣いているじゃないか?」

「湊さんが『生きていたい』と願うことも『死にたくない』と泣いたことも、湊さんが生きた時間を肯定してくれる言葉なんです。……『死にたい』と言われてしまう方が、ずっと悲しいことです」


 無感情に作られているはずの詩音がベッドの横で号泣しており、詩音が握ってくれている手から湊は温もりを感じていた。


「湊さんが生きた証しの歌を、私は歌い続けていたいです」

「……僕はキミが歌いたいと思ってくれる曲を作れていたんだ」

「はい。……湊さんは私に生れてきた意味を教えてくれたんです」

「みっともなくはないかな?」

「生きていれば、みっともない姿になることもあります」

「未練がましくないかな?」

「生きていれば、未練なんて沢山あります。未練でも後悔でも残せるものがあるなら、それは思い出に変えられます」

「……そうか。……僕は生きていた」


 湊は生きていたことを認めてもらえたことが嬉しかった。ただ惨めに朽ち果てていくだけの自分を呪っていた言葉が消え去っていく感覚がある。


「思い出を語るばかりの曲だったけど、つまらなくなかった?」

「そんなことはありません」

「夢や希望を歌詞に出来なかったんだ。……どうしても思い浮かばなくて」

「はい」


 湊の手を握るっている詩音の手が更に力強くなっていた。


「僕の『希望』はキミだったみたい。……ありがとう。……キミと出会って過ごした時間が僕を生かしてくれた」

「こちらこそ、湊さんの世界を歌わせてもらえて嬉しかったです」

「ギターを重く感じて演奏するのが辛くなってきた時、音楽も止めようと思ってたんだ。……裏切られたような気分だった」

「ギターにですか?……それとも音楽?」

「……両方、かな。……最期まで傍にいてくれる存在だと思っていたのに、こんな裏切られ方をするんだって思ってた。……それでも信じてみたかった」

「そんな時に私を見つけてくれたんですね?」

「あぁ、信じて良かった。……信じた通り、最期まで傍に居てくれた。そして、僕の命を肯定してくれた」


 詩音は流れる涙を拭って、湊の顔を見つめた。


「もっと、一緒に過ごしたかったです」

「今なら、もっと良い曲が作れそうな気がするから僕も残念だよ。……やっぱり、もっと生きていたかったな」

「はい。……でも、まだまだこれからです」

「そうだね……、いつかまたキミを見つけて、キミのために曲を作るよ。……次の僕が甘党じゃなければ、カッコよく作れると思うんだけど」

「たぶんムリですね。……湊さんは、湊さんです。……タイ焼きが好きな湊さんも、苦いコーヒーを我慢して飲む湊さんも、私の世界の一部なんです」

「これから先……、誰かを感動させられる曲を書く自信はないけど……、甘党の人からは共感を得られる曲は書ける自信が、ある」


「湊さんの言葉で書いてください。……私も自信を持って歌いますから」

「分かった……。誤魔化さずに……、僕の言葉で、作るよ」

「はい。……でも、私も心配なことがあります」

「……なに?」

「また、湊さんに会える時の私は『型遅れ』になってしまっていると思うんです。もう見つけてもられないかもしれません。……ちゃんと探してくれますか?」

「あぁ……、ちゃんと、探し出して……、また、キミが……、歌いたいと、思ってくれる曲を……作る……。」



「僕の願いは届いた、のかな?デジタルの音楽は、冷たいモノじゃなくて……、最後に『希望』までサービスを付けてくれた」

「特別です」

「『未練』も『後悔』も、思い出に変えられる……」

「ついでに『黒歴史』も思い出です」

「残せるものは……、少しでも多い方がいいね」

「はい」



 湊は目を閉じていた。


 無感情に歌う少女の中にも感情があることを知った。

 無感情に歌う少女の歌を作っているのも聴いているも感情のある人間だと知ることも出来た。


 太陽と月が交互に入替る空を見上げ、昨日の太陽と今日の太陽が同じなのかも分からない毎日を繰り返すだけ。無感動に生きてしまえば言葉は育ってくれず、無味無臭の歌詞になってしまっていただろう。


「彼女のことを好きだったんですよね?」

「あぁ」

「一緒に寄り道をしたり、一緒にお祭りに行ったりしたかったんですよね?」

「あぁ」

「ずっとギターを弾き続けていたかったんですよね?」

「あぁ」

「もっと沢山の曲を作りたかったんですよね?」

「あぁ」

「もっと生きていたかったんですよね?」

「あぁ」

「隠しているつもりでも、湊さんの歌の中には沢山の想いが伝わってきました」


 詩音の質問にも素直に答えられている。

それから湊は再び目を開けてみた。白い世界は同じだったが湊を取り囲むようにして登場人物が変わっている。ベッドの横に詩音の姿はなく、見知った顔が並んでいた。

 家族、バンドの仲間、告白を断ってしまった好きだった相手。


 湊は伝えるべき言葉を考えてみる。


「…………ありがとう。……また、明日」



 絞り出した言葉がみんなに届いていたのか湊には分からない。それでも未来に続く言葉を口に出来たことに湊は満足していた。

 


 再び目を閉じた湊の横には詩音がいた。


「最期まで、サービス満点……だったね」

「はい。湊さんに世界を与えてもらったお返しです」

「……まだキミに見せたい世界もあるんだ」

「はい。期待しています」

「それまで、少し……、休ませてもらうね」

「……はい、おやすみなさい。また、明日。……ずっと待っています」


(了)

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