猫の本屋
こんな本屋があったらいいな、と想像してみました。
そこは、世にもまれな猫の本屋。
人間が人間を主役にした本を売るように、そのお店では、猫が主役の本をズラリと置いているのである。店員は勿論、全員猫である。黒、白、茶、灰色。毛並みも模様も色々いて、虎に始まり三毛に終わるまでとりどり勢揃い。一方客も何でもござれで、猫でも人間でも、犬や狸、変わり処で時々鼠なんかもやって来る。無論捕って喰いやしない。
店員猫は誰かが店に入ってくるとまず「にゃあ」といって寄ってくる。しかし決まってあと一歩の距離からは近づかない。シャナリと立ち止まり、大きな両目でじっ、とお客を見定める(店内はちょっと薄暗がりになっていて、猫の目は爛々と輝くのだ)。そしてやおら、前足でひょいと本棚を指す。そこには絵本から論文まで選り取りみどり、猫大活躍のあらゆる本が所狭しと並んでいるのだが、不思議なことに、お客がちょうど読みたいと思っていた本にピタリ、と視線が合う。
ところで、お客が魅惑の書架に気を取られた途端、猫の店員はいなくなっている。猫ってのは目を離すと、いつの間にか姿をくらましているのだ。
猫目当てで訪れる猫好きは、本棚か、猫を見つめるかで葛藤することになるだろうが、ここは迷わず本を選んでほしい。店員猫は、ちょっと離れた本棚の隙間からほら、そっとお客を見守ってくれている。
そして買う段になったら影のようにスルリと立ち現れるからご安心頂きたい。あのうらやまけしからん肉球でタタタタンと華麗にレジを打ち、ぽてんとお釣りを渡し、終わりにまた「にゃあ」という。これが「またおいでやす」の合図である。
店員猫の機嫌が良いと、肉球柄の栞を挟んでくれるらしい、というのがこの店の密かな噂だが、残念ながら私はまだ貰ったことがない。更には肉球スタンプカードなんて洒落れたものを自作して、時々押してもらう常連客もいるそうだが、実際に押してもらえるのは、気まぐれな店員猫たちの気が向いた時だけらしい。
人の世のポイントカードのように、必ず貰える特典ではないのが残念なような、かえって面白いような気もする。
さて肝心の商品はといえば、二足歩行向けにみっちり文字の詰まった本棚の隣には、見たところ人間には読めないらしい本の棚がある。本というか謎めいたものたちーー砂、枯れ葉や小枝、爪とぎの跡がしっかり残った毛布、皿、光り物、あと何だかよく分からないものーーーが並べられている。それらをしげしげと観察してみると、何とはなしに並べ方が暗号めいていることに気付く。ひょっとすると私には分からない法則や秘密があるのかもしれないが、残念ながら真相は謎だ。何しろ私には、彼らほど優れた嗅覚も聴覚(それとも第六感?)もないのだから。
私は生憎、他のお客とかち合ったことがないのでこれは想像だが、もし犬や猫、鳥がこの店にやってきたら、この不思議な本棚に各々登って臭いをかぎ、味を確かめ、ツンツンとつつき、そして納得して喉を鳴らす。そんな光景が見られるかもしれない。
ところでこの本屋、基本的に夜しか開かない。だからいつ行っても外は真っ暗闇なのだけれど、店内はふんわり明るい。猫の毛玉のように真ん丸な灯りが天井や壁からたくさん吊るされ、柔らかい光が本棚を照らしている。
お客は窓からこぼれた灯りを目指してお店を訪ねるのだが、その仄かな目印はいつも見つかるとは限らない。
というのも不可思議なことにこのお店は神出鬼没で、夜ごと住所が変わるのだ。何丁目何番地、なんて地図を覚えても翌朝になれば煙のように消えてしまう。翌朝にはお店の影も形もございません。
何しろ猫のお店であるからして、何処にでもあり何処にもないという、これまた気まぐれな質なのである。
それでも誰かが猫の本を求めれば、本屋はどこからともなく現れて、おいでおいでと招いてくれるのだからありがたい。
例えば私が出掛けた帰り道にふと、そういや猫の本屋は最近ご無沙汰してるな、などと思いながら薄暮れる林の中を歩いていれば、たちどころに朧気な灯りが見えてくる。
実際のところ、お店の本当の居場所は誰も知らない。お店がひょいひょい引っ越しているのかもしれないし、はたまたお客がどこぞに迷いこむのかもしれない。
昨日は静かな林の中、今日は寂れた商店街の裏路地、明日は住宅街にひっそり佇む神社の奥……なんて具合に。
猫のように気まぐれで、謎だらけで、そして人懐こい。
魅惑の本屋はいつも、訪れるお客を待って、そっと佇んでいる。
ほら、今日もお疲れ様なあなたの帰り道にも。ふんわり、ころころと灯りが見えてくるかもしれないよ。