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8 少しの時間と小さな奇跡

 白い光を浴びて大きく伸びをしてから、カテリナは清々しい朝の空気を吸い込んだ。

 物心ついてからというもの、およそ高い熱を出したこともなければ寝込んだこともないカテリナ、その健康の秘訣は事が大きくなる前の察知能力と、潔い撤退にあった。カテリナの大きく澄んだ心の目は自分の体に負荷がかかっていることを誰より早く見抜き、どんな楽しみがあろうと予定があろうと、布団をかぶって寝る健康第一習慣を身に着けていた。

 慣れない陰の空気、好きじゃない酒の匂いを感じたときから、歯向かうのも鬱屈するのもやめた。そういう自分に、ちょっとだけ呆れることもある。

 自分は事が起こったときに戦えないんじゃないかな。本当は騎士に向いてないのかもしれないと。

「カティ、起きた?」

 そういえば騎士団寮の自室に戻ってきたのは三日ぶりだった。二段ベッドの上からウィラルドが呼んだので、カテリナはほとんど平らの胸の一番上までボタンが留まっているか一応確認すると、ベッドに下がるカーテンの隙間から顔を出す。

「おはようございます。ウィラルドさま、昨日はありがとうございました」

「やめてくれよ。今の俺はカティの上官じゃないんだから」

 ウィラルドは器用に片方の眉だけ上げて、顎をしゃくって何かを伝えてきた。

 胸は見えていなかったが、寝起きだったのではだけた肩に下ろした黒髪がそのまま流れていた。カテリナの体型は無理に偽らなくとも少年じみているが、光を抱いているような豊かな黒髪は成長するにつれて女性的になっていて、普段は帽子の中に隠したり、ねじってなるべく小さくなるように縛っていた。

「着替えます。すぐ終わりますから」

「いいよ。焦るな」

 また伸びてきちゃった。そろそろ色も染めないとと思いながら、カテリナは慌てて着替えを始めた。

 カーテンに囲まれた限られた空間で手早く着替えるのは慣れているが、誰か様子を見に来たらと思うときはあった。学生の頃はもっと無遠慮にお互いの部屋に入り込む同級生もいたが、その焦りは年々増している気がする。

「大丈夫だよ。カティは別に、何も悪いことはしてない」

 たぶんウィラルドはカテリナが女性であることに気づいているのだろうと、口には出さないがわかっていた。学生時代からずっと同室で寝食を共にしていて、わからないと信じるほどカテリナは自分のことが見えていないわけじゃない。

 もしかしたら同僚たちだって知っているのかもしれないが、誰もカティを貶めるようなことはしなかった。平和な時代に生まれたのを誰に感謝すればいいのかわからないように、カテリナは誰一人名乗りを上げずに今の彼女を許してくれたことに感謝している。

 いつまでそういう周りの優しさに甘えているの? 飛来するように、カテリナの中には後ろめたさがある。

 父との関係を伏せている人は他にもいるだろう。性別を偽ることだって、それ自体が悪いこととは思わない。

「最終日は実家に帰るんだってな。親父さんが喜ぶよ」

 でも自分のそういう選択のせいでずっと心配をかけてきた父にだけは、いつか自分にできる精一杯の贈り物を返したいと願ってきた。

 はい、とカテリナはうなずいて、カーテンを引いた。

「最後のワルツを誰と踊るかは、もう決めてるんです」

 ウィラルドが問い返す前に、カテリナはいつもの士官服を一分の乱れもなくきちんと着てそこに立っていた。

「仕事に行ってきます!」

 晴れやかに宣言して敬礼をすると、カテリナは駆け足で寮を出た。

 祝祭が終わったら士官をやめる。その後のことは、何度も考えたから迷うことはないだろう。

 階段を上り回廊を渡り、顔なじみになってしまった近衛兵に敬礼して、その部屋をノックをする。

 返事がなくて近衛兵を振り向いたが、彼はどうぞと合図を送ってきた。カテリナは首をかしげながら陛下の自室に立ち入る。

 いつになく早い時間だからまだ眠っているのも想像したが、ギュンターは既にいつもの席に掛けて書面仕事をしていた。

「朝食は召し上がったのですか」

 反射的に問いかけたのは、たぶん自分の職務ではないとわかっていた。

 この人、誰か止めないと体を壊すんじゃないだろうか。自分がこの任を離れた後、ちゃんと止めてくれる人はいるんだろうか。

「体調は良くなったのか」

 そんなことは自分の仕事じゃないと思っていたけど、それを言うなら開口一番問われたことだって、別に彼が言わなくてもいいことのように思った。

 一騎士が国王陛下の最愛の人を決められるはずもなく、彼がもう決めてしまったカテリナの選択を変えられるとも、もちろん思わなかった。

「あまり時間がない。今日は星読み台へ向かう仕事があるからな」

 でもあと少しカテリナはここですべきことがあって、まだカテリナは精霊だけが知っている未来を知らない。

「お望みのとおりに」

 もしかしたらそこに小さな奇跡が待っているかもしれないと信じて、カテリナは今日も自分の席に向かう。

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