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25 ビターチョコレートの儀式

 建国のときに精霊がまたやって来ると約束した日、それが降臨祭の最終日と決められている。

 初代国王は騒ぐことが大好きなヴァイスラントの国民性は当然知っていて、最終日から数えて十日間を降臨祭としたわけだが、公式見解では最終日以外はただの祝日だ。現在の国王ギュンターとしても、別段降臨祭に便乗して国民に何かの義務を課すつもりはないのだった。

 しかしそんな良心的な国王の下、ヴァイスラント国民はのびのびと降臨祭を満喫していて、いつの間にか国民の手によって公式行事を創設することに成功していた。

「ということですので、陛下。早速サロンへお出ましください」

 最終日の前日の朝、いつものように執務室で仕事を始めようとしたギュンターの下に、ある重臣が訪れて進言した。

「どういうことかわからない上に、忙しいのだが」

「お忙しくはないはずです。昨日の嵐の最中、マリアンヌ様が大方片付けてくださったとのことですから」

 ギュンターが毎度心の中で舌打ちするこの重臣、ゲシヒト・バルガス総帥は、元が農夫であったとは思えないほど理詰めで動く男だった。

「ついでに私はその行事について聞かされていない」

「はっ……申し訳ございません! 失念しておりました」

 大いなる到達点に向けてあらゆる困難を乗り越えて進み、その過程で肝心なところをすっ飛ばすところなど、さすがカテリナの父親でもあった。

「私の責任です。荷物をまとめて午後にでも辺境に帰ります」

「帰るな、卿よ。あなたにはやってほしい仕事がまだ山ほどあるんだ」

 その気概は大いに国を盛り立ててくれたのだが、未だに新米騎士並みの素直さで仕事に当たるので、ギュンターは彼の前でうっかり舌打ちもできないのだった。

「わかった。いや、何もわかってはいないがわかったことにして話を進める。私は何をすればいいんだ?」

 ギュンターが油断したのは、いつもヴァイスラント国民が創設する公式行事はそんなに手間がかからないためだった。大体何か食べるか踊るかのどちらかで、国王たるものその程度の余興くらいはたやすくこなしてみせなければならない。

「陛下には召し上がっていただきたいものがございます」

 ゲシヒトは満面の笑顔になってうなずくと、ギュンターを導いて歩き出した。

 彼が向かったのはローリー夫人のサロンで、扉を開くとそこは一面ピンク色の世界だった。

「ローリー夫人があちこちにお声がけくださいましたので、朝から大変盛況しております」

 精霊が好きだったというピンク色の牛乳でも飲めばいいのだろうかと、気楽な気持ちで辺りを見回すと、普段とは違う濃密な香りがギュンターを包んだ。

 全体的に部屋が少女趣味で、テーブルの上のレースから観葉植物の類までピンクだらけだった。ヴァイスラントの国民はこういう形から入る盛り上がり方が好きなので、ギュンターもいつものことと不審には思わなかった。

 それはそうと、ゲシヒトは熊のような見た目に反して繊細な心配りができる男で、流れるようにギュンターを席に導いて、ローリー夫人への代理のあいさつもこなしていた。

「カティ、今後の参考によく見ておけ。随行というのはああやって……」

 いつもの癖で斜め後ろに話しかけたがそこに少年騎士の姿はなく、ギュンターはそこに久方ぶりの令嬢の苦笑をみとめた。

「すっかりお側にいるのが当たり前になっているのね、カティさんは」

 鈍さは自覚があるギュンターでも、さすがにアリーシャのその言葉が皮肉だとは気づいた。

「お隣、よろしいかしら?」

「あ、ああ」

 優雅に隣の席に座るアリーシャに、振られて気まずいのは俺の方なんだがと思いつつ、アリーシャが怒っている気配をひしひしと感じて何とも言えないギュンターだった。

 今日、カティは用事があるとかで、遅れて出勤してくる予定だった。今はなぜかお守りのようにカティに側にいてほしかったと、ギュンターは訳もなく冷や汗をかく。

「お揃いのようですね。では」

 いつの間にか司会も担当しているゲシヒトが、列席者を目視で確認してから口を開く。

「降臨祭の成功を祈念して、陛下にチョコレートを召し上がっていただきます」

 ここに来る間にゲシヒトから受けた説明によると、ギュンターはこの行事の最初にチョコレートを食べればいいらしい。

 これまでに数々の行事で種々の食べ物を口にしてきたギュンター、別にチョコレートくらい笑顔で食べきってみせる自信がある。

「国民を代表して、アリーシャ嬢。よろしくお願いします」

 問題は、この行事は「女性が初恋の男性にチョコレートを贈る」というもので、食べてもらえれば今の恋が成功するという、誰が決めたかわからないルールがあるのだそうだ。

「ありがとう」

 今の恋のためにチョコレートを食べさせられる過去の男の気持ちを考えてくれ。ギュンターはそんな素朴な疑問を世の男性たちにもっと持ってほしいと思いながら、お祭りに頭が春になっているヴァイスラントの民たちが聞くはずがないのもわかっていた。

 ギュンターはアリーシャから星型の箱を受け取って、そこからチョコレートを取り出す。

 口に入れて、一瞬そのあまりの苦さに吹きそうになった。目だけでアリーシャに訴えると、彼女は涼しげに微笑んで見せた。

 ちなみに苦ければ苦いほど新しい恋がうまくいくらしい。繰り返すが、それを食べさせられる過去の男の気持ちをもう少し汲んでほしい。

 カティ、何の用事かわからんが早く出勤しろ。ギュンターが心の中で叫んでいたのと同じ頃、カテリナは騎士団寮の一室でチョコレートを差し出していた。

「ウィラルドさま、受け取ってくださいますか」

 カテリナは騎士団寮の自室で着替えて髪も下ろし、地味ではあるが家でだけ着る女性の服装をまとっていた。

「こんなこと言ったら迷惑だってわかってます。私は女で、それで……騎士団に入ったときから、ウィラルドさまが好きだったってことも」

 向かい合って立つウィラルドは、驚くさまもなく、ただ少し目を伏せてカテリナの言葉を聞いていた。

「降臨祭がなければ、私は何も打ち明けずに騎士をやめていました。でも降臨祭は、私を囲む幸せにも気づかせてくれた。私は騎士でいたいんです」

 次第に声が小さくなって、カテリナは赤くなりながらぼそぼそと言う。

「ごめんなさい。黙ってて。……好きなんて言って」

 また彼の下に戻るのを考えるなら、性別も好意のことも、言わない方がいいのはわかっていた。それでも言ってしまったのは、たぶんウィラルドに甘えていた。

 そういうカテリナのことを理解した最初の他人も、きっとウィラルドに違いなかった。

「一応言っとくよ。カティはさ、真面目に仕事しようとするあまり、俺に好かれようってがんばってた気がする」

 ウィラルドは目を上げてカテリナを見やりながら、上司らしい諭すような声音で言った。

「それはたぶん恋じゃないよって言ったら、カティの今の恋を否定することになるか?」

「今の恋? 私が?」

 カテリナは目をまたたかせて、不思議そうに問い返す。

 ウィラルドは苦笑してうなずくと、カテリナはうつむいて思いを巡らせる。

「カティは恋をしてるよ。俺にはわかる」

 ウィラルドの目を見返して、カテリナはふいに息を呑む。

「え、でも、嫌いじゃないだけで、ずっと苦手で……!」

 カテリナはさっきとは別の意味で赤くなって、首を横に振りながら否定する。

 ウィラルドは笑い声を立てて、腰に手を当てて言う。

「邪魔したいな。意地悪したい。どうしよっかな」

 慌てるカテリナの前でウィラルドはうなって、カテリナの差し出したチョコレートの箱を見る。

「これを食べなかったら、まだ俺への初恋は継続って考えていい?」

 目をくるくる回しているカテリナを面白そうに見て、ウィラルドはぱっとカテリナの手からチョコレートの箱を取った。

 蓋を開けて一つ取り出すと、ウィラルドは悔しそうに言った。

「でもカティは俺よりあの人といる方が、楽しそうだしな」

 ウィラルドはチョコレートを口にして、独り言のようにつぶやく。

「……甘い。ちょっと苦い」

 それが幸いのように苦笑して、ウィラルドは初恋の味をかみしめたのだった。

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