友達よりもっと近く
◇
放課後の解放感が好きだ。金曜日の夕方ともなれば幸せな気持ちで一杯になる。
陸上の部活も終わり、校庭の隅っこに並んだベンチに腰掛ける。汗ばんだ肌にそよ風が心地よい。空は淡い青色で、夕暮れ色に染まるのはまだ先だ。
散りきった桜の木を見上げると、柔らかそうな若葉が風に揺れていた。
「大会近いのにタイム伸びないー」
「気合に頼るか神頼みか」
「諦めちゃダメだよ美馬ちゃん! 限界ギリギリで真の力に目覚める可能性も」
「バトルものだったらあるかもだけどさ」
ジャージ姿のまましばし友達と話し込む。同じ陸上部の茜ちゃんや同じ部活の面々と、あれやこれやと会話を交わす。
部活の大会が近いので明日は朝練がある。
けれどそれは昼前に終わる。
そうしたら晴れて自由の身。自主練という言葉が脳裏を掠めるけれど、そこまで熱心に頑張るのもなんだかなぁと思う。
家に帰ってダラダラ寝てすごそう。そのまま町に買い物に行ってもいい。と思ったけど汗だくのうえにジャージだしな。むしろ友達の家に行ってぐだぐだするのがいい。
「茜ちゃん、明日さ朝練のあとヒマ?」
「ごめーん、お母さんと買い物行く予定なんだ」
「そっかー残念」
「あっもうこんな時間!? 美馬! 私帰るね! また明日! 朝練で!」
茜ちゃんは細切れで単語を連発しながら地面に置いていたリュックを拾い上げた。
「おっけ。また明日!」
「じゃねー!」
いつもより一本はやいバスに乗るつもりらしく、ダッシュ。あっというまに畦道を駆け抜けていってしまった。
部室棟では他の部活の生徒たちも、帰り支度をしている。
そろそろかな……と校舎のほうに視線を向けると、一人の女子生徒がそそくさと近づいてくる。
本を胸に抱えた白子だ。
遠目でも儚げで頼りない感じがする。
都会からやってきた珍しい転校生。白子はあたしと過去で繋がっていた。
その絆を頼りに、あたしを慕ってくれている。嬉しさと、誇らしさ。そしてクラスメイトに対しての優越感もある。
白子はあたしの存在に気がつくと、ようやく小走りになって駆け寄ってきた。制服のスカートの裾が揺れ、傷ひとつ無い膝小僧が見え隠れする。
「美馬……! はぁはぁ……」
「走らなくていいのに」
「はぁ……うん」
少し走っただけなのに息があがり、頬が上気して赤い。
最近判明したのは、白子は運動が苦手だということ。それも壊滅的なほどに。
先日行われた体力テストでは、クラス全員で応援したくなるほど走るのが遅かった。ボール投げも明後日の方向に飛んでゆくし。
そもそも全般的に体力がないのだ。文化部に入ったとはいえども、基礎体力は必要だと思う。
今から二人でグラウンドを走り、鍛えてあげようかな。なんて考えたけど白子の様子を見たら、それも可哀そうに思えた。
「部活、楽しかった?」
「みんな優しいし、たのしい」
頬にかかった黒髪を、指先で耳にかきあげる。その仕草が乙女っぽい。
「生活部って今なにやってるの?」
「えーと今日はね、地元の食材を使ったお菓子作りの計画……。試作したり、あとはおしゃべりしたりしてたけど」
部活にも馴染んでいるようで一安心。
「そりゃ体力つかわないわね」
「えへへ」
転校初日に比べればだいぶ笑顔も増えてきた。
クラスでもすっかり「都会から来た物静かな女の子」として定着してしまった。けれどそれでいい。
女子を牛耳る一部のメンツも、体調を崩して二日ばかり具合が悪そうにしていた。あの日以来、なんとなく向こうから避けるようになった。
因果応報。何か後ろめたい気持ちがあったのだろう。夜中に金縛りにあったとか、家の廊下で変な足音が行ったりきたりしたとか。連中がゲッソリした顔で、オカルトめいた話をしていたのを耳にした。
さもありなん。怪異とはそういうものだから。
めでたしめでたし。
「白子、帰ろ」
「うん」
あたしは陸上部で白子は生活部。運動部と文化部、全然違う二人だけれど帰りは自然と一緒になる。帰る方向は同じで、バスの路線は一本で乗れるバスも一本だけなので必然なのだけど。
のんびりと田んぼに囲まれた道を二人、ならんで歩く。
横を歩く白子をときどきチラ見すると、人気の少ない自然豊かな風景が好きらしいことがわかる。
遠くの山並みや、道端に咲く小花に優しい視線を向けて瞳を輝かせている。
反面、自校他校問わず生徒にはあまり興味がないみたい。というか、他人にあまり興味がないのかもしれない。
運動着姿でポニーテール、汗でテカッっているであろう額のあたし。
対して白子は制服姿で、淑やかな女子学生といった雰囲気が漂う。
凸凹コンビというか、傍目にはどう見えているのだろう。
ちょうど自転車で前から来た高校生のお兄さん。その視線が一瞬だけ白子に向くのをあたしは見逃さなかった。
おのれ、白子は可愛いもんな。
「あ、白子……そこの水路の見える?」
「……水面が動いてる」
「河童がいたよ」
「いるんだね」
「いるいる」
秘密の共有、といえば大袈裟だけど、あたしたちにだけ見えるモノがある。
白子が黒い影と怯える存在。それは少しだけ位相の異なる世界を垣間見ている証なのだ。
あたしたちは怪異という人知れず存在するモノを感じ、見てしまう。
それは間違いなく、今のところは二人だけの、人に言えない秘密に違いない。
やがてバス停について、しばしバスを待つ。
今にも崩れそうな東屋が併設されていて、屋根にはペンペン草が生えている。そこには先客が五人いた。
コの字に配置されたベンチには先輩の女子が三人、下級生の男子が二人座ってそれぞれ談笑している。
無関係で、あたしたちの間を邪魔する存在ではない。そそくさと人目を避けるように、東屋の外の壁に寄りかかる。雨宿りするみたいに肩を寄せあう。
「そうだ、美馬におみやげがあるの」
「えっ、なになに?」
「試作したクッキーの余り。小豆いりクッキー」
白子が小さな紙のつつみを開いて見せてくれた。不揃いなきつね色のクッキーが何枚か入っている。
「やった、ありがと!」
「家で食べてねって言われたけど……」
買い食い寄り道は禁止されている。だがしかし、白子の厚意を無駄になどできない。
「平気よ、一瞬で食べちゃうから」
あたしは白子を人目から覆い隠すようにして、ぱっとクッキーをつまみ口に放り込んだ。
「あっ……」
「しー」
しっとりとした甘いクッキーに、小豆の風味が混じっている。和風クッキーもなかなかオツなもの。
我が家のスイーツ担当、座敷ワラシのトウタが聞いたら対抗心を燃やしそう。
あたしはペロリと食べた。
うむ、人目を憚る禁断の美味。こそこそとふたりで顔を寄せている感じは、なんだか甘い囁きにも思える。
「どう……?」
白子が間近で見つめている。
勉強のときだけかけるというメガネは今は無い。円らな瞳を縁取る眉毛もはっきり見える。
「甘い、おいしい」
どうしよう。ドキドキする。
「……よかった」
「白子も食べてよ」
「私はもういっぱい食べたから」
「そんなこと言わないで、ほら。あーん」
つまんだクッキーを白子に向ける。汚いと思われたらどうしよう、と脳裏に不安がよぎるまえに、白子は小さな唇で「ちむっ」とクッキーを挟み込んだ。
「……ひゃぁ食べる」
じゃぁたべる、といった様子がハムスターみたいだと思った。
「おう、一緒にカロリーとろうぜ」
よしよし可愛い……って。なんだろう、この感じ。
陸上部の友達と過ごすときとは違う、なんともいえない気持ちの良さがある。
謎めいた美少女を独占しているという感覚。護りたいという気持ち。これは庇護欲というやつだ。
「……美馬」
その原因は、あたしに向けられる視線にあることに気がついた。白子の瞳は潤んでいて、じっと熱を帯びているみたいで。まるで恋する乙女そのものだ。
「うんっ?」
あたしはクッキーをごくりと飲み下した。
この気持ちが何か上手く説明できない。
「明日……お休みだね」
「土曜日だし。てか朝練あるんだった」
「そうなんだ」
白子が寂しげに目を伏せる。
「あっ、でも昼前に終わるんだ。そうだ、白子んとこに遊びに行っていい?」
あっ、じゃないよあたし。
何を思い付きで言っちゃっているんだとあわてふためく。
遊びに行く? 白子の家に? いやいやいや、いくらなんでも急すぎる。ていうか、迷惑だし。
「いいよ!」
「いっいいの!?」
「うんっ。来てくれたら嬉しい」
嬉しい。
嬉しいのか。なんだか頬を染めてるし、本当に白子は嬉しいみたい。でも気持ちの準備が。自分で言い出しておいてなんだけど。
「ぶっ……! 部活終わるの11時半でそこから……ええと」
「12時前のバスに乗る? だったら迎えに行くね」
落ち着けあたし。
「いっいやその、この状態だし、ジャージだし、汗かいてるから……! いったん家に戻ってお昼ごはん食べて、着替えて、それから……だから午後一時ぐらいには……」
「うん、わかった」
白子は真剣にあたしの言葉を聞いていた。
一言も聞き漏らすまいという決意が感じられる。
「じ、自転車でいくから! 坂道ばーって下っていけば附馬牛まですぐだし」
「そっか、でも私の家……わかる?」
しまった、わからん。
「じゃぁ私が降りるバス停でどう? そこに迎えに行くから」
白子が身をのりだし、嬉しそうに目を輝かせる。
「お、おうっ」
こうして、休日に白子の家に遊びにいくというイベントが決まった。
普通に友達と会うだけ……なのに、なんだか胸が高鳴った。
なんというか……。彼女とデートする彼氏の気持ちというのはもしかして、こういうものなのだろうか。
<つづく>