オシラサマ伝説と神性なる戯れ
◇
「……ということがあってね」
「ふぅん」
夕飯どき、あたしはお母さんに学校での出来事を話した。
放課後の部室で遭遇した『怪異』のこと。黒いゼリーのような怪異が、沙月や凜花にへばりついていたことを。
「クラスの友達にくっついて、そのまま連れ帰っちゃったんだ」
「ふーん。学校は悪い気がすぐに溜まるから、そういうこともあるだろうな」
味噌汁をすすりながら、お母さんは事も無げに言う。
ウチは先祖代々、モノノケたちの棲家である『幻界』との境界を守護してきたらしい。栗林というのはお父さんの姓で、本家の姓とは違う。守護する力は女性にだけ生じて、やがてある年令になると消えるのだとか。
そいういう家系のお母さんにとっては、驚くほどの話ではないのだろう。
けれど、あたしは悩んでいた。
「その二人があまり好きじゃなくて。ムカついて、蹴り飛ばしてやりたいって思った。だからそうなったのかなって」
白子に対する態度が腹だたしかった。テニスボールをぶつけたことも。もちろん犯人だと決まった訳じゃないけれど、どうしても疑ってしまう。
その敵意というか怒りが、二人に怪異をけしかけたのだとしたら。
「お母さんも若い頃、似たような経験があるなぁ」
「お母さんも?」
「まぁね。血気盛んだったし、つい気持ちが高ぶってさ。喧嘩した相手を呪うみたになっちゃうんだ。そうしたら怪異が取り憑いて」
「と、取り憑いてどうなったの?」
「良くないことが起きた。そいつは酷い肺炎になった。ほかにも怪我をしたり、もっと酷い目に遭う場合もあったりした」
「そんな……」
「だけど、人を呪わば穴ふたつ」
「なにそれ?」
聞いたことがあるような、ないような。
「相手を呪うと自分にも跳ね返ってくる。だから墓穴がふたついる。そういう教訓だよ」
「そうなの?」
「お母さんの場合は、代償として火傷をしたよ。ポットが倒れてお湯がかかってさ。脚が真っ赤に腫れ上がったっけ」
「えぇ……マジで?」
あたしは怖くなった。相手を憎く思うと相手だけじゃなく、自分にも悪いことが跳ね返ってくるんだ。
「逆に考えれば、相手に対して優しく広い心で接すれば、呪いも生まれない。そういう教えだから気にするな」
「気にするなって言ったって気になるよ」
チキンカツの残りを食べて、ご飯をかきこむ。
「美馬姉ぇ、みてみて!」
隣の和室からトウタがやってきた。頭に兜をかぶっている。推定年齢6歳ぐらいの座敷わらし。
「お、かっこいいじゃん!」
「でしょー」
得意げなトウタ。腰にはおもちゃの日本刀がぶらさげてある。跳ねるようにして和室に戻っていき、お父さんにじゃれついていた。
和室では一足先にご飯を食べ終えたお父さんとトウタが、『端午の節句』の飾り付けをしている。
弟のような存在のトウタは家の守り神。
あたりまえのようにいることを受け入れている。
座敷ワラシとはそういうものだから。
目を細めていたお母さんがお茶をすすりながら、
「……子供の遊びは、いわば神様の遊ぶ姿そのものなんだ。不可侵で、神聖なもの」
「ふぅん」
「大人はそれを眺めるだけ。手を出してはいけない。座敷ワラシもそうだけど、オシラサマの伝説でも似たような話がある」
「どういうのだっけ? オシラサマが子供と遊ぶ話?」
オシラサマ伝説。
それは遠野に伝わる民話で、誰でも知っている。
――美しいオスの馬に飼い主の娘が恋をした。「馬になど娘を取られてなるものか!」と怒った父親に馬を殺された娘は、悲しみのあまり馬の亡骸とともに天に昇った……。
というのが大まかなあらすじだ。
でも「オシラサマ」は昔話だけじゃない。
古い家系の家には御神体が祀られている。木彫りの簡素な像。それをあたしたちはオシラサマとよんでいる。
「オシラサマは遠野や岩手だけじゃなく、東北地方のあちこちでお祀りしている土着の神様だよ。いわれは様々あるが、濃厚の神、馬の神、蚕の神……」
あたしはちょっと息を飲んだ。
美馬という名前は、そもそもオシラサマの伝説も絡めているとお父さんに聞かされたことがある。
そして蚕の神という言葉も引っかかった。
繭は白くて、お蚕さまも白い。それは白子を連想するには十分だった。桑原という姓といい、色白でどこか儚げな白子……。
「それとなんの関係があるの?」
「オシラサマ関連の逸話でこんなのがある。――子どもたちが、大切なオシラサマの御神体を引っ張り出して遊んでいた。それを見た家の大人が叱りつけた」
「……ふんふん?」
「すると後日、大人が寝込んでしまった」
「なんで!?」
「オシラサマは不可侵な神性。子供も同じで神性がある。だから遊んでいるところも不可侵で触れてはいけない。だから大人は祟られた」
「……なるほど」
不思議な話だった。
普通は神様を引っ張り出して遊んだら、子供が怒られそうなのに。
でもオシラサマは逆。子供と遊びたい神様なのだ。
それって座敷ワラシのトウタも同じってこと?
「お前達、子供の世界も似たようなものさ。不可侵で、干渉すべきじゃない。まぁ中学生もまだ子供だからな……」
「子供扱いしないでよ」
でもそこで思い至る。
あたしと白子はどちらも他人に触れられたくないと思った。
それはお母さんの教えてくれた「オシラサマ」の話に似ている。
「友達の白子さんも神性を持っているのかもな」
「……神性」
なんとなくお母さんの言葉が腑に落ちた。
白子はやっと手に入れた楽しい時間を邪魔された。
それはあたしも同じだ。邪魔されたと思った。
だから祟った。
そう考えると黒い怪異の出現は、あたしたちどちらにも原因があるということになる。
「いずれにしても美馬が考えるといい。本当に困ったら相談しな」
「うん」
◇
翌朝、約束通り白子はバスに乗り込んできた。
「おはよう美馬」
「おはよ、白子」
ちょこんと二人がけのシートに座る。バスに揺られながらタンポポの絨毯が彩るあぜ道沿いにバスが進む。
白子はどこも変わった様子はなかった。
「昨夜ね、部屋にカメムシが出たの」
「ヤバイね、あたしならパニックだよ。白子はどうしたの?」
「出ていってくださーいって、窓を開けて踊ってた」
「あはは! 怪しい」
「怪しいよねぇ」
変わったことといえば、あたしに向けてくれる笑顔が自然になったことだろうか。
あと、自然と肩を寄せて密着してくるというか……。まぁそれは女子ならみんな同じような感じでじゃれあっているので嬉しいけれど。
学校につくと、沙月や凜花がマスクをしていた。
「風邪引いたわ……」
「だるいー……」
黒い怪異はいなくなっていた。けれど机に突っ伏して具合が悪そうにしている。もうすぐ大会があるのに難儀なことになっているようだ。
横目で見た白子は、さして二人の様子を気にする風もなかった。
「おまえさ、昨日運動部の部室棟にいただろ、文化部はくんじゃねぇよ」
「え……」
クラスの中でもとびきりウザイ男子が来て、白子にしょうもないことを言った。まともに会話もできないのが、アホ男子の特徴だ。顔はへのへのもへじみたいなやつで、佐藤とかいうやつだ。本当は白子に話しかけたいのに出来ないからそういう事を言うのだろう。
「そんなルール無いから! うるさいよ」
「うるせぇのはおめぇだ馬子」
次の瞬間、佐藤の手首に黒い影が巻き付いた。
怪異だ……!
あたしはハッとして白子を見た。白子は無表情で唇を一文字に結び、まっすぐ黒板を見つめている。それは完全に拒絶の意思表示だ。あたしに向けてくれる笑顔とは真逆の、鉄の壁のような拒絶の意思。
「……痛てッ……、あ……れ?」
佐藤は手首をさすりながら席に戻っていった。
黒い怪異は染み込むように手首に吸い込まれてゆく。
「ありがと……美馬」
ふわっとした視線をあたしに向ける白子。
「え? あいつムカつくし」
「……嬉しい」
小声であたしにだけ聞こえるように囁いた。
まるで、二人だけの絶対不可侵な領域。結界が生まれたみたいな気がした。
<つづく>