あたしの白子になんか用?
翌朝は薄曇りだった。
灰色の空の下で、畦道を埋め尽くす菜の花とタンポポが彩リを添えている。
いつも通りのバスに揺られ学校へ向かう。
「……いない」
白子が昨日降りたバス停に中学生の姿はなかった。新しい友人が乗り込んでくることを期待したのに、がっかりだ。そして同時に不安が頭をもたげてくる。
――向こうの学校で虐められていたらしい。
知りたくもなかった話が頭のなかでリフレインする。お母さんのバカ。そいうのは子供に聞かせちゃダメなんだよ。って尋いたのはあたしだけどさ。
白子はちゃんと学校に来るだろうか。
珍しい転校生ということで昨日はみんなはしゃぎすぎた。いきなり負担をかけてしまったかも。
あたしの気持ちみたいな空模様を見上げながら登校すると、はたして白子は先に教室にいた。
「あれっ!? はやいね白子」
「美馬さん、おはよう……」
心配をよそに普通だった。あたしの隣の席にちょこんと座り、照れくさそうに挨拶をしてくれた。
教室には数人の生徒がいて挨拶もそこそこに自席へと向かう。
「一本は早いバスに乗っちゃったみたいなの」
「なぁんだ、そうだったのね」
ほっと胸を撫で下ろす。
「ごめんね……」
「いやいや!? あたしが乗る時間、教えてなかったもんね。毎朝7時30分のに乗るんだよ」
「私、7時12分に乗ったの」
「いくらなんでもそれは早いよ」
「どおりで誰もいないとおもった」
「もー」
普通に会話を交わして笑えるじゃん。なぁんだ、心配して損した。
一体どこのバカがこの子を虐めていたのだろう。殴ってやりたい。謎の怒りが湧いてくる。
「栗林さんおはよう」
「おはよ、あのねちょっといい?」
クラスの女子、二人組が白子に話しかけにきた。せっかくの会話を中断させないように自分の席に座る。
「部活、どうするか決めた?」
「ううん。でも私、運動部は無理だし……」
案の定、運動は苦手らしい。横から聞き耳を立てながらがっかりした。
「ならさ、うちらの生活部にはいらない?」
「生活部……?」
「うん! 園芸に手芸、料理、それとお裁縫とか。そいう活動をするの」
「おもしろそう。私でも出来るかな」
「できるできる!」
二人の女子生徒と笑顔で会話している。
昨日は周囲が騒がしすぎて、ほとんど白子と話せなかった結葉ちゃんとお下げ髪の志帆さんだ。
なるほど生活部か。伝統芸能クラブもあるけれど、神楽や鹿踊りなどの伝統芸能を極める部活で、意外とハード。体育会系文化部と呼ばれている。白子には生活部があうかもね。
気がつくと空が明るくなって、雲間から光がさしはじめていた。
「って! 白子、制服うちらと同じになってるじゃん!?」
「あ、うん……。昨日届いたの」
見慣れた制服姿になっていた。
都会っぽいブレザーと胸のリボンが可愛かったのに、あたしたちとおなじ地味な古いデザインのセーラー服になっていた。
「馴染みすぎてて気が付かなかった……」
「もー美馬さんたら」
結葉ちゃんが白子の両肩に手を添える。
「似合ってるってことだよ」
「じゃ、考えといてね!」
「うん……」
結葉ちゃんと志帆さんは席に戻った。白子は二日目にして「転校生」ではなくなってしまったけれど、馴染んでいるのはいいことだ。
あたしは先生に「よろしく」と言われたし、友達だし、ちょっと保護者的な気持ちになっていた。
廊下が騒がしくなって、二人の女子が入ってきた。
「え!? あれ見て、きゃはは……! 地味ー!」
「制服変わるともう普通だね、フツー」
教室に入るなり白子を見て笑い声を上げる。
クラスで一番賑やかで中心的存在、凜花と沙月だ。凜花はアイドル的で可愛い。イケイケで男子の人気が高い。沙月は色っぽくて三年生の男子と付き合っているとかなんとか。凜花も沙月も華の女子テニス部だ。
彼女らを取り巻く男子も同調して「ぜんぜんじゃね?」と小馬鹿にしたような視線を向けてくる。
あたしは猛烈にカチンときた。
席は廊下側なのであたしたちとは離れている。彼女らは席につくなりこっちを見て、クスクス笑っていて嫌な感じだ。
「……」
白子は口をつぐんでうつむいてしまった。そういう空気に敏感なのだろう。所在なさげに机の上でノートと教科書をそろえている。
「白子、数学の宿題やった!?」
「え? あ……うん、いちおう」
「マジ? みせて! 苦手でさー」
あたしはガッと白子の机に横付けして、ノートを広げた。
肩を寄せて頭をくっつけるようにして、ついでにすはーと白子の髪の甘い香りをかぐ。
「美馬……さん」
「この問題、こう解くのね。ふむふむ。さすが白子」
「そ、そんなことないよ、他にすること無くて……」
「それで宿題をしてんの!?」
「うーん」
あたしが白子と親しげに話してると、羨ましげで刺すような視線を感じる。
白子の横顔を挟んで、教室の廊下側の席に座っていた沙月と凜花たちと視線がバチバチとぶつかった。
あたしの白子になんか用か?
やんのか、あ?
目を細め、無言でガンを飛ばしてやる。
すると彼女たちはしれっと視線をそらし別の会話をはじめたっぽかった。
「ふん……」
勝った。
デオドラント香る女子テニス部なんぞ、泥と汗まみれの陸上部の敵ではない。
「それ数学の宿題!? 美馬ーずるいー! あたしもまぜて!」
同じ陸上部の茜ちゃんがやってくるなり絡んできた。ガチ運動部勢は総じて数学、英語などの宿題が苦手なのだ。
「ちいっ、しょうがないな。白子の宿題ノートは高いぜ?」
「だからアンタのじゃなかろう!」
「聞き捨てならんな。ワイにも見せて」
他にもバレー部の友美ちゃんも輪に加わった。やいのやいのと輪を作って宿題を写し合っているとチャイムが鳴った。
授業も業間休みも、大きな問題もなく過ぎてゆく。
男女入り混じって仲の良いクラスなので、あからさまなイジメや差別はない。沙月と凜花のちょっと嫌な雰囲気は、白子が都会から来た転校生だったうえに、可愛くて男子たちが目の色を変え、嫉妬していただけなのだろう。
ただクラスには多少のチーム分けはある。
沙月や凜花が住んでいるのは街の中心部に近い新興住宅地。
あたしや茜ちゃん、それに白子が暮らしはじめた昔ながらの過疎地域にいる勢とで、なんとなくチーム分けができている気がする。それは親同士の無言のチーム分けだろうか。
やがて部活の時間になった。
白子は結葉ちゃんや志帆さんと生活部の見学へと向かう。
「じゃぁ一緒に帰ろうね。終わったら部室ハウスの横でまっててよ。ベンチあるし」
「うん! ありがと……美馬」
ついに「さん」づけが取れた。よしよし。いいぞ白子。
あたしはひとしきり走って、おもいきり汗をかいて部活を楽しんだ。
全力で走ると悩みも細かいこともぜんぶ置き去りにできる。
「おつかれー!」
「ふぅ……」
汗臭いジャージの胸元を気にしながら、プレハブの部室棟へと向かう。
黄色みを帯びた夕方の日差しのなか、陸上部にテニス部、野球部、サッカー部の共同で、大勢の生徒たちが帰り支度をしている。
端っこのベンチに白子が腰掛けていた。制服姿が場違いに思えるほど、ジャージとユニホームの生徒たちばかりのなか、学校指定のリュックを抱きしめてあたしを待っていた。
「おまたせ!」
「美馬……! おつかれ」
「おーくったくたに疲れた。汗臭いジャージのままだけどいい?」
「い、いいよっ!」
慌てて立ち上がる白子。
するとちょうど女子テニス部のみんなも帰るところだった。
沙月や凜花とすれ違った。けれど向こうは向こうで話しているし、互いにスルー。
関わらないのが一番だ。
と、白子の制服に丸い汚れがついていた。
背中の部分だ。
「白子、どうした? これ……」
「あ、うん。歩いていたらテニスボールにぶつかっちゃって。私がぼーっと歩いていたから」
「……!」
あいつら……!
あたしは一瞬、頭に血が上りかけた。
振り返ってダッシュして沙月や凜花の背中に飛び蹴りを食らわせてやろうか……! と思ったけれど、ぐっと怒りを飲み込んだ。
誰が打ったボールかなんてわからない。
故意か偶然か、犯人もわからない。
「痛くない?」
冷静を装い、白子の背中の埃をぱっぱっと払う。白子の背中は柔らかくて、痣にでもなっていないかと心配になる。
「痛くないよ、軽くぶつかっただけだし」
「ならいいけど」
くそ……。あたしの白子に何かしてみろ。
その時。女子テニス部の扉が開いた。沙月や凜花が出てきたのだ。
「……なんだか疲れたね」
「うん、貧血っぽい……」
同時に、黒い影の塊が室内から漏れ出してきた。ドロリと流れ出した黒いセリーのような影が沙月や凜花の脚や腰にまとわりついている。
彼女たちはぜんぜん気づかずに帰ってゆく。
あたしは愕然とした。
なんで怪異が、あんなに……。
あたしが怒りを向けたから?
それとも――
「帰ろう、美馬」
そっと白子の細い指があたしの手に絡む。
白子に怪異は視えてない。でも怪異を呼び寄せる体質の持ち主なのかもしれない。
「う、うん」