美馬と怪異ともののけと
業間休み、授業の合間は特別な時間。
わずかな自由時間が、クラス内の自分の立ち位置を確かめる時間でもある。
一時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る。椅子が一斉に音を立て、教室が騒がしくなる。友達のところへ直行する人もいれば、隣や周囲と話し始める人もいる。
「次の数学、宿題やってねー」
「一緒にお花摘みにいこっ」
「だりー」
宿題を慌てて始める人、トイレ仲間を集う女子、机に突っ伏して寝に入るやつ。
人それぞれだけど、今日ばかりは皆の感心ごとは同じみたいだった。
わっ、とクラスメイトが殺到してくる。
「ねぇねぇ!」
「こんにちは、佐藤っていいます」
「栗林さんって、どこに越してきたの?」
「前の中学の制服ブレザー、かわいいね!」
「部活は何にはいってたの? 何部希望!?」
そう、転校生。
名前は栗林白子。
色白で清楚で大人しめの美少女だ。
都会から来るというので、ギャルや鼻持ちならないイキったやつがきたらシメてやろう。内心そう思って待ち構えていたクラスカースト上位の女子たちは、完全に肩透かしを食らった格好だろう。
どうみても人畜無害。
文系女子、物静かなお嬢様風。
背はちいさめ。しかし胸は……そこそこ成長している。すくなくとも男子といい勝負のあたしよりは大きい。
「やべー」「まじヤベー」
ボキャブラリィが貧困で、話しかける勇気もない男子は遠巻きに見守るだけ。
かわいい女子の転校生ともなれば、男子たちも目の色が変わり、鼻息も荒くなる。
女子たちにとっては憧れの都会からということで、純粋に興味の対象だ。
白子さんはたちまちクラスの注目の的になっていた。季節外れの転校生のまわりには、ひとだかりができている。
というわけで、あたしの席の隣がお祭り騒ぎとなり、みんなの尻がガシガシと机にぶつかってくる。
「あ、えと、あの……」
一斉に質問された白子さんは戸惑っている。一生懸命答えようとするけれど、上手く話せないみたい。マシンガントークのスキルでもなければそりゃそうなるだろう。
「ちょっとあんたら! 質問は順番にしなさいよ」
あたしはたまらず立ち上がり、人垣に割って入る。一番うるさい男子を遮り人垣から押し出す。
「馬子、なんだよプロデューサー気取りか!?」
男子が口を尖らせる。
「あぁそうだよ文句あるか」
「いいぞ美馬!」
「せ、先生のご指名だし、美馬さん」
不穏な空気を察し、茜ちゃんと結葉さんがフォローしてくれた。
自分で言うのもなんだけど、あたしは怖いものなんて無い。女子だから殴りあいこそしないけど、そこらの男子や、陰湿な女子に負けたことなんてない。
女子なら誰でも経験があると思うけど、陰湿な無視や言葉の暴力、マウンティングをしてくるやつは必ずいる。そういう場合は、やるのか? あ? とまっすぐに睨みつける。そうすると大抵の輩は諦める。あぁこいつには通じないんだ……と察してくれる。
「あ……えと、美馬さん」
「美馬でいいよ!」
白子さんがあたしの顔を見て、ほっとしたような表情を浮かべる。
「ここはまかせて」
子供の頃、出会ったことがある。それだけでも知り合い、幼馴染みも同然だ。たぶん。
白子さんにしてみればここはアウェイ。見知らぬ人たちの中で戸惑い、困っている。ならば手をさしのべるのは当然のこと。
「はいはい、では最初の質問、昨日の夕方、附馬牛のバス停の近くにいたでしょ? 家はあのあたり?」
自分が昨日みた光景をミックスして質問する。
「はい。あのあたりにおばあちゃんの家があって、近くの建売住宅に越してきたので」
「うんうん。てことはバス通?」
「今日の帰りからバスなんですけど……よくわからなくて」
「大丈夫! いっしょに帰ったげる」
「美馬に転校生を独占される!」
茜ちゃんの悲鳴、周囲から笑い声が起こる。
あたしも聞きたいことは山ほどあるけれど、いまは周囲の野次馬が納得する情報を聞き出すのが先。差し障りのない、皆が聞きたい質問をポンポン答えてもらうのだ。業間休みは短いのだから。
「東京の学校では生徒が何人ぐらいいたの?」
これは皆が聞きたがっていることだ。田舎者としてどうしても気になってしまう。テレビで見かける他の学校のことが。
「いち学年、三百人ぐらい」
「さ、さんびゃくぅう!?」
周囲がざわめいた。
「全校生徒じゃなくて? 一学年で!?」
「全学年だと九百人ぐらいでした。十一クラスずつあったし……」
都会すげー。マジやべー。村の人口より多いべ! と田舎者まるだしの声が聞こえてくる。
うちの中学は過疎地域にあるせいで、全校生徒でも百人にも満たない。数年内に町の中学に吸収合併されるらしいし。
と、そこで二時間目の開始を告げるチャイムが鳴って休み時間は終わった。次の数学の授業の先生が入ってきた。
ほっとして席に戻る。
そういえば数学の教科書がまだ無いと言っていたっけ。
「白子さん、教科書みせたげる」
「あ、ありがとう」
ズゴッと机と椅子をずらして隣につける。
どうだお前ら、羨ましかろう。クラスの視線にドヤ顔を返す。
横にならぶと、ふわりと甘い匂いがした。シャンプーか柔軟剤か。あまりこの辺では感じたことのないよい匂い。というか、むしろあたしは汗くさくないだろうか? 制服はあんまり洗ってないし。
とりあえず無言で授業をきく。
多項式の計算、単純項式の計算……なんじゃそりゃ。
隣をみると、白子さんはスラスラと例題をといていた。
「もしかしてこの授業受けてた?」
「うん塾で……」
さすが都会、恐るべし。
それにしても……だ。
白子さんの手は小さくて肌もきめ細かい。指も細くて爪はつやつや。白魚のような手とはこういうのをいうのだろうか。柔らかそう、握りたい。
女の子の手を握ってスリスリする中年男性のセクハライメージ映像が脳裏に浮かぶ。自分の欲望がダブって見え、思わず頭を振った。
次の業間休みも騒がしかった。
質問攻めは相変わらず。
ひとつ判明したのは、運動が苦手で部活はしていなかったこと。子供の頃は喘息持ちで静かに過ごしていたことだった。さすがに陸上部に誘うわけにはいかない。
やがてクラスも徐々に落ち着きを取り戻してきた。
あたしは白子さんを伴って、トイレに向かうことにした。
「いこ」
「あ、うん!」
ここぞとばかりに手を握り、人垣から連れ出す。
思った通り柔らかくて温かくて、このまま連れ去りたい気分になった。
「いろいろ煩くてごめんね」
「あ、いえ。なんだか美馬さんには……おせわになっちゃって」
照れ臭そうに微笑む白子さん。段々と舌も滑らかになってきたみたい。
ちょっと敬語というか、他人行儀な感じもするけれど、そのうち打ち解けるだろう。
話したいことがあった。
小学校の夏の日、出会ったときの事。
でも今は時間がない。そのうちゆっくり思い出話がしたい。
運命の再会……というほどでもないけれど。小学生の夏休み。どこからともなく迷い込んできた女の子がいた。
無防備で弱々しくて、色白で。
まるでお餅みたい、と思った。
案の定、黒い影につきまとわれていた。
美味しそうだと思われたのだろう。
普通の人には見えない黒い影。
異界と現世の境に生まれる怪異。
あたしは小さい頃から、誰も視えないものが視えた。それはもうひとつの世界、重なりあう「幻界」だと、両親に教えられた。だから存在を当たり前だと思ってきた。
それが特別なことだと認識したのは小学校の頃。クラスで人気の霊感少女。その子がトイレの暗がりを怖がり、周りの女子も同調して怖がって騒いでいた。
あたしにも黒い影の存在は見えていた。でも気にせずにトイレに入り、黒い影を踏みつけた。
霊感少女は「あああ! 美馬さんが呪われる……!」と騒いだけれど、おかまいなしに黒い影をサッカーボールみたいに外に蹴りだしてやった。
あのときの霊感少女の顔は、まるで「ムンクの叫び」みたいでおもしろかった。
名もなき黒い影。
それは怨念、悪意、憎悪、不安、恐怖。人間のいるところに徐々に沈殿し濃縮する感情。その闇から生まれる存在。
あたしが普段接している「もものけ」たちのように名も心も持たず姿もない。
ボウフラのように澱む場所から生まれてくる。人に怪異を為す存在。
女子トイレは時々そんな存在の巣窟になる。
学校のトイレは特にそう。
妬みや噂話、悪口。そういったものを糧にして、奴らは生まれてくるのだから。
なぜか誰もいない女子トイレ。早々に用を足し、みんな戻ってしまったのだろうか。
不穏な空気。澱んだトイレの暗がりに、吹き溜った闇の感情がうごめき黒い影をなしていた。
それはゆっくりと揺れながら、キノコみたいに伸びて形を変えてゆく。
「あ……」
白子さんがきゅっと握っていた手に力を込めた。手の先が冷たくなった。怖がっている。
つまり、見えている?
存在を感じている?
夏の、あの日のように。
「平気だよ」
あたしは白子さんの手を離し、トイレの奥へと進んだ。そしておもむろに黒い影を脚蹴りし、転がし便器に蹴りおとした。
がっ、と水洗レバーを踏みつけて流す。ジャーという音と水しぶきに混じり黒い影は消えていった。
「す、すごい……!」
「ね?」
「私……実はね、今でも、ときどきあの黒い影に追われて……。怖くて、誰にも言えなくて……相談もできなくて」
こわばった顔で唇を噛みうつむく白子。切り揃えた黒髪がさらさらと顔にかかる。それはあたしにとって思わぬ告白だった。
「そっか……。でも大丈夫」
白子さんの肩にそっと手をかけて、鏡に向きなおる。日焼けした顔に栗毛のポニーテール、そのとなりには色白の黒髪美少女がいる。
「美馬……さん」
「あたしが守るから」
そう。
守ってあげる。あたしが、白子を。