美馬と座敷わらしの美味しいクッキー
「美馬、おやつ作ったよ」
座敷ワラシのトウタが台所のほうを指差した。
「やった、嬉しい! お腹ぺこぺこなんだ。何を作ったの?」
「食べてみてのおたのしみ。はやくはやく」
あたしの手を引いて台所へと急かすトウタ。女の子みたいな顔をしているけれど男の子。青みがかった黒髪の前髪をヘアピンでとめている。
「うんっ!」
あたしは学校のリュックを廊下に置いて洗面所で手を洗い、台所へと向かう。
廊下を進むと黒く磨かれた床板がギシギシと音をたてる。忍者が侵入してもバレることうけ合いな古びた廊下を、トウタは足音もたてずに進んでゆく。
ウチは築60年にもなる古いお家。友だちに言わせると、再々放送のTVドラマでみかける「昭和レトロ」な雰囲気らしい。廊下の右手は新しい二重ガラスのサッシが並んでいて、庭先の畑と夕焼け色に染まる山並みが見える。左手は障子と襖で区切られた居間や部屋で、すでに明かりが灯されていた。
「わぁ、いい匂い」
台所に足を踏み入れると、甘い焼き菓子の香りがふわりと残っていた。最新型のオーブンは「放熱中」を示すオレンジのランプが点滅している。
台所は結構広くて、裏口へ続く三メートル四方ほどの土間もあって昔は「かまど」もあったらしい。
中央にテーブルと壁際には大きな冷蔵庫と食器棚。ガスコンロと水場がL字型に並んでいる。家族五人でここで食卓を囲むことはなくて、和室の居間に料理を運んで食べる。
「クッキーじゃん、すごいね!」
「えへへ。上手に焼けたと思うよ」
テーブルの上にあるお皿にクッキーが並んでいた。きつね色の見るからに美味しそうなクッキーだ。粗挽きの大麦みたいな、何か穀物の粒が混ぜてあるらしい。
「お茶も飲む?」
「麦茶があるから良いよ」
トウタの心配りに感動しつつ、さっそく一枚いただきます。
「はむっ……美味しいっ!」
サクッとした食感、ふわりと口いっぱいに広がるバターの風味。そして噛めば程よい穀物の歯ごたえとが心地よい。
「やばい、これはとまらん!」
二枚、三枚と口に放り込む。美味しい、最高。ダイエットなんて今さら遅い気もする。
「雑穀クッキーだよ。アマランサスとハトムギを混ぜてるんだ」
「ふんむ、ふんむ!」
すごいねトウタは。
座敷わらしのトウタは永い時間、あちこちの家を渡り歩いてきたらしい。
台所で過ごしていたおかげで料理とお菓子作りに造詣が深い。
けれど……あたしの家に迷い込んできた時はほとんど消えかけていた。カッパも座敷わらしも、有名な「もものけ」だ。でも今の時代に居場所を見つけるのは難しいのだとか。
家からは「もものけ」が潜める暗がりが消え、人の未知への畏れも失せた。だから存在が希薄になる……と。これはお父さんの受け売りだけど。
あたしがトウタの存在に「気がついた」ことで、存在が固着。
座敷わらしとして実体化できたんだとか。だからあたしが名前をつけた。今は家族の一員として暮らしている。
トウタの頭を撫でた。弟のような存在で可愛くて、お菓子作りが趣味ないい子に育ってしまった。「もののけ」としてこれでいいのか少々悩むところだけど。
「美馬、ぼくの話聞いてる?」
「うん、聞いてるよ」
「あ……、お母さんが帰ってきた」
トウタが表の気配を察し、玄関へと向かっていった。車のエンジン音がして止まる。町で仕事をしている両親はそれぞれ別の車で帰ってくる。
「おー!? クッキーか、すごいじゃんトウタ!」
玄関からお母さんの声がした。あたしと同じように甘い匂いに気がついて歓声をあげたのだ。
◇
「明日ね、転校生が来るんだって」
旧式の蛍光灯が照らす居間で、あたしたちは夕飯を食べている。
お母さんとあたしにトウタ。お父さんともうひとりの同居人は少し帰りが遅くなるらしい。
畳一枚と同じ大きさの四角いテーブルには、料理やご飯が湯気を立てている。昨日つくった煮物のあまりと、急いでお母さんが作った豚肉の生姜焼き。お味噌汁、おつけもの。
「んー? もしかして附馬牛のほうに越してきた家かな?」
遠野名産の大根の醤油漬けをポリポリとかじりながら、お母さんが言う。
田舎特有の謎の情報網。どこそこの家で奥さんが出ていったとか、どこぞの息子さんが怪我をしたとか。噂話は道端の「年寄りネットワーク」を通じてまたたく間に広がるのだ。
恐るべし田舎コミュニティ……。
「そういえば一個前のバス停で、見たことのない制服の女子を見たかも」
「あのあたりは建売住宅もあるからねぇ」
お母さんは農協の事務所で受付をしている。見た目は若くてハキハキしている。昔はヤンチャだったとかなんとか聞いたことがあるけれど、学者みたいな仕事をしているお父さんとどうやって知り合ったのか不思議すぎる。
「……ふぅん」
それにしても。
一つ前のバス停で見かけたあの娘。どこかで見たような……。
黒髪で色白できれいな娘。
眼鏡の奥の、惹きつけるような瞳――。
「この時期に来るってことは親御さんの仕事の都合だけじゃないかもな」
おかあさんがつぶやいた。
「え?」
「いんや、なんでもない」
じゃぁその娘の都合?
何か……。
もしかしてイジメとか?
だとしても転校生は楽しみだし、友だちになれると良いな。
「クラスメイトが増えるのは楽しみだよー!」
「ひとクラスしか無いもんな……」
「うん」
お母さんの言うと通り。少子化と出稼ぎ、大きな震災などの影響で町の人口は減る一方だ。殊にもあたしが住んでいる裏附馬牛は数世帯しかいない。
限界集落だなんて、言われたくないけれど。ここにも引っ越してくる人がいればいいのに。
「人が増えるの? 僕らの居場所も増えるかな!?」
トウタがほっぺたに白いご飯粒をつけながらふりむいた。ごはんつぶをとってあげる。
「建売の新しい家だと難しいかも」
「そっかー。しょうがないね」
「トウタ……」
時代とともにもののけの仲間が消えてゆく。トウタの気持ちはいたたまれない。
「何にせよだ美馬、転校生の面倒をみてやんなよ。イジめたりするやつを許すなよ」
「う、うん」
お母さんがゲンコツを作る。そう言われても。まぁがんばるけどさ。
◇