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美馬の放課後、かえりみち

 ◇


on(オン) your(ユア) marks(マークス)

 掛け声とともにスターティングブロックに足を乗せ、クラウチングスタートの姿勢をとる。

setセット

 地面に指を付け呼吸を整える。

 パァン! 

 競技用ピストルの音と同時にダッシュ。

 全身の筋肉をバネにして、つま先で地面を蹴る。走る、走る、加速、集中……!

 グラウンドからの声援やざわめきが消える。あたしの心臓と肺がフル稼働して全身にパワーを送る。

 勝負は一瞬、十数秒で百メートルを走り切った。


「――――っぷぁ!」


 タイムは12.9。まぁ、そこそこ。


「ナイス美馬(みま)ー!」

「レコードじゃない!?」

「うーん、どーかなー」

 陸上部の仲間たちが声をかけてくる。ハイタッチをして、適当に言葉を交わし、汗をタオルで拭う。

 このタイムじゃ県内では通じても、全国では百位に入れるかどうか微妙。タイムを縮めるには、筋力強化と軽量化。ダイエットでもするしかない。

 うーん、それも辛い。


 気がつけば4月も半ば、春季陸上競技大会は来週に迫っていた。

 中学二年になって最初の大会なのだから、良い成績を収めたい気持ちはあるけれど、甘いお菓子はやめられない。あたしは無意識に脇腹の贅肉をつまんでいた。


 軽くランニングをして今日の部活はおしまい。

 校庭では早咲きの桜の花弁が風に舞い散って、遅い春を告げている。

 ポニーテールを結い直し、青いジャージのまま帰路につく。都会じゃありえない話だろうけど、田舎の中学では体操着のまま帰るのはごく普通。

 白いスニーカーに学校指定のリュックを背負い、同じ青ジャージ姿の生徒たちに混じり歩く。周囲は水を張った田んぼがひろがる田園風景が続いている。

 湿った土と水と、花の匂り。パステルカラーの空の下、春の微風が心地よい。


 ここは――遠野郷と呼ばれる地。

 その昔、有名な柳田国男という民俗学者さんが昔話や民話を集めたおかげで有名になったらしい。けれどテーマパークやデパートができた訳じゃない。

 山と田んぼと民家の並ぶ「ふるさと」なんて、日本のどこにでもあるに違いない。だけど重なる山並には、人を魅了する何かがある。見知らぬ場所、見知らぬ何かへの憧れ……。

 あたしはその「何か」の秘密を少しだけ知っている。

 里山に隠れ潜む、知られざる存在のことを。


「ねぇ聞いた、転校生が明日来るんだって!」

 バス停までの道のりの途中、(アカネ)ちゃんが話しかけてきた。同じクラスで部活も陸上部でいっしょ。得意種目は中距離走。八百メートル全力なんて拷問なのに。

 部活帰りなのに走って追いかけてくるなんて、あたしとは違う筋肉の持ち主だ。

「へぇ!? こんな時期に。4月だよもう」

「なんだろね、複雑な事情があるとか」

「普通に親の転勤じゃないのー?」

「かもね! だって都会から来るんだって。女の子!」

 茜ちゃんが目を輝かせる。ショートカットが男子みたいでかっこいい。

「ヤンキーとかギャルだったらどうしよー」

 あたしはちょっと身震いした。テレビやネットで見るきらびやかな世界。そこは未知の領域で、そこからやってくる存在は、恐ろしいものに思えた。

「フフフ、そのときは田舎のジャージの洗礼をうけてもらう!」

 茜ちゃんが萌え袖のジャージのままくるりと回る。これを着てしまえば運命共同体。楽だしもうオシャレとか関係なくなる。


「陸上部に入ってくれるかねー?」

「それは……どうだろね」

「うーん」

 あたしたちはバス停でしばし佇んだ。

 転校生が来るのは楽しみだけど、陸上部の新戦力になるほど都合のいい展開はないだろう。

 宿題のこと、クラスメイトのことで盛り上がる。あいつが変なこと言ったとか、どーだとか。たわいもない話をする時間が一番楽しい。

 やがてバスが来た。個人病院や牛乳の看板プレートが車体に貼り付けてある、動くブリキ缶みたいなバスだ。

 数人の生徒たちと乗り込む。

 一般のお客さんが何人かのっているだけで、中はガランとしていた。おばあちゃんとおじいさんが三人。町に一つだけある県立高の女子生徒さんがひとり最後尾に乗っていた。


 車窓から見えるつづら折りの山々。人里は新緑の季節には程遠い。濃いピンク色の山桜がぽつぽつと山の中腹で咲き、せめてもの春を告げている。


「じゃぁね! 明日また」

「またねー!」

 茜ちゃんが二つ目のバス停で降りて、バスの車内が寂しくなった。あたしとおばあさんひとりだけになる。

 あたしの家は裏附馬牛(うらつきもうし)という辺鄙な山あいの集落にある。

 そこは俗に限界集落と呼ばれている場所だ。

 人が少なくて集落の維持が困難なところ。手前の住宅地に移住するよう自治体からは言われている。そんなの余計なお世話。あたしは住み慣れた家を気にいっている。


 バスに揺られて片道三十分、終着地点の折返し。

 降りるのは大抵あたしひとり。そこから歩いて十五分ほど山道を登る。

 女の子一人だと危ないと、心配性のお父さんがジープみたいな車で迎えに来ることもあるけれど、秘密の道を通れば五分もかからない。


 カバンの二重底からスマホを取り出して電源を入れる。

 見つかったら没収。中学生はスマホ禁止なのだ。アンテナ表示が二本だけ。これ以上進むと一本に減るギリギリだ。

 急いで茜ちゃんや友達にSNSでメッセージを叩き込み、家にも「バス中」とだけ送る。そこで電波表示が一本に減った。

「あぁ……もう」


 諦めて車窓から変わり映えのしない風景を眺める。

 そもそも人なんて歩いていない。

 でも寂しいと思ったことなんて無い。


 限界? 誰もいない? ぜんぜんそんなことない。

 みんな知らないだけ。

 あたしはひとりじゃない。


 用水路脇にいた緑の生き物が、バスを見てぽちゃんと水面に飛び込んだ。河童だ。

 前の席にいるおばあさんには見えないみたい。


 もう一匹は農家の庭先からキュウリを抱えて逃げてくるところだった。


 この郷は、幻界と呼ぶ領域と重なり合っている。

 曖昧に入り組んでいる場所もあれば、あたしの家の周囲のように完全に重なっているところもある。


 バスが大きく曲がり、さらに民家もまばらな山里にさしかかった。裏附馬牛(うらつきもうし)のひとつ手前のバス停で、おばあさんが降りた。

 と――

 バス停脇の自動販売機。その横に女の子が一人立っていた。

 肩で切りそろえた黒髪にほっそりとした手足。ブレザーにスカート、見知らぬ学校の制服を着た、女の子。

 自動販売機とにらめっこをしている。確か、謎のメーカーのジュースばかりを売る百円均一の自動販売機だ。

 バスを降りおばあさんに気がついて、その子が小さく手をふって笑顔で話しかけた。

 メガネをかけて黒髪で、色白。手足は細くて運動とは無縁に思えた。

 さっきのおばあさんのお孫さんだったみたい。

 あれ……?

 どこかで見たような……。


『次は裏附馬牛(うらつきもうし)――』

 車内アナウンスが流れ、ドアが閉まる瞬間。

 黒い影が乗り込んできた。

 この先は人が住んでいるとは思われていないのか、知らない人がこの先に来ることなんてめったにない。

 そう、めったに。

 でもたまにこうして迷い込んでくることがある。


 黒い影は人ではなかった。

 かといって名前を持つ「もののけ」でもない。

 それよりもずっと曖昧な、未確定の影のような存在だ。


「…………」

 どこから迷い込んだのだろう。見かけない存在だ。幻界の境界は曖昧で、そこに引き寄せられたのだろうか。

 でも問題ない。

 どうせここから先へは進めない。


 バスが発車した。さっきの色白の女の子と一瞬、視線が交わった。メガネ越しに見えた瞳は大きく見開かれていた。


 バスが山道に差し掛かると、バスの車内をうろついていた黒い影はまるで(カンナ)で削ったように擦りきれて消えた。結界に触れて弾かれたのだ。

 やがてバスは終点、裏附馬牛(うらつきもうし)へとついた。戻って行くバスを見送って家に入る。古いL字型の古民家は、南部曲り家と呼ばれているらしい。


「おかえり、美馬!」

「おー! トウタ元気ー!」

 家に入るなり座敷童子のトウタが飛び付いてきた。ぱっちりとした瞳にさらさらの髪。笑顔がめっちゃ可愛い。背格好は小学一年生ぐらい。服装はファッションセンターで売っていた特売のトレーナーとズボン。和装だと座敷童子っぽいのだけど、洗濯がめんどうなのだ。

「ぎゅーってして」

「おうおう、ういやつじゃー」

 抱き締めてお日様に干した布団みたいな匂いをかぐ。


 あたしは寂しくなんて無い。

 幻界には友達がいるのだから。


<つづく>

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― 新着の感想 ―
[一言] おお! 美馬ちゃんは実在だったのですね。 なんだか安心しました。 そして 「幻界」 。わくわくする設定です。
[良い点] てっきり美馬は物の怪であると思っておりました。 物の怪の友達がいる只の女の子だったとは……。orz 旅情豊かな田舎の叙述が良く出来ていたと思います。 それにしても柳田国男先生の遠野物語も遠…
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