新しいお家と、白子の願い
ママチャリのブレーキが甲高い音を鳴らす。
「待った?」
「ぜんぜん、いまきたとこ」
白子はいつものバス停で待っていた。白いワンピースに水色のカーディガンを羽織り、春先の気温に合わせたコーディネイトをしている。遠目からもすぐにわかった。
「っと!」
急停止したママチャリから華麗に飛び降りる。勢い余って、スニーカーの靴底がズザッと勇ましい土煙をあげた。
「そんなに慌てなくてもいいよぉ……」
「だって、遅れそうだったから全力で漕いできちゃった」
「ふふ」
小花が咲くように微笑む白子。……可愛い。こんな人気のないバス停に立っていたら、攫われないかと心配になる。
ここは下附馬牛バス停留所。あたしの家がある集落のいっこ手前。なだらかな丘陵と段々畑に囲まれていて、春先には梅の花がたくさん咲いてとても綺麗なところ。
「いこっか」
「そだね」
ふたりで並んで歩きはじめた。バス停前の町道から分岐した小道が、緩やかにカーブしながら続いている。車が一台通れるくらいの道の両脇には、遅咲きの水仙やタンポポが絨毯みたいに続いている。
「白子の家ってここから近い?」
「この先だよ。もうすぐ見えてくるよ」
すこし坂道を上ってから見回すと、民家は数えるほどしかない。家と家の間隔もかなり離れている。家々を隔てているのは段々畑や田んぼ。
日差しは暖かく、ゆるやかな風は火照った身体に心地よい。
坂道がカーブしながら、小さなお社を抱えた鎮守の森を回り込む。道端には膝丈ぐらいの古びたお社がありお供え物がしてある。横には『道祖神』と彫り込まれた苔むした石碑が鎮座している。
暗がりには何体かの黒い影がしゃがんでいた。
それらは名も無き怪異たち。じっと日陰からこちらを見ている気配がした。
「……」
白子もおそらく気づいている。けれど無視しているのだろう。人に悪さをするほどの存在ではない。風で吹き溜まったホコリと同じようなイメージだ。
このあたりは幻界の境界とは遠い。もっと山際に近くないと入り口は開かない。
「いい場所だね。景色がいいし、静かで」
「うん! 何もないところが、すき。ビルも無いし、車も人もいないから」
「へー? あたしは都会に憧れるけどね」
「美馬はここが好きじゃないの?」
「好きだよ。何にもないけど、何でもあるし」
自分で言ってからちょっと首をひねった。
お店なんかはたしかに無い。けど……あたしにとって大事なもの。家族とか、暮らしとか、友達とか。それに不思議なモノノケたちの世界と重なっている。それはあたしの世界に賑やかさと、彩りを添えてくれていた。だから「何でもある」と口から言葉がこぼれたのだ。
「美馬は、いいね」
「そうかな? 白子は都会がよかった?」
「嫌いだった」
「そか」
どこまでも続く開放的な田舎の風景に、ちぎれ雲がのんびり影を落としている。
あたしの住んでいる場所はもっと山が迫る感じで、秘境という感じ。バス停ひとつ違っただけで雰囲気がたいぶちがう。
「あたしは好き。この感じ」
「あまり人が居ないけど、寂しくない?」
「ぜんぜん、こっちのほうが落ち着く。うるさくないし」
「白子はもしかして根っからの田舎暮らし向きかもね」
「そうかも……!」
白子の声はすこし弾んでいた。教室では遠慮気味に話す感じなのに。あたしと二人だけになると、声のトーンも上がる。
気がつくとレンガ色の屋根が見えてきた。それはベージュ色の外壁に、モダンな西洋瓦を載せた家だった。同じ敷地には、青いトタン屋根の古いお家が立っている。古い方はあたしの家と同じぐらいの築年数でかなり年期がはいっている。
「あそこ」
「新しいお家だ! わ、素敵だね!」
ピカピカのお家だった。西洋風なのに周囲の風景から浮くこともなく溶け込んでいる。おしゃれな喫茶店でも開けそうな素敵な感じ。
「おしゃれー! いいなー!」
「前はマンション住まいだったから、まだ慣れなくて」
「幸せ者め、いこいこ見せて見せて!」
「うんっ」
あたしは白子とともに足を速めた。
白子の話によれば、古い家にはおばあちゃんが住んでいて、新築の方に白子がご両親と暮らしはじめたらしい。
家の中は綺麗で静かだった。
「どうぞ」
「お、おじゃまします……」
ピカピカの床に白い壁紙。天井の照明も全部埋め込み型。台所のシステムキッチン、冷蔵庫、IH調理家電にヒートポンプ式の給湯器。すべてが憧れの最新式ばかり。
「すげぇ、未来だ……!」
あたしは昭和から二十一世紀に迷い込んだ人、みたいにぽかんと大口を開けていたにちがいない。
ウチなんて煤けた障子と襖と、磨りガラスで構成された室内に、昔ながらの障子みたいな囲いのついた蛍光灯がぶらさがっている。おまけに奥座敷を根城に、座敷ワラシさえ住んでいるという……。
「そ、そんな大袈裟なー。私の部屋、二階だから」
白子があたしの背中を押して、二階の自室へと招く。二階には三部屋ほどあり、そのうち南側が白子の部屋だった。
当然、中は小綺麗。勉強机と本棚、クローゼット。十畳ぐらいはあるだろうか。壁際にはベッドもあった。引っ越したばかりということで、荷物が少なく生活感が乏しい。だからこそ綺麗で、どこもかしこも輝いて見える。
ベランダへ繋がるサッシ窓は開いていて、レースの白いカーテンが静かに揺れていた。
中央には白い丸テーブルがあって、向かい合うようにピンクの座布団が置かれている。
「かっ、かわいい……! なになに、やばっ!? 白子のお部屋、超かわいいんですけどぉー!?」
あたしはアホの子になった。
これぞ女の子の部屋だ……!
かわいい! なにもかもが羨ましい。
「いっ、いや、そんな……ふつうのお部屋だよぅ」
白子が照れる。テレテレだ。こいつめ。うらやましいぞ。
「だってウチなんて畳だよ? そこに煎餅布団を敷いてさ……。天井だって木だよ、木! わかる? 木目が怖いの」
「そ、それはそれで昭和レトロっていうか」
「ベッドだぁ……憧れるー」
あたしはフラフラと近づいた。
淡い桜色で統一されたベッド。羽毛布団と枕カバーにはお姫様っぽいレースのヒラヒラがあしらわれている。ふわふわそうな羽毛布団が焼きたてのパンみたいに盛り上がっている。
「やっ、恥ずかしいから」
「……寝たい」
「えぇ!?」
正直、ダイブしたい衝動をこらえるのに必死だった。既に部屋自体、いい香りがする。甘い花のような果実のような。ベッドに至っては絶対にいい香りがするに決まっている。白子の匂いが染み付いた……って変態か、あたしは。
「と、ところで家の人は……?」
「仕事で誰もいないよ。だから遠慮しないでくつろいで」
「うん」
ご両親が不在。つまり家には二人きり。
……なんだろうこの胸の高まりは。
「お茶と冷たいジュース、どっちがいい?」
「あっ、じゃぁ冷たいのでおねがいします」
「すこし座って待っててね」
「はい」
あたしは借りてきたネコみたいに、ちょこんと座布団に正座した。白子の後ろ姿を見送りながら、あたりを見回す。
「…………」
ごくり。
身体が自然とベッドのほうへと向かう。
手でそっと触れてみると思った通りにふわふわだ。布団をめくり、手を突っ込む。毛布もシーツも柔らかい手触りが心地いい。おもわず腕が吸い込まれる。
あぁ、これはたまりませんね。
「……ふんす」
そのままベッドの中に頭をつっこんでみる。
案の定、すばらしい白子の匂いに満ちていた。すぅはぁ……あぁいい香り。このまま寝たい。
「美馬ぁあ……!」
「ひゃっ!?」
後ろから小さな手に背中をつかまれ、強引に引き剥がされた。
「し、白子!?」
「もーっ、やっぱり」
「すると思った?」
「だってダイブしたそうな顔してたし」
白子はあたしの不審な目付きを警戒し、ジュースをとりにいかずにUターンしてきたらしい。
ちっ、勘のいいやつめ。
「バレていたか」
「ぷっ」
「あはは……!」
あたしたちは笑い転げた。じゃれついて、白子とベッドに転がりこむ。互いの温もりと、重ねた手のひらの感触の柔らかさに驚く。
「恥ずかしいけど……美馬は特別だから。いいよ」
「いっ……いいの?」
「うん」
いいって、何が? ベッドダイブが? それとも、何をどこまで……? 見つめられて意味深なこと言われたら、勘違いしちゃうでしょ……。
「っと、あぶね、鼻血出そう」
あたしは耐えきれずギャグに逃げた。
「ぷっ、あはは」
「でへへ」
天井をむいてけらけら笑う。
こんなにしょうもないことで笑うのは、久しぶり。あたしと白子はベッドの上で仰向けに寝転がった。学校との距離感の違いに戸惑う。
隔てるものが無い。比類無き近さ。息がかかるほどの距離に白子の顔がある。
顔を横にむけて見つめ合う。心臓が不規則に暴れていた。きっと、キスをするならこういうタイミングなのだろう。
「……私、むこうで友達いなかったから……。すごく不安だったの」
「うまく馴染めるか?」
白子がうなずく。黒髪が絹糸の束となってほほを流れる。
「でも、美馬が助けてくれた。嬉しかった」
「そ、そんな大袈裟なもんじゃないよ。ふつうだよ、ぜんぜん、ふつう」
ふわふわした気持ちだった。自分の言葉が、上の空みたいにも思えるくらいに。
「どうして、ふつうでいられるの?」
「え? 何が……」
「黒い影とか、幽霊みたいな、存在が美馬には見えるんだよね。それどころか、追い払ったりも」
白子が身を起こした。
あたしに覆い被さるように身を乗り出してくる。
「うん。でもそれが普通だったから」
いわゆるモモノケも、妖怪変化も幽霊も。よからぬ災いをつれてくる怪異という黒い影たちさえも。
「……私は、それでイジメられた。トイレや廊下の隅にいる黒い影を『霊がいる』って指差したら。気味悪がられて。仲間はずれにされて」
「白子……」
「なのに、美馬は同じものが見えるのに。どうして?
そんなふうに強くて、平然といられるの? みんなとも上手くできて……どうして。ここに来て美馬に出会ってから、ずっと考えてた」
そっか。同じく怪異が見えたとしても、彼らをどう受け止めるか、どう受け入れるか。それでいろいろな事が、世界が変化してゆく。
白子は素直で不器用なんだ。あたしは少しだけ怪異に慣れていて、他人に合わせるのが上手いだけ。
いや、そもそもあたしは白子を知らなすぎる。
今までどうだったか、何が好きで何が嫌いか。何が苦手で何が得意か。
「白子」
「……なぁに?」
「もっと白子のことを知りたい。もっと」
「美馬……。嬉しい、ありがとう。嬉しいよ」
手を重ね力をこめる。
「うん」
そうだ。これからもっと、もっと、あたしたちは友達になれる。そしてどんどん世界を広げて――
「美馬、おねがいがあるの」
「……なに?」
「私だけの美馬になって」
祈るような言葉とともに、目の前が白い光で満ちてゆく。まるで白い繭のような空間に、あたしたちは包まれた。