第6話:ゾナ湿地林
「着いたわ。ゾナ湿地林よ」
川をのぼりきると、そこは広い池のようになっていた。それと、湿地林の名の如く、森と言うほどじゃないけど背の高い木が多いのと、水面のあちこちから草が出てる。ただ、もっとどんよりした感じだと思ってたけど、黄緑の若葉も多くて景色は結構いい。
「川と繋がってたんだな」
王城から来る支流との合流地点を過ぎた後は次第に川幅が狭くなって最終的には1/3ぐらいになったけど、船に乗ったままここまで来れた。エルダが船を減速させて、手漕ぎボートぐらいのスピードになった。
「ええ。ここに溜まった水が、山の斜面を流れることで川が広がっていったのよ」
「水が地面を削ってくのか。そもそも何でここに水が溜まったんだ?」
山をのぼったところに池があるのは珍しくないけど。
「地殻変動の結果よ。いま私たちのいる大陸の地殻は、両側から海洋地殻、つまり海の底を形成する地殻に挟み撃ちを受けてるの。
平たい布を横から潰すとシワになるでしょう? 地面は固い岩みたいなものだけれど、圧力に耐え切れずに崩れて山や谷ができる。それで窪んだところに雨水が溜まるのよ」
「デカい岩を砕けるまで潰したら瓦礫でデコボコになるようなもんか」
「そんなところね。後は、大規模な土砂崩れで地形が変わることもあるわ」
「へえ~。それで、ここの水を調べるんだよな。さっきまでの川とは違うのか?」
「さすがにすぐ近くではあまり変わらないけれど、川の水質は下流に行くにつれて変わっていくわよ。途中の土や岩からミネラルが溶け込むし、支流との合流もある。支流は湧き水が元になっているものが多くて、場所によって土壌が違うから成分が変わるのよ」
「土壌か・・・ここはどんな土壌なんだ?」
「枯れ草や落ちた小枝。それらが長いこと水の底に残ることで出来た土壌よ。微生物による分解よりも枯れ草の量が勝ると、こうなりやすい。一方で支流の水は、岩場が多いから鉱物由来の成分が多いのよ」
「ふーん・・・」
聞いてみたはいいけど全然分からん。とにかく、植物か岩かの違いがあるらしい。
「水虹密度ってやつも変わるのか?」
「多少はね。溶け込んでる成分を不純物と言うのだけれど、不純物が少ないと水虹密度が高い傾向があるわ。それから、物質ごとに水虹密度は違うから、何が溶け込んでいるかでも変わる」
「それじゃあ、植物が多いこっちの方が水虹密度が高いのか?」
特に根拠もない直感だったけど、当たったようでエルダの口元がニコッとした。
「よく分かったわね。植物には非金属成分が多くて、それらは金属より水虹密度が高いから、溶けたあとの水の水虹密度も高めよ。動かしてみるとね、生き生きした感じなのよ」
それでエルダは、池の水を取り出した。
「生き生きしてる?」
「そう。ものすごく繊細で、小回りも効いて扱いやすい」
エルダは取り出した水を、ウサギやイノシシの形に変えて水のアートみたいなことをした。
「すげぇな・・・岩の成分が混ざってるとできないのか?」
「できることはできるけれど、疲れが溜まりやすいわね」
「あ、なるほど」
水操術を使うと体内の水虹の流れが乱れて疲れるんだっけか。
「けれどその代わり、鉱物成分が多いと重みがあって、力強いものになる。さっきイノシシにしたような攻撃は、その方がやりやすいわ」
「そうなんだな。じゃあエルダは鉱物が多い水が好きなのか?」
「少し他意を感じるわね・・・思いきりぶつけるのも気持ちがいいけれど、遊びで扱う分にはゾナ湿地林のような水がいいわね。本当に繊細で、水が体の一部のように感じるもの」
そう言ってエルダは、船の右側から出した水を、俺たちの頭上を通してアーチを描かせて左側に落とした。その動きを、もう1回、2回、3回。結局、前にもたくさん出して水のアーチトンネルを進む形になった。岸辺に到着したところで、ストップ。
「ね、綺麗でしょう?」
最後にニッコリ笑顔で決めてきた。たまにこういう顔をするのがニクい。少し動揺させられたのを誤魔化すために、話を続けた。
「それじゃあ、何も混ざってない純粋な水はどうなんだ?」
「純水が一番動かしやすいのは確かなのだけれど、あまりにもあっさり動くから味気ないのよね。自然にはないから人工的に作らないといけないし」
「“味気ない”って何だよ・・・」
飲む訳じゃあるまいし。しかも水ならミネラル混ざってても大した味はしない。
「しょうがないじゃないの他に言いようがないんだから」
「そうですかい」
こればかりは実際にやってみないと分からないんだろうな。俺にはどうしようもないけど。
「それで、400年前の人が作った祭壇を探すんだっけ」
「探すのは埋まってしまった破片や石板とかだけれど、あなたも一度祭壇を見ておきましょうか」
「頼むわ」
船を降りて、エルダがロープを木に巻き付けてるのを見届けてから、池を背に歩き出す。足場はあんまり良くない。歩道の整備とかはされてなくて、基本は土。小さな枝をパキパキ踏みながら歩く状態で、ところどころぬかるんでる場所もある。
「なあ、水操術って泥水みたいなのも動かせるのか?」
「できるけれど、疲れやすくなるわね。色が変わるぐらいに不純物が溶け込んでいると、それだけ水以外の成分が多いということなのよ」
不純物が多いってことは、水虹密度ってやつが落ちるのか。もっとも、疲れやすいと言っても術者がエルダならあんまり影響はなさそうだけど。
「着いたわ、祭壇よ。跡形ぐらいしか残っていないけれど」
歩き出してから1分もしないうちに祭壇が見えた。5段ぐらいの石の階段と、祭壇本体。ちょっとしたイベントステージぐらいの大きさだ。
奥は元々壁だったのか、1メートルの高さも残ってないけど崩れ残りがある。手前側の角には、折れた柱みたいなのが1本ずつ。マジで折れてるみたいで高さも違ってる。
エルダが階段を上がり、俺もその数歩斜め後ろを付いて上がった。
「・・・何もないんだな」
上がったからと言って特に何もなかった。
「集まって祈りを捧げるだけの場所だったのでしょうね」
「昔はこの辺に村があったのか?」
「そうよ。高所で、火山から離れていて、水も緑もある。海は少し遠いけれど、水操術もあるし往復も苦ではないから」
確かに、住みやすそうな場所ではあるな。エンジンとかははなかったにせよ、水操術があれば漕がなくてもイカダで川上りもできただろう。
「その時はクロスルートは無かったのか?」
「ハイドライル統一よりもずっと前はね。クロスルートの前身となる集落は、かつてはここにあったのよ。拡大していくにつれて今の場所になったのね」
「何で祭壇から離れた場所に移動したんだ?」
「人口が増えたからよ。ゾナ湿地林の水は飲み水としては微妙だし、支流の水だけでは足りない。生活圏を拡大しようとした時に、南にハーバー湖を見つけたからそれを活用することにしたのね」
「ハーバー湖には集落はなかったのか?」
「あの辺りは、凶暴な動物が出やすいの。今で言えばハーバーベアとかね」
ハーバーベア・・・今朝武器屋で言ってたやつか。
「あそこの水は綺麗だから色んな動物が集まりやすくて、結果として強い動物が残る。水を汲みに行った人が犠牲になることも珍しくなかったと思うわ」
「そうなのか・・・水操術で退治できなかったのか?」
「もちろん、クマを狩って持ち帰ることもあった。でもやられる時はやられてしまうわ。当時は武器も石器がメインだったし」
「そっか・・・」
相手はクマだもんな。エルダほど水操術が使える人もそんなにいないみたいだし。
「水源としてハーバー湖を使うようになってからはゾナ湿地林との中間を拠点にするようになって、人口が増えるにつれて斜面の下の方に広げていった。その方が、水を街全体に行き渡らせるのが簡単だから」
「それで海まで行ったんだな。でも昔は水虹管ってやつが無かったんだよな? なんであんなの作ったんだ?」
「まず、この辺りは鉱物資源に乏しくて、水虹と反応させて蒸気を作るという技術がなかった。自動で水を汲み上げるシステムがないから、多くの家庭は屋上に貯水槽を置いてそこから落として使っていたのよ。屋上に水を溜めるのは水操術で出来るから、それを1日1回やればいい。最初に誰かがやったのを、みんな真似し始めたのでしょうね」
「それで、街中の水を上から配ってしまおうってなったのか。随分と面倒なことをしたんだな」
「そうね。市民からすればもちろん、屋上に水を溜める手間が省けるから嬉しい。けれど、無くっても困るほどじゃない。水虹管を発明したのは現王族の祖先だけれど、彼は元々ここの人間じゃないわ。交易が盛んになることでやって来た行商人だったのよ」
「行商人が発明したのか?」
「ええ。彼こそが初代国王、ハイドライル1世よ。行商人ながらも研究熱心なタイプだったようで、生まれが鉱物資源に恵まれた街だったから金属を用いた応用も得意だった」
「でも、わざわざ故郷じゃない場所で水虹管を作ったんだな」
「1つの街であれほどの高低差があるのが、当時はクロスルートだけだったのよ。彼の故郷、東の火山地帯近くにあるオンラヴァという街は、地下水脈から井戸で汲み上げるのが主流だったから、そもそも水路で供給するというシステムではなかったわ」
「井戸で汲み上げてたのか? 金属があったのに」
「手動ではないわ。レバー1つで水を汲み上げる機械を、彼が作ったのよ」
「ああ、なるほど」
ポンプみたいなのを作ったのか。
「だから彼には、クロスルートの人がわざわざ水操術を使って屋上の貯水槽に溜めてるのが不思議だった。大した手間じゃないにしても、人力だから」
「水操術やると疲れるんだったよな」
「ええ。それを抜きにしても。そもそも当時クロスルートでは金属が重宝されたわ。その上で彼は金属を応用して、人力に頼らずに水を汲み上げるシステムを作ってみせた。これがかなりの注目を集めたのよ」
「凄いな。400年も前からそんなことができてたのか」
「そうよ。その時の技術が、今もまだ生きているの」
400年も前からか。想像できないな。
「でもそれだけで大陸統一なんてできるのか?」
「もちろん最初はクロスルートだけで、それも家庭ごとに水の汲み上げ器を設置するだけだったわ。水路は既にあったから。
けれどその汲み上げ器が街を統治する長の目にも留まって、街全体に広めていこうとなったのよ」
「なるほどな。でもそれが何で、建物の上に配水管を巡らせることになったんだ? 水の汲み上げ器だけ作りまくれば良さそうだけど」
「当時の長の思い付きというのもあるのでしょうけれど・・・」
そこでエルダはしばらく黙り込んで妙な間をおいてから、口を開いた。
「・・・恐らくは、未来を生きる私たちに遺すため」
「未来に?」
なんか、いきなり未来とかいう言葉が出てきたんだけど。
「私たちは生命体である限り、種の存続を第一に考える。ハイドライル1世がクロスルートに訪れた時点で人口は増える真っ只中にあったから、それを前提に整備することにしたのよ。その結果が、上に配水管を巡らせる。そうすれば、それに新しく穴を開けるだけで水が取り出せるようになるから」
「ん・・・? 家が増えた時に、新しく汲み上げ器を作るよりは頭上の配水管に穴開ける方が楽ってことか?」
「そう考えたのでしょうね。事実、私たちは現在、自分で汲む作業をすることなく水を使うことができている。水汲みは王国が一括でやって、街で一番高い場所に水を溜めてそこから送り出す。これは今でも変わらないわ。私たちの生活も、400年前の人たちに支えられてるのよ」
「すげぇな・・・」
種の存続ってやつを大事にするにしても、そこまでするのか。
「その、街中に水を送り出すための大掛かりな機械も、ハイドライル1世が主導して作ったものよ。その功績が讃えられて、彼は次の長として指名された」
「行商人が一気に国王か。でもその時はまだ他にも国があったんだろ?」
確か、統一したとか言ってたよな。
「ええ。当時はまだ大陸にいくつも国がある状態だった。クロスルートの長に就いた彼は、自らも積極的に交易を続けたわ。同じシステムを他の国にも整備することを目標に、クロスルートでの整備も進めつつ同時進行でね。けれどその過程で、通貨が統一されていないことが煩わしかった」
「ああ。“ウォート”ってやつか」
「そう。通貨の違う国との取引は物々交換だったけれど、現地の人だって交易に出掛ける。するとやっぱり自国で使えない通貨が手に入るのは鬱陶しい。だから、通貨を統一しましょうという流れになったのよ」
「それで国としても合併していったのか?」
「そうよ。国によって交易のルールとかも違っていて、それも鬱陶しかったから何から何まで全部統一していった。だったらもう、国境は要らなくなる。街の細かい運営は現地の長に任せるけれど、生活ルールはどこも同じよ。
そしてハイドライル1世は、クロスルート以外でも、川の上流から水を引っ張るなどして水虹管を整備して多くの支持を得た。それで彼を国家元首に推す声が強まり、彼のその時の拠点にして地理的にも安全なクロスルートが首都になったのよ」
「へぇ~~~っ」
そんな流れがあったんだな。あの空中の水道管には。
「でもあの管って透明だよな。何を使ってるんだ?」
「水虹結晶よ」
「水虹結晶? 何だそれ?」
また変なのが出てきたぞ。
「一言で言うと、永遠に残る常温の氷」
「は・・・?」
何を言ってるのかは分かったが、言ってることの意味が分からなかった。
「水に強い圧力をかけて圧縮していくと、ある一定の水虹密度に達したところで水虹同士が結び付き、水を元の体積に戻しても水虹だけは中心に集まったまま、その場所の水は凝結して固まるのよ」
「それで、冷たくもないのに氷ができるのか?」
「ええ。固体と液体の違いは、分子間の結合の強さなの。結合が弱いと液体で、重力に負けて広がる。温度が上がると結合が弱くなるから液体になってしまうのね。水の場合は、その境界の温度、融点と呼ばれるのだけれど、通常はこれが0度」
「その融点ってやつが、水虹密度が高いと上がるのか?」
「そうよ。それで極端に水虹密度が高い状態を作り出せば、融点が気温を超えて、水は氷になる」
「そのために水を圧縮するのか?」
「ええ。試しにやってみましょうか」
「できるのか?」
「水操術で出来るわよ。かなりの圧力がいるから疲れるけれど、水を圧縮するだけだから」
「そうなんだな。ちょっと見てみたいかも」
「一旦池の方に戻りましょうか。祭壇そのものに用がある訳でもないし」
「だな」
祭壇を離れ、歩きながらエルダが話を続ける。
「実際に見てもらえば分かると思うけれど、水虹結晶ができるほどに水を圧縮すると、水の体積を戻しても水虹結晶はそのままなの」
「あのキラキラしたやつが透明になるのか?」
「確かに水虹結晶は光の透過が多いけれど、反射もあるから近くで見ると“キラキラ”も残ってるわよ」
なんか、“キラキラ”だけやけに強調された。俺のレベルに合わせた感が強い。
「それじゃあ、やってみるわね」
池が近付いて来たので、エルダが水を取り出して自分の前に持って来た。それを空中に浮かせたまま、水晶玉に唱える占い師のように両手で挟み、
「んっ・・・」
凝縮させていった。バレーボールぐらいの大きさだった水が、どんどん、どんどん小さくなっていく。ソフトボールぐらいになったか? いや、まだ小さくなる。まだまだ小さくなって、ゴルフボールぐらいになったところで、
「ふぅっ」
ボン、と水が戻って、バシャンと落ちた。
「ごめんなさいね。水虹を失った水は、操れないから落ちるのよ」
「え、“水虹を失った”って・・・」
「できたのよ、水虹結晶が」
エルダが水を浮かせていた所に視線を戻すと、本当に水晶玉みたいなものが残っていた。サイズはさっき最終的に縮めた時と同じゴルフボールぐらい。それがゆっくりと、エルダの開いた手に下りていく。
「はい」
それを親指と他4本の指でつまんだエルダが、俺に渡してきた。手を開いて前に差し出すと、その上にエルダが置いた。
「ふ~~ん」
自分でもつまんで、顔の前に運んで眺める。常温の氷というだけあって、熱くも冷たくもない。それに、冷凍庫で作る氷と比べると随分と透明だ。そして、角度によっては虹っぽいものがキラリと見えたりする。
「なんか、宝石みたいだな」
覗き込めば中に虹が見える水晶玉。そんな感じだ。
「ええ。だからそれを集める愛好家も、加工して売る工芸師もいるわよ」
「だよな」
これだけ綺麗なら、コレクターがいてもおかしくない。
「でも今、水が結構落ちたよな。全部まとめて固まらないのか?」
エルダが力を抜いたとき、同時に大半の水が落ちた。圧縮したんなら全部まとめて水虹結晶になっても良さそうだけど。
「ここが水の特徴的なところでね、結合が強くなれば固体になるという話をしたけれど、大抵の物質は圧力をかければ結合が強くなって融点が上がり、固体になりやすくなる」
「その言い方だと、水はそうじゃないってことか?」
「ええ。反対に下がるの。氷というのは隙間の多い分子構造になっていて、圧力をかけ過ぎるとこれが崩れてしまう。結合の崩れは、そのまま液体化を招くのよ。
だから圧縮した状態だと、水虹が集まってても上手く結合できずに液体のまま。それを最後、水操術で圧縮していたのを解除することで元の圧力に戻り、水虹だけは密集した時に結び付いたままだから、その箇所の水だけが固体化する。これが水虹結晶よ」
「えっと・・・じゃあ最初の状態と比べると、圧力はそのままで水虹だけが真ん中に集まったことになるのか」
「そんなところね。あくまで水虹同士を結合させるために、一時的に水ごと圧縮するの。だから元に戻した時に、水虹は中心にしかないから大部分の水は水操術で操ることができずに落ちてしまう」
「え? あぁそっか、水虹がないんだもんな」
元々あった水虹が全部結晶に持って行かれるから、残った水は水虹がなくなって操れなくなるのか。
「そうやって水虹を失った水を無虹水と呼ぶわ。特に使い道がある訳ではないけれど、飲みすぎるとお腹を壊すわよ」
「マジか。重要なんだな、水虹って」
体内の水虹が乱れると体調が崩れるんだっけか。
「あなたが持ってないのが不思議なぐらいにね」
こっちからすれば水虹の存在自体が不思議なんだけどな。改めて、指でつまんでる水虹結晶を眺めてみた。
「なあ、これってどうやって水虹管みたいに大きくするんだ?」
バレーボールぐらいの水を使って得られるのがこれだけなんだろ? 街に張り巡らされてる水虹管はどうやったんだ?
「水虹結晶は、一言で言えば融点が高い氷。融点以上に加熱すれば融解するから、溶接するように繋げることは可能よ。形も、今はやりやすいから球状にしただけで、ある程度は調整できるわ」
そっか、融点ってやつが上がるだけだから火があれば溶けるのか。でも、街中を巡ってるあれが全部このゴルフボールサイズの溶接なのか?
「何度ぐらいで溶けるんだ? これ」
「800度よ」
「800ぅ!?」
800度って何だ? 水が沸騰するのが100度で、天ぷら油が250度で・・・。
「あなたも察している通り、不可能ではないけれど融解させること自体も相当な手間になるわ」
「800度だもんな・・・」
金属の粉を使えば簡単に熱を得られる世界とは言え、手間は手間だ。
「水虹管作るのって、かなり苦労したんじゃないのか・・・?」
「それはもう、かなりの人海戦術になったはずよ。住民総出でやったのではないかしら。人によってはその大きさ1つでバテてしまうし、そもそも水虹結晶を作ることさえできない人もいる。
実際、水操術の使い過ぎで倒れた人もいたみたいね。当時は大した医学もなかったでしょうし、水操術の使い過ぎが原因だということさえ認知できなかったみたいで、この時期にあちこちの街で多くの死者が出たという記録が残っているわ」
「そんなにか! ・・・けど、それでも作ったんだな」
「未来に遺すため、でしょうね。金属の配水管にした方が幾分か楽なはずだけれど、腐食するからいずれ交換が必要になる。永遠に使える材料が水虹結晶しかないから、それで作らなければ意味がないのよ。文字通り、命懸けだったでしょうね」
「マジか・・・何もそこまでしなくても・・・」
「急ぐ理由もなかったはずだけれどね・・・種の繁栄を大前提に、自分たちの手で未来にずっと遺る財産を作るんだという思いが強かったのかも知れないわ。それでも、完成するまでには10年は掛かったそうよ」
「10年もか。でも、こんなちっこいのにしかならないものを、街中に巡らせたんだもんな」
エルダもまだ、スゥ、スゥ、と、普通よりは大きめの呼吸になっている。エルダでさえこれだから、かなりきつかったはずだ。それでも作るなんて・・・歴史的建造物みたいなものだろうか。昔の人がやったことだから分からないな。
「だから実際には、高台から水を送り出すための機械が先にできて、そこからクモの巣を張るように水虹管を作っていったのよ。
人口の増加に合わせて水虹管の増築も重ねたから複雑になってしまったけれど、ある程度のところでやめたようね。水虹管に合わせて家を建てるようになったのよ。水虹管に穴を開ければ上から水が手に入るから」
「だよな。死んでまで作るもんじゃないだろ」
「そうやって、昔の人の苦労と犠牲の上に水虹管は出来上がっているの。水虹結晶で作ったから名前も“水虹管”なのよ」
「ああー! それで“水虹管”か! 水と一緒に水虹を運ぶってだけの意味じゃなかったんだな!」
確かにそれだと“水虹管”って名前にしたくなる。みんなで汗水流して、犠牲者まで出して、未来のために作ったものだ。
「水虹結晶って、冷たくなくても氷なんだよな。水虹が集まってるから固体になってるだけで。だったら水虹管も水操術で動かせるのか?」
「単体の水虹結晶なら動かすのは簡単よ。ほら」
「うおっ」
エルダは俺が持ってた水虹結晶を浮かせた。
「けれど、水虹管を動かすのは無理ね。動かすには、亀裂を入れて切り離す必要があるから。さっき言ったようにかなり強い力で結合しているから、水操術でそれを切り離すのはできないわ。私も、普通の氷なら水操術で割ることができるけれど、水虹結晶はね」
「そうなんだな」
浮いていた水虹結晶が、エルダの操作で俺の手に戻る。
「これ、どうするんだ?」
「あなたにあげるわ。溶かして水に戻すのも面倒だし」
「そっか」
綺麗だし、記念にもらっておこう。
「ただし、私の持ってる金属粉末には近付けないようにしてね。最悪は火が点くから」
「う・・・」
怖いこと言うなよ。火事になってからじゃ遅いけどさ。
「それで、地面に埋まってる石板を探すんだっけ」
「そうなのだけれど、目に見えるようなところはもう色んな人が調べてるから、難しい場所をね」
「難しい場所って?」
スゥッ、と、エルダは左手を前に出して指差した。その方向は斜め下、すぐ目の前にある池だった。
「池の底よ」
次回:池の底