第5話:街の外へ(後編)
「さあ、ここから行きましょう。いつイノシシが出るか分からないから準備しておいてね」
「ああ」
ある程度上流まで来たところで船を降りて、合流してくる支流に沿って歩き始めた。どのみち上流なだけあってか、幅が狭い上に岩でゴツゴツしてて船で進めるようなものじゃない。その一方で、
「メインの川は広いままなんだな」
船で進んで来たメインの川は、下流の方と比べてもそんなに変わってない。
「人工的に広げたのよ。クロスルートで高所に住む貴族や王族も、ここを通って移動するから。もう少し上に行くと貴族街や王城へと繋がる支流があるから、それで下って来るの。豪華そうな船が通る時は道を開けるのが通例よ」
「そうなんだな」
大陸の中央には縦に長い山脈があるみたいだから、反対側に行くには海に出るしかないだろうし。
歩き始めて2~3分したところで、カサ、カサカサと、草が揺れる音がした。
「さあ、来たわよ。準備して」
イノシシだ。2頭いる。
「っし・・・」
腰に下げた水虹銃を取り出した。それと同時に、イノシシが2頭とも走り出した。
「うおっ・・・!」
一応は水虹銃を前に向けたけど、手が震える。
「私が動きを止めるから、あなたで仕留めて頂戴」
「お、おぅ・・・」
まだ距離があるけど、突進して来るイノシシ、超怖ぇ。もちろんこの距離で当てきれる自信もない。
イノシシが迫って来る中、エルダは魔法で浮上させるように川から水を取り出した。実際に、離陸するヘリコプターのように水が浮かみ上がってきた。サイズもヘリコプター並みだ。
イノシシはまだ迫って来る。いつになったらエルダは水を飛ばしてくれるんだという思いと、まだ当てきれる距離じゃないという思いの板挟みに遭う。でも結局は、
ポァァン!
耐えきれずに撃ってしまった。もちろん外れた。
「もうちょっと引き寄せられる?」
「いや、怖いから頼む!」
「分かったわ」
エルダが勢いよく手を振ると、浮遊してた水が2つに分かれてそれぞれ一直線に飛んで行った。エルダが直接操ってるし、飛ばした水の塊はイノシシよりもデカいしで直撃。突進を止めるどころか、イノシシを後ろに転がした。
「早く仕留めた方がいいわよ。怪我をしない程度にしたし、それでも今の威力なら間違いなく彼らは逃げる」
「マジか・・・!」
ポァァン! ポァァン!
エルダに煽られるように水虹銃を撃った。
「やっべ・・・!」
全然当たんねぇ!
ポァァン! ポァァン!
かすったか・・・!? けど、イノシシは2頭とも立ち上がり始めた。
「やっべ・・・!!」
ポァァン! ポァァン!
ダメだ、まだ距離があって当てきれねぇ。
「仕方ないわね・・・」
エルダの方を見ると、右手を振り上げて川の水を高く上げていた。
「こっちではなくて前を見てなさい」
「お、おぉ!」
そうだ、ターゲットを見てないと。
ポァァン! ポァァン!
やっべぇ! 全然当たんねぇ!!
このままじゃ逃げられる、と思った瞬間、
ドオオオォォォォォン!!
イノシシ目がけて真上から滝のような水が落ちて来た。2頭のイノシシは再び倒れ、エルダの方を見ると、右手を振り下ろした後だった。
「気絶しているわ。目が覚めたとしても、彼らはもう走れない。近付いてトドメを刺しましょう」
「あ、ああ・・・」
エルダはまた水の塊を川から取り出して、それをプカプカ浮かばせたまま歩き出した。俺もそれに付いて行く。歩きながら、水虹銃のカートリッジを交換した。
確かにイノシシは気絶していた。死んでるようにも見えて、違いは分からない。
「額を狙うと良いわ。腹部や背中だと一発で死なないことが多いから」
「ああ」
水虹銃を取り出して、イノシシの額に向ける。やっぱり、イノシシとは言え動物を銃で殺すのは抵抗があるな。ウサギだったら間違いなく引き金を引けなかった。
ポァァン!
至近距離だから、外すことなく撃てた。銃弾はもちろん残らず、エルダの攻撃で既に濡れてたところに水が増えたのと、額からは血が流れた。
「・・・もう1匹、だな」
もう片方のイノシシも、同じように額を撃って仕留めた。
「ふぅ、ふぅ・・・」
緊張の糸が解けて、呼吸を整え始める。
「お疲れさま。少しは慣れたかしら?」
「時間が掛かりそうだけどな」
「あら、そう」
エルダはそう言って、ここまで運んで来ていた水を動かし始めた。
「少し離れてて」
「あ、ああ」
イノシシから離れると、エルダは水をイノシシにぶつけて、川の方に転がした。
「川のそばで仕留めた方が運ぶのが楽だから、早く慣れて頂戴ね」
「スマン・・・」
川の方に戻り、それに沿って船を止めている方に向かった。イノシシは、川に落としてエルダが水操術で運んで来た。さっきの無駄撃ちで空になったカートリッジも、ここで補充。確かにこりゃ、水場から離れられないな。
メインの川との合流地点に戻ると、ちょうど他の船が隣に止めようとしている所だったから、エルダはイノシシの死骸を売りつけた。ウサギ1匹ならともかく、イノシシをタダで人にあげるような奴は居ないらしい。
「それじゃあ、ゾナ湿地林へ向かうわよ」
再び船が動き出す。
それにしても凄かったな。イノシシをほぼ一撃とか。その上でまた平然と船を操縦してるし。
「ふあぁ~っ。疲れたぁ~~」
情けないとは思いつつも、全身の力が抜けるように座り込んだ。
「あっははは。本当に狩猟に慣れていないのね」
「こっちだとほとんどの人はしないんだよ」
言い訳がましくなってしまった。
「そうみたいね。けれど、彼らの縄張りに足を踏み入れないことには襲われないから、安心しなさい」
「それは安心だな」
「それでも慣れてもらう必要はあるけれど。あと、体力も必要ね」
「はぁ・・・」
安心させたいのか不安にさせたいのか、どっちなんだ。
「細かいことで一喜一憂するのね。見てて面白いわ」
人の反応を見て楽しんでるだけだった。くっそ・・・。
「・・・なあ、水操術ってのは疲れないのか?」
エルダがピンピンしたままなのが解せない。
「やり過ぎると疲れるわよ。水操術を使うと体内の水虹の流れが乱れるから、それが疲労になって表れる。酷くなれば、動けなくなったり気を失ってしまうこともあるわ」
「マジか。どれくらいやれば疲れるんだ?」
「人にもよるけれど・・・2~3秒動かすだけで呼吸が乱れる人もいれば、大量の水を長時間扱っても平気な人もいる」
「ふーん。じゃあエルダは疲れにくい体質なんだな」
「そうなるわね」
エルダは淡々と答えた。これまですれ違ってきた狩人はみんな武器持ってたし、やっぱりエルダは相当なんだと思う。
「ちょっと腹減ったな」
俺は自分のカゴの中から、パンを取り出した。ロールパンで切り込みにレタスとウィンナーが挟まってる、ホットドッグみたいな感じのものだ。味はそこそこだけど、冷めきってる。
「それ、温めた方が美味しいわよ」
「でも火なんてどこにあるん・・・あ」
「そう。金属粉と水があればできるの」
エルダはまたしてもポケットから袋を取り出した。
「さっきとは違うものよ。これは火を起こすのに特化したもの。そこの板を置いてもらえるかしら。このままだと船が燃えちゃうわ」
「あぁ、あれか」
なんか鉄板みたいなのがフチに立て掛けてあった。この上で火を起こすらしい。
「スタビリウム鋼よ。スタビリウムを主とした合金で、調理の温度ぐらいでは錆びないのと、水虹ともほとんど反応しないの」
「なるほど。この上に、水虹と反応する金属の粉と水をぶちまけるってことか」
スタビリウムとやらの板をエルダのそばに置くと、その上に金属粉をひとつまみ出して、更にタルからよく分からん塊も取り出して置いた。
「なんだそれ? 食うのか?」
「いいえ、牛脂よ。街で買えるわ」
「え、油か?」
「そうよ。水虹は燃料にもなるけれど、炎を維持するためには絶えず水を供給し続ける必要がある。街と違って水虹管はないし、食事のために水操術を使いたくないわ」
「あー、それもそうか」
体内の水虹の流れが乱れて疲れるんだっけ。でも少しなら何ともないらしく、エルダは水操術で川の水を取り出した。ウズラの卵ぐらいの大きさだ。それが粉に垂らされると、ジュワッと一瞬で蒸発してパチッって鳴ったと思ったらボゥッと火が点いた。
「さ、これでパンを炙れるわよ」
でも、トングとかはないから素手でやんなきゃいけないんだな。
「あち、あちちちち・・・」
「あっはは。今度は何か道具を持って来なさいね?」
ここまでしてホットドッグをあっためる必要はあったのか・・・でも、せっかく火を点けてくれたしなぁ。
「私も腹ごしらえをしておこうかしら」
そう言うとエルダは川の方を向いてピッと手を動かした。すると魚が飛んで出て来て、エルダがそれをキャッチ。その手の上でピチピチ跳ねるかと思いきや、そんなことは無かった。魚は既に死んでいた。川から出すと同時に仕留めたみたいだ。
「そっちの棒も取ってくれるかしら?」
スタビリウムとやらの板が立て掛けてあった場所には、確かに棒みたいなのもあった。エルダは船の操縦があるから、代わりに俺が取りに行く。串焼き用だったのか、これ。ホットドッグには使えないけど。
「はい」
「ありがとう」
エルダは棒に魚を刺して、焼き始めた。
「エルダもさっき食べ物買ってなかったか?」
「ゾナ湿地林の魚って美味しくないのよ。持ち運んでる食料は温存しておきたいし、今はこの場で手に入るものを食べるわ」
「なるほどな」
湿地林っていうのがイメージしにくいんだけど、デカい水たまりに林があるみたいな感じだと、泥水なんかな。
とりあえず食べ終わった。
「この火はどうするんだ?」
油使ってるから水じゃ消せないだろうし、そもそもこの世界は水で火を消せるのか?
「消火用粉末を使うわ。酸素から遮断すれば消せるのよ」
消すのも粉なのか。消火器みたいなものだろうか。エルダはタルみたいな箱から、今までの5倍ぐらいのサイズの巾着袋を取り出した。
「やってみる? その中の粉を、火に向かって振りかけるだけよ」
「じゃあやってみようかな」
袋ごと渡されたので、足元に置いて開けて、片手で掴めるだけの粉を掴んだ。本当に消火器みたいな感じで白くて、これなら消せそうな気がした。
「うっし」
手をできる限り火に近付けて、パッ、と粉を撒いた。火は弱まったけど、微妙。
「もう1回ぐらいは必要ね。その粉は街で買えるから、遠慮しないでいいわよ」
「分かった。もういっちょっ」
また同じように粉を掴んで、パッと掛けた。今度は鎮火した。煙だけがその場に残る。
「あ」
粉をかぶった牛脂も残った。
「いいわよそれぐらい。それも街で買えるから。そっちの箱に入れておいて」
あれがゴミ箱か。俺は粉まみれの牛脂をつまんで、ポイッと投げた。けど外れて箱の側面に当たって転がった。仕方なく立ち上がる。
「何をしているのよ」
エルダが呆れたように言った。いいじゃんか別に面倒だったんだから。
気付けば船は随分と高い場所まで来ていた。他の船も見当たらないから、ここまで狩りに来る人は少ないらしい。
「ほら、あれが王城よ。そっちの支流は立ち入りが制限されてるわ」
「おっ、あれが城か」
この川も林で囲まれてるけど、右前方の木の隙間の向こうに城があるのが見えた。石造りで、オフホワイトと灰色の間ぐらいの色だ。王城の方からこっちに合流して来る小さな川もあって、あれは見ただけで人工の水路だと分かる。王族専用の通り道か。
「ゾナ湿地林ももうすぐよ。準備をしてなさい」
船はそのまま、王城を尻目に川をのぼって行った。
次回:ゾナ湿地林