第25話:フリーグ氷河
次の日の朝。いよいよ氷河へ向けて出発だ。ルートは、まずは海岸に沿って大陸の北側に回り込み、そこから川のぼり。
「とりあえず真東に進めて頂戴。陸地だけは見失わないようにね」
ここオズパーシーが北西に伸びる岬の先端にあるから、律儀に海岸に沿って行くと遠回りになる。かと言ってショートカットしようとすると方角が分からなくなる。
時計と太陽の場所から計算できるらしいけど面倒だしそんなに急いでもいないので、陸地を見失わない程度のショートカットということで、コンパスを参考に真東に向かって船を進めた。
「朝は冷えるな・・・」
昼までも20度いかない気候だし、海に出ると風も吹くから尚更だ。さすがに長袖がいる。エルダも、いつものヒラヒラの民族衣装みたいなやつの上から1枚羽織っている。
「ここからフリーグ氷河はそんなに遠くないわ。今日のうちに麓までは行けるはずよ」
オズパーシーを離れ、右側に陸地がギリギリ見える距離を保って進み、2時間ぐらいで海岸線が北に向かってぐわんと曲がったのでこっちも旋回。そのまま、少しずつ陸地に近付きながら北東方向に進んだ。
昼を過ぎても、北に向かってるせいかあんまりあったかくならない。南東側にある大陸に山が多くなってきたなかでも日光が当たるのは幸いだ。山は・・・さすがに雪化粧はしてないか。一応は夏だし。
と思ったら、しばらくすると雪化粧が見えるようになった。山頂というよりは、そのちょっと下辺りに、ぽつぽつと。
「あれが氷河か?」
目的地のフリーグ氷河ってのは、一番大きいやつに名前が付いてるとかだろうか。
「見ただけでは判別できないけれど・・・雪渓の可能性もあるわ」
「セッケイ?」
「夏季でも雪が残っているという意味では氷河と同じだけれど、流動している氷河に対して、雪渓は流動がないものよ」
「流動? 動いてんのか?」
「そうよ。氷河は、ゆっくりではあるけれど動いてるの。山の斜面があるからね。雪渓が動かないのは、谷などの窪みにはまっているからだと思うわ」
「へぇ~~っ」
色々あるんだなあ、山の雪にも。
「これから行くフリーグ氷河は、雪渓を含めても最大のものになっているものよ」
そこは普通に予想通りなんだな。てか、雪化粧が見えたら、ちょっと寒くなってきた。
「ぶえっくしょん!」
おぉ~、さみ。半袖と長袖1枚ずつじゃもう足りないな。
「すまん、服取って来る」
「ええ、代わりましょうか。あと私のもお願い」
「あいよ」
どうせこっから夜になると寒いし、もうコート着ちまうか。部屋に入り、自分のとエルダの分も取った。部屋を出ると、エルダが用事ありげな顔でこっちを見た。
「火を起こすから、風よけになりそうな板を3枚持って来てもらえるかしら」
「おお、いいな」
確かに、焚火をしていいぐらいには寒くなってきてる。東京の冬ぐらいには寒い。
下に敷くスタビリウム板と点火用の金属粉は、昼飯食った時のまんま船尾の操縦席付近に置いてある。
「部屋の床下にあるはずよ」
昨日ホーロー鍋を収納してたあれか。取っ手付きの四角いマンホールみたいなのが開いてたな。
50センチ四方ぐらいの金属の枠に囲まれた部分に、指で押すとクルッと反転して取っ手になる部品があったので、それを掴んで開けた。色々入ってんな・・・。例のホーロー鍋に、薬品が入ったビン。船の揺れでキャップ付近まで液体が上がってきてるんだけど・・・ちゃんと密閉されてるんだろうな。布でくるんであるから割れはしなさそうだ。
風よけに使えそうな板もすぐに見つかった。放置されてるせいかバーベキュー用に使ってるやつより汚いけど、これでいいだろ。L字に曲がってるから重り乗せれば立ちそうだ。1枚ずつ取り出して、エルダのいるところに戻った。
自分たちがあったまれる場所だけを残して、3方位を板で囲う。そして、金属粉と牛脂に水を掛けて点火。
「おぉ~~、あったけぇ~~~」
気持ちいいんだよな、これが。家でも、暖房つけて部屋ごとあっためるよりも、寒い部屋でコタツでぬくぬくする方が好きだった。親には何で暖房つけないんだと言われてたけど、この気持ちが分かる人はいるだろうか。
「じきに、フリーグ氷河の近くまで行ける川の入口に着くわ」
順調に、夕方にはその川の所に着いた。
「結構時間かかった気もするけどまだ明るいな」
完全な日没までは、まだあと1時間はあるぞ。
「もう9時は過ぎているわよ」
「えぇ!? 9時!?」
いやいや、9時でこの明るさはないだろ。
「随分と北まで来てしまったからね。自転軸の角度の問題で、夏は日照時間が長くなるのよ。大陸を離れてもっと北に行くと、丸1日沈まないという話よ」
「あぁ~~~」
あれか、白夜だ。北半球の夏で北極は太陽が沈まないんだったっけ。それでこの辺は、日没こそすれど9時とかになるんだな。
「火を起こしちゃってるけど、スープが欲しいわね。部屋に入りましょうか」
「だな」
さすがのエルダも、この寒いなか海で泳ぐような真似はしないらしい。
部屋は部屋で寒いけど、昨日オズパーシーで買った水ストーブ(実際は水虹の反応で発電してる)を付けた。その上に、これまた昨日買った土鍋を置いて、水と食料と調味料を入れて、蓋をする。
すげぇ~~、ザ・冬じゃん。昨日まで海で泳いでたんだぞ。と言っても現実世界でも、飛行機でオーストラリア行けば半日で夏冬逆転か。でも、船で地道に移動してた方が、“たったこんだけの移動でこんなに寒く”感もあると思う。
「さぁ、もうすぐできるわよ?」
エルダが、タオルで土鍋の蓋を開ける。いい感じでグツグツいってた。もうイケそうだな。2人して皿によそって、さっそくいただく。何の味だろこれ。鶏ブイヨン的な? 何にせよ美味い。悔やまれるのはフォークとスプーンしかないことだ。箸が欲しい・・・。
ちょっとは寒いけど水ストーブのおかげで凍える心配もなく、新調したてのふっかふかの布団で眠れた。エルダは勉強するから就寝が合わないけど、布団をもふもふする俺の姿を見て、「私も以前の寝具には戻れるか心配ね・・・」と呟いていた。それでいい、次からは宿屋のグレードも上げようか。
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次の日。朝から川のぼりスタートだ。だから寒いんだよ・・・やたら明るいのは救いだな。そのせいで5時半とかいう時間に起きちまったのは否定できないけど。
「さあ、フリーグ氷河を目指すわよ」
早速、川をのぼり始める。たき火も最初から点けてる。
「これ、どこまで船で行けるんだ? 氷河ってことは氷なんだろ?」
「歩ける距離までは近付けるわよ。標高のある場所では夜間に氷点下になるけれど、気温がそのまま川の温度になる訳でもないわ。川には流れがあるから、地面から受け取った熱も混ざり合うのと、単に動いてるというだけでも物は固まりにくいから」
「ふ~~ん。じゃあ、川のある範囲は普通に行けるってことか」
「そうね」
確かに、寒い地域の冬でも凍らない川ってあるような気がする。湖でも表面しか凍ってないパターンもあるし。
「私たちが凍えてしまわないように、気を付けないとね」
「確かに・・・」
真昼間でも、よくて5度なんだっけ? 雪国に行くぐらいのつもりでいないとな。
10時ぐらいには、それなりに高い所まで来た。両サイドの山に視界が遮られる谷底の川を進んでたけど、左側の山に沿って大きくカーブを始めたことで右側の視界が広がってきた。
「うっ、へぇ~~~」
想像以上にいい景色だった。すぐ前はなだらかなのぼり斜面がスゥゥッと続いてて、その奥には途切れなく連なる山々。奥の山には、雪渓か氷河か分からないけど、細長い筋のような形の雪がいくつも見えた。一応は夏だから緑がの方が多いけど、その中に残ってる雪というのもまたいい。
「だいぶ、らしくなってきたわね」
「だな」
遠くの山の雪原自体は海からでも見えたけど、ある程度登った場所から見るとまた違う。旅ってのは、するもんなんだな。
昼飯を食う頃には、いよいよ自分たちがいる山にも雪が現れ始めた。谷間に雪の解け残る山で白い息を吐きながら飲むスープは、至高の一言。
その後も船を進め、まだまだ太陽が高い位置にいる午後2時。ついに川が終点を迎えた。ちょっと広めの湖みたいになって止まっていた。なんとか0度は超えているのか、表面も凍ってないようだった。
「ここからは歩きよ。行きましょう」
「っし・・・」
気合を入れて、立ち上がる。エルダは大量の水を入れたタルリュックとポケットに金属粉末、俺は食糧とかを入れた藁リュックを持って、いざ氷河へ。
足場は悪くない。何ならどこにでもある高原と変わらない。背の高い木は育たないのか見晴らしもよく、雑草と土で緑と肌色半々の地面を踏みしめていく。足場は悪くないとか言いながら、なんか妙に力が入る。
最大の氷河に向かっているだけあって、進むにつれて景色の雪比率が増えてきた。視界に雪を入れない方が難しい。それと、自分たちが高い位置まで登ってきたこともあり、周りに見える山が低くなった。近所の裏山ぐらいだ。
やがて、両側の斜面は白と緑の迷彩柄と言えるほどまで雪が増えた。なだらかな場所を歩いてるけど、すぐ横を見てもあったりする。
ここまで来るとさすがに平地は無くなってきた。右にも左にも山が並んでいて、その裾野が広がってくるから地面も波打ってる。
「地図を見る限りは、もうそろそろね」
ちょっと先にある、きつめの傾斜の奥。既に見えてる斜面が8割以上雪という状態だから、そこにあると嬉しい。
足を進め、次第にその斜面の全容が明らかになってくると同時に、ここがゴールだという確信も強くなった。そして・・・、
「着いたわね。フリーグ氷河よ」
「ほぇぇ~~~~っ」
真っ白! 斜面の方には緑かグレーもぽつぽつあるけど、目の前の平原はただただ白。名前こそ“氷河”だけど、氷の大地って感じだ。
ここはその端っこの方らしく、すぐ右前にある山と、正面奥にあるやつとの間の谷に埋めるように、右奥に向かってぐわーーっと伸びていた。幅もかなりある。学校のグラウンドぐらいある。それが奥に・・・何百メートルだ?
「ここから山頂に至るまでの3キロメートルが氷河よ」
単位がキロだった。失礼しました。
「って、山頂も氷なのか?」
「ええ。夏の融解よりも冬の積雪の方が多いのでしょう」
ああ、なるほどな。
「さすがに山頂への道は険しいから控えるけれど、あまり帰りが遅くならない範囲で氷河を歩いてみましょう」
「だな」
良かった。ここで山頂目指すとか言われたらどうしようかと思った。登山の心づもりなんて全然なかったし。けど俺がいるから遠慮したのかも知れないのは、申し訳ないな。
その代わり、エルダの気の済むまで付き合うことにしよう。幸いにして、日没は遅い。結局昨日は9時よりも後だったし、沈んだ後も1時間ぐらい明るかった。
まず一歩、氷河に足を踏み入れた。ざく、という音がした。雪と比べたら断然固いけど、完全につるつるの氷って訳でもないみたいだ。ちょっとだけ足が沈む。粒の大きいかき氷をぎゅぅぅっと圧縮したら、こんな感じなのかも。
「結構楽しいなこれ」
「んふふ、転ばないようにね」
俺が地面の氷の感触を足で確かめていると、エルダはしゃがんで氷河に手を当てた。うわ~、冷たそ~~。
「動かせるのか?」
「氷の場合は、塊全体を動かすことになるから、ここまで大きいものは割るしかないわね」
「あ、そっか」
さすがのエルダも、この氷河を丸ごと持ち上げるなんて無理みたいだ。ちょっと安心した。
「水質を調べるのって、かき混ぜるように流動させながらしているから、凍ったままだと無理なのよね。何箇所かで採取して、後で融解させたもので調べることにするわ」
そう言ったあとエルダは「んっ」と力を入れた。するとピキピキピキ、と音がしてエルダの手の周りにヒビが入った。そしてエルダが手を離すと同時に、その部分の氷が浮き上がった。
「おぉぉ~~~っ」
氷を浮かせてるのは、水操術か。その氷はぷかぷかと漂いながらエルダの後ろに回り込み、背負ってるタルリュックの上に乗った。タルの中は水だから、上に置くしかないんだな。
「お待たせしたわね、行きましょう」
地面は氷だけど、意外と靴の裏がしっかり引っ掛かるのと、傾斜も普通の坂道ぐらいだから前に進むことはできている。ざく、ざく、と一歩ずつ踏みしめて、白い大地を歩いた。
進んでいくと開けた場所に出て、氷河の横幅が何倍にもなった。今までのは玄関に過ぎなかったってことか。同時に傾斜も緩くなって、車いすのスロープぐらいになった。奥の方では今まで以上に険しい道が待ってるのが見えるから、ちょっとした休憩ゾーンって感じだな。
「そろそろ休憩しましょうか」
「だな」
船を降りてからは1時間半ぐらい経ってる。この広い場所に踏み入れると座れる場所もないから、グラウンド程度の横幅で済んでるここで端っこの方に行って、目に付いた岩に座った。岩も冷てぇなぁ・・・氷よりはマシなんだろうけど。
「温かいものが欲しいわね。カップを出してもらえるかしら」
「ああ」
陶器製の取っ手のない、エルダはカップと言ったけど俺的にはコップと呼びたくなる形の容器を2つ、俺の藁リュックから取り出した。
「それから、一緒に持っててもらった大きめの容器も」
「これだな」
追加で取り出したのは、ボウルぐらいのサイズの陶器。コップは水飲み用としても、これは何なんだ。あと、温かいものって言ったけど、タルリュックの水はキンキンに冷えてるはずなのに、どうやって。
ボウルの方を先に渡すよう促され、渡すとエルダはさっきと同じ要領で氷河を割って取り出してボウルに入れた。で、そこに金属粉末をぶちまけた。すると、氷はみるみるうちに溶けていって、やがてグツグツいい出した。なるほど、これを・・・違う!
ワンテンポ遅れて理解した俺は、タルリュックに付いてる蛇口の下に手持ちのコップをすっと出した。
「よかったわ。こっちのお湯を飲むと言い出さないで」
「さすがにな」
一瞬頭をよぎったことは言わないでおこう。地面の氷を溶かしたもの、それも金属粉末入りなんて飲むもんか。
エルダが蛇口のコックを回し、出て来た水を2つのコップに交互に入れ、それをボウルの中でグツグツいってるお湯に漬けた。これで、陶器のコップ経由だけど飲み水もあったまるはずだ。
お湯はすぐにできた。お茶でもコーヒーでもないただのお湯だけど・・・信じられないぐらい美味しかった。
休憩も終えて出発し、本格的に広がる氷河へと突入する。本当に、一面銀世界って感じだな。思ったより足が沈む場所があって俺が転びそうになったり、エルダがまた氷河を割って採取したりすることがありながら、目分だけど真ん中ぐらいまで来た。
「すっげぇ~~~」
正面には多分山頂がある山。周りにもそれより低めの山があって囲まれ、氷のステージの真ん中にいる気分だ。フィギュアスケート選手とかって、こんな感じなのかな。もし1人でここに来たら、くるくる回るぐらいのことはやったかも知れない。
景色を堪能するように見回していると、地面の氷に亀裂が入ってるのが目に付いた。
「なあ、あれ何だ? 割れてないか?」
指で指し示すと、エルダもそっちを見た。
「そうね・・・近くに行ってみましょうか」
行ってみた。どうやら本当に割れてたみたいで、どんなもんかと上から覗き込んでみると、
「え・・・・・・」
底が見えないほど深かった。
「これは・・・・・・」
隣で、エルダが呟いた。
「クレバスね」
次回:クレバス