第12話:火口湖の底
「さあ、行きましょうか」
夜が明けて明るい朝。今日は、火口があるというこの湖の底を目指す。
「ひとまず中心へ行きましょう。だいたいで良いわ」
「わかった」
だいたい中心に行けるような方向に、船を進める。これ1つで水平線になるほど大きな湖じゃないから、だいたいは分かるだろう。20秒ぐらいで着いた。
「それじゃあ、行くわよ。フーーーッ」
エルダが気合いを入れ、船の横から出した手を下に向ける。それから、ゾナ湿地林でやったのと同じように、湖の水を割いて船ごと降下させていく。
「本当に、エネルギーを感じる水ね。こっちの心まで、燃え上がってしまいそう」
心が燃え上がるって、どんな感覚なんだろうな。俺には水操術、と言うよりは手を触れずにものを動かすことができないから分からない。
あ、でも、触れずに動かすって言ったら磁石か。手に超強力な磁石を持ってて鉄を動かす感覚に似てるんだろうか。鉄は液体じゃないし、自分の力は使う訳でもないけど。
湖は、ゾナ湿地林の池とは比べ物にならないぐらい深かった。両側に高層ビルがそびえ立ってるような感じで、俺たちは水の壁に挟まれている。
「・・・あまり長続きしないけれど、少し歩きましょう」
これだけの水を水操術で支えるのは、さすがのエルダも辛そうだ。
「ああ」
船を降りて、湖の底を歩く。ゾナ湿地林の泥とは違って、岩だからか足場がしっかりしているけど、平らではなくてボールが転がるぐらいの傾斜はある。湖の底だしこんなもんか。
「火口はすぐ近くよ。行きましょう」
エルダは、水の壁を切り開いて進んだ。もちろん、付いて行くしかできない。
「ホントに大丈夫なんだろうな?」
火口ってマグマの出口なんだろ?
「大丈夫よ。水の様子から言っても、すぐに噴火する恐れはないから」
「なら良いけどよ」
さすがのエルダも、噴火直前の火山に近付くなんて自殺行為はしないだろう。
「ここよ」
自分で作った水の壁に、エルダが手を伸ばす。
「こんな所まで連れて来てしまったけれど、近くで直接触れる方が感じ取りやすいから」
それもそうか。俺は水操術を使えないけど、遠隔でもできるにしろ近い方がやりやすいってのは何となく分かる。エルダの手が、水の壁の中に入った。表情に変化はない。ずっと難しそうな顔をしてるけど。
「やっぱり・・・水虹密度が高い気がするわ」
「そうなのか?」
「ええ・・・硫黄とかの成分も大体は上から確認していた通りで、それは当然なのだけれど、水虹密度が高いというのは意外だったわ。同じ成分の水を自分で作っても、こうはならないから」
エルダは手を突っ込んだままだ。話してる間にも、色々調べてるんだろうか。相変わらず難しい顔をしている。あと、ちょっと疲れてそうだ。こめかみに見えるひと筋の雫が、汗なのか単に濡れただけなのかが分からないけど。どっちにしても、無理するなというのは野暮か。
「じゃあ、自然の火山ガスと人工とでは何か違うとか?」
「自然のガスの方が色々と不純物が多いのは確かだけれど、微量だし、正直その程度で説明できるレベルの差ではないわ。倍はある」
「倍・・・か」
水虹密度が倍ってのがどれほど珍しいのかは知らないけど、エルダの反応を見る限りではそうそうあるものじゃ無さそうだ。
「噴気孔を直接見てみましょう」
エルダがそう言うと、手が突っ込まれてた水の壁が巨大な風圧を受けたように押されていって、場所が開けた。
「これか・・・?」
俺たちの足場の傾斜は思っていたほど不規則ではなくて、どら焼き並みに緩やかだけど一応は頂上と呼べるような位置が、3歩前ぐらいにあった。エルダが手を下ろし、歩き出して、2歩で止まった。
「・・・・・・」
エルダは立ったまま足元を見下ろすだけだった。地面はゴツゴツの岩みたいなものだから、亀裂と呼べるものがいくつもある。俺もエルダの所まで行って、しゃがんで地面を眺めた。
「このうちのどれかから火山ガスが出てるのか? それとも全部か?」
「出ているものが多いと考えていいでしょうね。地中で繋がっている可能性も高いし」
それもそうか。実は自分の足元からも出てたりもして、とか考えるとちょっと怖いな。
「それで、火山ガスの水虹密度はどうなんだ? 水素が混ざってるんだろ?」
「高いわ。水素は微量で大半が水蒸気なのだけれど、普通の川や生活用水を気化して得られるものよりも、遥かに高い。5倍はあるわね」
「2倍じゃなくてか」
確かさっき、この辺りの水の水虹密度は倍くらいって言ってたけど。
「水は上からの雨水が主だから、溶ける際に薄まるのよ。いま噴気孔の外に出ているものもすぐに空気が混ざってしまうけれど」
そっか、エルダなら亀裂の中の分まで調べられるのか。5倍って言ったのは出て来る前の状態だな。
「水素の水虹密度も5倍か?」
「うーん・・・」
エルダは手を亀裂の方に伸ばしたまま、唸る。地中の分を探ってるみたいだ。
「濃度が低すぎて分からないわ。硫化水素と、普通の水素もあると思うけれど、ゼロが何個もつくような低い濃度なの。大半を占める水蒸気に埋もれてしまっているわ」
「そうか・・・」
さすがのエルダも、0.0なんパーセントとか言われたらきついか。
「水蒸気に次ぐ成分として二酸化炭素が数パーセントあるけれど、元から水虹密度が低いものだから5倍程度では感じ取れないわね。もちろん、普通の二酸化炭素より水虹密度が高い可能性は十分にあるわ」
それなりの割合があるものは、元から水虹密度が低くて水蒸気に埋もれるのか。水操術があっても調べるのは大変なんだな。
「戻りましょう。疲れてきたし、噴出量が少ないとはいえ長居はよくないわ」
「あ、ああ」
そういえば火山ガスだったな。今のところ変な臭いとかはしないけど、時間の問題だ。エルダは歩き出し、水の壁を戻して噴気孔に蓋をして、そのまま船の方に向かった。
「・・・・・・」
ようやくエルダの口から“疲れ”の言葉出たけど、確かにかなりきつそうだった。何かに我慢してる感じで眉間のしわが動いている。
船に戻って、エルダが船の下に水を回していくことで浮上。1分ぐらいで水面に戻って来た。心なしか、ちょっと急いでたような気もした。
「ふぅ、ふぅ・・・少し、休みましょう」
水操術を使ってる状態から解放されたエルダは、右手の甲を額に当てて、疲れてるのを隠す様子もなかった。
「大丈夫か?」
さすがに、聞いとこう。無関心だと思われたくもないし。
「ええ。少し休めば、大丈夫よ」
そう言ってエルダは横になった。布団で寝りゃいいのに。
「さて、と」
俺は俺で、エルダの前ではとても言えたものじゃないけど疲れはあるから、魚でも焼いて食おう。エルダが捕獲して網に閉じ込めてたうちの1匹に串を差して、引き上げる。えっと後は、スタビリウム板を敷いて専用の金属粉に水を掛ける、と。
「あら。私のもお願いしていいかしら?」
食う気かよ。まあ、栄養補給は大事だ。もう1匹串刺しにして、それも一緒に焼いた。
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「ふぅ。ある程度はよくなってきたわ」
「すげぇなお前・・・」
あれから30分も経ってないのに、回復が早い。顔色もいいし、強がってる訳じゃなさそうだ。
「どうだったんだ? 今回の収穫は」
「十分すぎるほどよ。火山ガスの水虹密度が高いとは思いもよらなかったわ。もし、地中奥深くから上がって来ていることが高い水虹密度の理由だとするなら、そこには大きな意味がありそうね」
「大きな意味、か」
地下から湧き上がって来る火山ガス。それの水虹密度が高いってことは、地下にはたくさんの水虹があるのかもな。これくらいは、エルダの頭の中にもあることだろう。
「火山ガスって、どれくらいの深さから上がって来てるものなんだ?」
「マグマとさほど変わらないわ。数十キロメートルほどよ」
「何十キロもか!」
富士山の高さの10倍とかから湧き上がって来てんのか。すげぇな。
「形成過程もマグマと似たようなものと思っていていいわ。温度が高いから、比較的沸点の低い成分が揮発してできたものが火山ガスよ」
「あ、なるほど」
マグマは元が岩だから液化するだけで済んで、沸点の差で液体のまま上がって来るか気体になるかが違うってだけか。
「んん~~~っ」
エルダが大きく背伸びをしながら立ち上がった。半身で振り向いて、いつもの調子で俺に言う。
「さあ、シンクタウンに向かいましょう」
本当に、タフな奴だな。
それからはまた、昨日までと同じように湖から湖へと乗り継ぎながら北に向かった。エルダも問題なく水の橋を架けれるようだ。さすがに無駄に遊んで水操術を使うような真似はしなかったけど。
着地先の水質調査は毎回やってるようで、「次はまたマールのようね」と言うこともあった。場所により成分の違い少なくとも“若干は”と言えるほどあるそうだけど、「シンクタウンに行くための体力を残しておきたいから」とのことだった。さすがに1日に何度もは無理か。
ただ、火山ガスの水虹密度が高いというのもまだサンプルが1つだけだから、あと3つは見ておきたいらしい。丘の上にあるというモンス・コリスの街を目指しながらだな。
調査をすることもないので進みは早く、昼飯を食ってから1時間ぐらいで湖の並びが終わって、前方に普通の陸地が続くようになった。ということは・・・。
「ここが、シンクタウンね」
湖群の北端に着いた。そして今は、一番海沿いでもあるから、まさしく水没した街がある湖ってことになる。
「ホントにただの湖にしか見えないな・・・」
この湖の底に、街があるのか。昔のものだし、湖の大きさから言ってもクロスルートよりはずっと小さそうだけど。
「さ、行きましょうか」
今日2度目の湖の底、今度は火口じゃなくて、水没してしまった街へと目指す。
次回:失われた街シンクタウン(前編)