第1話:吸い込まれて新世界
「ふぁ~~あ。ねみ」
夏休みのある日。昼の12時を過ぎてるというのに、俺はベッドで横になってスマホゲームに興じていた。
ぐぅ~~~ぎゅるる~~~~。
「腹、減ったな」
何時に起きたかなんて忘れたし、朝飯も食ってない。さすがに何か食うか。スマホをベッドに放り、立ち上がる。
「カップ麺でいいか」
リビングに着くなりケトルにミネラルウォーターを入れてスイッチを入れ、待ってる間にトイレへ。
ジャーーーーーーー。
用を足し終えてトイレのドアを足で閉め、洗面台のレバーに手を掛ける。
クイッ。
「ん? 出ねえぞ?」
レバーを上げたけど、水が出ない。
「何でだ?」
どっかおかしいのかと蛇口の根元を覗き込もうとした瞬間、
「うお・・・!」
レバーを握っていた右手が蛇口の方に吸い寄せられて、
「おっ、おい・・・!」
体全体が前のめりに浮き始めて、
「なっ、なっ・・・!」
左手で洗面台のふちを押さえてヒザも使って耐えてたけど、
「う、う、うっ・・・!!」
俺の体を引っ張る謎の引力は益々強くなった。
「じゃっ、蛇口・・・!?」
顔がやたらと蛇口に吸い寄せられる。
「う、あ゛・・・!!」
やばい、これ以上は・・・・・・。
「う、うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ついに耐え切れなくなって、俺はそのまま吸い込まれた。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・!!」
掃除機吸い込まれたこんな感じなんじゃないかという風に、俺の体は流されていく。蛇口に吸い込まれたっぽいだけあって、水も一緒だ。
「おおおおおおぽああああああああぁぁぁぁぁぁ・・・!!」
これ、どこまで流されるんだ・・・!? 死ぬ、死ぬ・・・!!
1分だったのか、2分だったのか、実は10秒ぐらいだったのかは分からない。とにかく俺は、そのまま吸い込まれるように流され続けて、
「ぼわっ!」
ようやく、どこかに投げ出された。今度は重力で下に落ち始めて、
「おわあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
目を開けた先には、水面があった。また水かよ!
ザッパァァァン!!
そこに落ちたのと同時に、
ゴツン!
「ぽがああぁぁぁ!」
いぃって! 何かにデコをぶつけた。水中だったから変な声が出てしまった。このままじゃ溺れると思って適当に手を動かしてたら下に着いて、
「ぷはぁっ!」
顔を出せた。意外と浅かった。
「あぁ~・・・ハァ・・・」
深めの水たまりか、浅めのプールかというそこに座ったまま、正面の景色を見る。
「は・・・外?」
流されてる間に外に出たのか? にしても、ここはどこだ? 俺が落ちて来たのが噴水だったのはほっとくにしても、地面は淡い灰色でデコボコの目立つレンガみたいなのでビッシリだ。近所にこんな公園はないぞ?
もっと周りを物色しようと思ったけど、別のものが目に付いた。人だ。こっちに歩いて来る。
「・・・あなた、今、水虹管から落ちて来たの?」
女の人だ。けど、明らかに変だ。どこかの民族衣装のようなものを羽織っていて、素足にサンダル。手足はすらりと細長くて、髪は茶色っぽいが、口紅を塗ってなさそうな唇に、服と同じエメラルドの瞳。少なくとも、日本人には見えない。
「スイコウ、カン・・・?」
今この人、何て言った?
「ん・・・? 水虹管よ、水虹管。あなた、あれから落ちて来たでしょう」
女は、上の方を指差した。つられて見上げてみると・・・、
「な・・・な・・・・・・!」
上には、水の入った透明なパイプが縦横無尽に張り巡らされていた。水はその中で流れてるらしく、西へ東へ、南へ北へ、とにかくあちこちに流れて行っている。地下にあるはずの水道管が全部上に出て来てるんじゃないかっていう感じだった。
「なんじゃありゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
おかしいだろ! 何だよあれ! 水道管が空中に張り巡らされてるぞ!
「びっくりした・・・何を驚いているの。初めて外に出るような子供じゃあるまいし」
そこでようやく俺は、その人がいたことを思い出した。
「いやいやいやいやいや、何だよあれ! 水が空飛んでんぞ!」
正確には水道管が宙を巡ってるのだが、思わずそう叫んでしまった。
「? あなた、本当に外に出たことがないの? というより、珍しい服を着てるわね・・・」
「は・・・?」
今の俺の恰好は、ジャージにTシャツ。外に出るような恰好じゃないけど、珍しいって言われる程でもないぞ。それも、こんな民族衣装を着てるような人に。
「いやいやいやいや、そっちの服の方がおかしいって! というか誰! あとここどこだよ!」
イラッとした勢いでそこまで言うと、女の方も微妙に顔を横に向けて細い目だけをこっちに向けてきた。
「注文の多い人ね・・・。この服? は、別に変なものではないでしょう。少なくとも、あなたのものよりは。あと私はエルダ。ここは噴水広場よ」
律儀にも俺の投げかけた言葉に全部答えてくれたけど、なんか軽くあしらわれたみたいな感じで納得いかねえ。名前が分かったのはいいけど、
「“噴水広場”って、どこの噴水広場だよ。ここはとうきょ・・・というか日本なのか?」
「ニホン・・・? 聞いたことのない土地ね・・・それとも何かの施設?」
「は・・・!?」
何言ってんだこの人。日本を知らないとか本気か? それともどこかの新興国か? でも言葉は通じるし・・・。
眉間にしわを寄せて口を開けたまま固まっていた俺に、同じく眉間にしわを寄せている相手は、仕方ないと言った様子で続けた。
「ここは首都クロスルート。それで、あなたが楽しそうに浴びている噴水が目印のここは、街の西部にある“噴水広場”よ。小さいけれどね」
「は・・・クロ・・・!?」
そんなの知らねえ。どこの国だ・・・!? って、確かにいつまでも水に浸かってる訳にはいかねえな。今の言われ方はなんかムカつくけど。
幸いにも寒くない。噴水から出て、ふちの部分に座って話を聞くことにした。
「首都なのは分かったけど、ここ何て言う国だ? それでヨーロッパなのか? アフリカ? それとも南米か?」
よく分からんけどどっかに飛ばされたのは間違いない。せめて場所だけでも知っておきたいところ。
「・・・? ヨーロッ・・・なんとかは知らないけど、ここはハイドライル王国。その首都クロスルートよ」
「ハイドライ・・・!?」
やっぱり聞いたことねえ。地理の勉強もっとしとくんだったか? でも、この人がヨーロッパとかアフリカを知らないってのも変だ。
「じゃ、じゃあ、隣の国は何て言うんだ? それぐらいあるだろ?」
知ってる名前が出てくればいいけど。
「隣の国? 何を言ってるの。この地は全てハイドライル王家が治めているわよ。他に国はないわ」
「は・・・!?」
そっちの方が何言ってんだよ。
「いやいやいやいや、他に国がないっておかしいだろ。この島には、ハイドライル? しかなくても、海の向こうとかにあるだろ?」
「海の向こう? そんなもの、とっくに調べ尽くされてるに決まってるでしょう。この大陸の他は、沖合いに見えるような小さな島ぐらいしかないわ」
「は・・・・・・」
マジで何言ってんだこの人。だけどどうも、デタラメを言ってるようには見えない。ちょっと睨んでみても、”この人、大丈夫かしら”といった視線が返って来るだけだった。
「・・・あなた、身寄りは?」
やっぱり心配されてた。
「あるさ! 俺は日本っていう国の、東京っていうトコに住んでるんだ。親もいる。住んでる家もある!」
「そう・・・けれど、ニホンという国も、トウキョウという、街? も、聞いたことがないわ。あなた、本当にそんな名前の場所に住んでいるの?」
「マジかよ・・・」
どうなってんだ・・・?
「・・・嘘を言っているようには、見えないのよね・・・。そもそも、その年齢で水虹管を知らないという時点で、ハイドライルの人間とは思えない・・・」
スイコウカン・・・って、あれか。
「そうだよ! あれ何なんだよ! 空飛んでるやつ!」
俺は上にある水道管を見上げて指差した。
「水虹管は水虹管としか言いようがないわ。強いて言うなら、私たちの暮らしに水を供給するためのものよ」
そりゃそうなんだろうけどさ・・・。つまり、あれか? 水道管が地下じゃなくて空中にあるって考えればいいのか?
「その様子だと、水虹や水操術を知ってるかも怪しいわね。知ってるかしら? 水虹に、水操術」
「は・・・スイコウ・・・?」
また変な言葉が出て来たことに頭を抱えそうになってると、相手の方が先に額に手を当てて「はぁ~っ」と溜息をついた。なんで俺が悪いみたいになってるんだ。
「・・・とにかく、落ち着ける場所に移動して話をしましょう。付いて来てらっしゃい」
「は・・・いや、ちょっと待てよ。どこに連れてく気だ?」
「宿屋よ。私は旅をしてる身だから。嫌なら来なくてもいいけれど、ニホン、だとか、トウキョウだとかいう所には、1人で頑張って帰ることね」
それで踵を返して歩き始めた。
「ちょっ、おい、待ってくれよ!」
俺は走って追いかけて、すぐに追いついた。もはや地球とは思えない場所に飛ばされたみたいだし、スイコウとかいうワケ分からんのもあるし、1人で生きていくのは無理だ。ん・・・地球?
「あら♪ 来てくれると思ったわ」
追い付くなりエルダはニッコリと笑った。そんじょそこらの奴より可愛いのがなんかムカつく・・・。
「なあ、そもそもここは地球なのか? 地球って分かるよな? 惑星」
「チキュウ・・・? 聞いたことがないわね。それが、あなたのいた惑星?」
「・・・・・・」
マジかよ・・・。なんかもう普通に俺が宇宙人か何かだと思ってるぞこの人。
「あ、でも、惑星って言葉は知ってるんだな」
「ええ。空の彼方には、ここと同じように世界が広がっている星があることが知られているわ。空を飛べないから確かめようがないけれど」
ってことは、飛行機とロケットはないのか?
「じゃ、じゃあ、あれのことは何て呼んでる? 空で強く光ってるやつ」
俺は、空中にある水道管の先の、眩しい太陽を指差した。
「“太陽”ね。あなたたちがどう呼んでいるかは知らないけれど、ハイドライルではそう呼んでるわ」
「そこは一緒なんだな」
俺たちの世界にある“太陽”とは別物だろうけど、空から日差しを照らし付けるあれを“太陽”というネーミングにしたのは一緒なんだな。
「今では、恒星の一種であることが分かっているわ」
「おぉ・・・」
恒星ってのは確か、太陽と同じように燃えてる星のことだったな。夜空に見える星は全部それで、太陽は近くにあるから強い光を届けてるんだとか。その辺の用語もこっちと同じみ たいだ。
天文学がなくても太陽の存在を認知できるのは当然で、夜空の星とは違う特別な名前を付けたのはお互い様か。同じ名前だから混乱せずに済みそうで助かった。
「言語も同じようだし、共通するところは多そうね」
「あの水道管だけは別だけどな・・・」
「ふふふ、そうね」
今更だけど“水道管”も通じてるからな。俺たちの生活に欠かせない透明な液体を“水”と呼ぶことにしたのもお互い様で、“太陽”も一緒か。
「それにしても水虹管を知らないなんて、本当にあなた、ハイドライルの人間じゃないのね。驚いたわ」
初対面だから分からないけど、動じないタイプなのか、”意外だな”ぐらいの顔しかしていない。
「そういう訳だから、スイコウとか、スイソウジュツとかの話を頼む」
とにかく俺は、地球じゃない別の惑星か、完全な別世界に来てしまったらしい。そうとでも考えないと説明がつかん。いつになったら帰れるのか分からないから、この世界で常識になってるものを知らないままなんてゴメンだ。絶対に知っておいた方がいい。
「ええ。移動しましょう」
それで俺たちは歩き出した。とりあえず今は、エルダに付いて行くしかなさそうだ。
”噴水広場”なる場所を離れると、生活感のある街中になった。ただやっぱり、地面は淡い灰色だし、家も同じような色のレンガか石ブロックみたいな感じだった。日本とは全然違う。それと・・・、
「あなたの服、変だということが分かったでしょう」
「う・・・・・・」
確かに街では、エルダと同じようなヒラヒラした民族衣装みたいなのを着てる人が多かった。男はシャツにズボンだが、ダボついてる感じのもので、柄がプリントされたシャツなんてないしジャージのような合成素材もない。ズブ濡れであることを差し引いても、俺に視線が集まっている。
「なぁ、できるだけ近くの所にしてくれよ・・・」
「はいはい」
なんか勝ち誇ったような顔をされたのがめっちゃムカつく。
ぐぅ~~~ぎゅるる~~~~。
あ、やっぺ、そういや昼飯食う直前だった。
「あっはははは! 元気なのは良いことよ? 何か買って行きましょうか」
それで道中、パンとか肉の串焼きとか果物とかを適当に買っていった。それから、この世界に合った服も。服屋のおばちゃんがタオルも貸してくれて、店の裏で着替えもさせてもらえた。俺のTシャツとジャージは珍しいから売ってくれと言われたけど、金に困ったの時のために断った。当たり前だけど通貨は日本円じゃない。“ウォート”と呼んでたみたいで、日本の小銭の倍ぐらいの厚みがあった。
「ここよ。お代を払ってくるからそこで待ってて」
宿屋に入り、受付するのを待ってから部屋へ。外観から分かってたけど、随分と質素だな。布団らしきものがあるだけマシと思うか。
「まずは食事ね。召し上がれ」
エルダのおごりであることが悔しいけど、背に腹は代えられない。食事は、少しケモノ臭い感じはしたけど普通に美味かった。
「それで、スイコウとか、スイソウジュツ? って何なんだ。教えてくれ」
腹ごしらえも済んだところで、この世界について教えてもらおう。
「そうね。そろそろその話をしましょうか」
次回:水虹と水操術