ひとつの可能性の結末【第二の選択肢の世界線の結末】
One of the future be with you
小さな呟きは私の白い息とともにそっと溶けて消えた。
……帰ろう。外はもう雪も降りそうな寒さだ。
そう思って早足で歩きだしたとたん、前の人が足を止めたのでぶつかってしまった。
「ごめんなさい!」
あ、ついまた反射で謝ってしまった。でも今のは私の前方不注意もある。
「いや、こちらこそ申し訳……」
ぶつかった背の高い人物は振り返り、そこで言葉を切った。……眼鏡をかけた男の人だ。私より頭一つ分くらい高そう。何故だかじっと私を見ているようで、視線に身を縮めた。背中にがっつり私の眼鏡がぶつかったし、どこか痛めただろうか。
「……悠希。」
「えっ、はい」
名前を呼ばれて、思わず返事をしてしまった。でも、その呼び方を知っている気がして首を傾げる。もしかして知り合いだっただろうか。まじまじとその人を見上げる。
少し色素の薄いクセのある髪に、整った顔立ち。日本の方ではなさそう……いや、でもさっきしゃべったのは流暢な日本語だった。男の人が眼鏡を外して私をまっすぐに見たので、その瞳の色がよく見えた。茶と緑を混ぜたような、綺麗な榛色の瞳。
……そんなわけない。でも、雰囲気がよく似ている。
「やっとみつけた。」
男の人はそう言って目を細める。その笑いかたは、知っている。ずっとずっと会いたいと思っている、私の大好きな、あの表情だ。
「テオ………なの………?」
「ああ。……その記憶を持っている。」
髪の色も顔も違っているし……服装も、私と同じこの世界の人のようだ。でも、瞳やその表情、しぐさは私の記憶に残るものにとてもよく似ている。記憶を持っている、というのは生まれ変わり的なことなんだろうか。それはつまり……
「あのときテオは、助からなかったということ……?」
男の人──テオドールは、私の呟きに首を横にふる。
「俺はあのあと、光の神にお前の世界に行く方法を聞いたんだ。今の俺は、この世界の人間として生まれた。あの世界の記憶を手に入れたのは十年ぐらい前だ」
「そうなんだ……」
あのまま命を落としてしまったわけではなかったことにほっとした。いや、確かにそれは良かったんだけど。
「えっ、あ、つまり、テオは……あれ、テオ?でいいの?」
混乱してそのまま呼んでしまったけれど、今はこの世界の人間ということは、今の名前があるのでは。そう思ったけれど、テオドールは頷いて肯定した。
「都合のいいことに、今のファーストネームもテオドールだ」
今の名前も、同じなんだ。また「テオ」と呼べることが、素直に嬉しかった。名前といい日本人とは違った顔立ちといい、もしかしたら今のテオドールのご両親が外国の方なのかもしれない。
光の神にこちらに来る方法を聞いた、ということはどういうことなんだろう。そういえばテオドールはさっき、やっとみつけたと言っていた。
「えっと……テオは……私に会うために……来てくれたの?」
「ああ。……なんで疑問系なんだ」
それ以外ないだろう? とでも言いたげな少し呆れた声……ああ、そうだ、声はあまり変わらないかもしれないな。
「だって……」
私なんかのために、まさか、全部を置いて来てくれるなんて。信じられなくて。
「……私なんかを選んで、良かったの?」
「お前がいいんだ、悠希。だから来た。それに、俺は向こうの世界を捨てたんじゃなくて、後を任せてきたんだ。バルトもいるし……レオンハルトたちもいるからな」
そう名前をあげた顔は懐かしいものを見るようで、今のテオドールにとっては、その記憶は遠いものなんだと感じた。
「光の神は、二人が同じく望んだ時に扉は開くと、言っていた。だけど……今の俺はもう、お前の望んだあの『テオドール』じゃない。
……それでもよければ、側にいてもいいか?」
二人が同じく望んだ時。それは、もし同じ世界に生まれていたらと、あの時思ったように──あの想像した時と世界は逆だけど──同じように、テオドールも望んでくれた、ということ? 今のテオドールがこの世界で生まれ育ったなら、一緒に旅をしたテオドールとは見た目も、もちろん中身も同じわけがない。瑠果ちゃんのように、今の世界での人生があるはずで……それでもなお、私のことを探して、一緒に居たいと思ってくれたということなんだろうか。
私の返答を待つ榛の瞳はいつもと違って不安そうな色で揺れていて、胸の奥がぎゅっとなった。
「テオ……えっと……その……は、ハグしてもいいですか!」
湧き上がってくるこの感情を何て伝えたらいいのかわからなくて、とりあえず勢いに任せて聞いてみる。テオドールは目を丸くしたあと、可笑しそうに笑っていつかのように腕を広げてくれた。私はそのまま、その胸に飛び込んで抱きついた。……知らない匂いだけど、そっと抱き締めてくれるその腕を、優しく頭を撫でてくれるその手を知っている。全身を駆け巡る幸せなこの感覚。どきどきするのに、とても安心する。ああ、テオドールなんだと、実感できた。
「テオ。」
「……ああ。」
「ねぇ、テオ、今のテオのことも、いっぱい教えてね」
ぎゅうっと腕の力が強くなり、テオドールが小さな声で呟いた。
「……お前にずっと、名前を呼んでもらいたかった。ありがとう、悠希」