5.転入生アイドル
午前7時。
龍成は春亜と向かい合って朝食をとっていた。
言うまでもなく昨晩の余りだ。
食卓を覆い隠すほどの料理があったことを踏まえると、残っている事も当然である。
「やっぱうめー。星宮、お前シェフ目指せば?……いや、そこら辺の三つ星レストランより断然美味いぞ。多分。…食べた事ないけど。」
「大袈裟だよ。…それに私は龍成くんにしか料理を振舞わないの。
そこら辺、厳重注意だよ!」
すでに制服に素手を通している春亜は人差し指をピンと立てて前のめりになる。
薄ピンクの髪の毛は白色が強い制服とマッチしており、より一層彼女の魅力が際立っているようだ。
「…あっそぅ。…それで?
本当に今日からウチで住むの?」
母親が春亜と取り決めた約束だ。
龍成には関係ないからといって、それを違えるのは彼の生き方に反する。
それに龍成の母親はシングルマザーであり、一途に龍成や他の兄妹の事を考えてくれていた。
きっと今回も彼女なりの考えに基づいたのだ思えば、春亜との約束を破棄することは、母親の想いも裏切ることとなるかもしれない。
普通なら春亜を今すぐに追い出したいところだが、龍成がこうして彼女と一緒に朝食を食べているのはそういった理由からだ。
「住むよ。登校も一緒にするし、仕事もここから通うよ。…まるで夫婦だね。…
えへへ。」
「…何言ってんだ。辞めなさい。
お前は陽キャ、俺は陰キャ。
相容れない存在だ。」
「またまた〜。龍成くんはすぐに自分のことを陰キャ呼ばわりする。
私、知ってるんだよ?
龍成くんが凄い人だったこと。」
「買いかぶりすぎだ。俺は凄くない。
パンピーだ。全国模試も偏差値50で、戦闘力も5だ。運動能力も平均ぽっちだぞ?」
「ふーん。龍成くんはバレてないと思ってるかもだけど?
私は知ってるんだよ?……龍成くんのこと。……将来奥さんになる人を侮っちゃいけないよ?」
春亜は妖艶な目つきをして、ニヤッと小悪魔のように笑みを浮かべる。
まるで全てを見透かしているとでも言いたげな態度だ。
「怖いわ。普通に。……
だがまぁ、俺は本当に凡人だ。
それ以上でもそれ以下でもないさ。」
春亜の態度とは裏腹に龍成は表情を変えることなく黙々と食事を進める。
途中途中で、「あ、これ美味い。」と感嘆の声を漏らしており、春亜との会話は二の次のような感じだ。
「……そっか。…じゃあ、そういうことにしといてあげる。」
春亜は薄っすらと瞳を瞬きさせ、顔を綻ばせてみせた。
綺麗な笑顔だ。
もし、ここにカイジがいれば、「悪魔的だぁ〜。!」と悶絶していたのは間違いないだろう。
「へいへい。……ごちそうさまでした!
美味かった!」
龍成は素っ気なく返事をし、箸を置いた。
満足したと言わんばかりの満点の笑顔。
白飯だけのご飯が当たり前だった龍成には十分すぎるご褒美だったのだ。
「お粗末様です!」
他方、春亜も龍成の笑顔に見惚れて、頬を赤らめている。
新婚の夫婦とはこういうものなのだろうか?
そう考えさせられる風景がそこにはあった。
★
ガラガラと教室の戸を開く。
そこにはいつも通りの3グループの塊があり、龍成はそのどれとも接することなく自席に着く。
春亜とは別々で登校してきた。
それは龍成が学校では関わるなと春亜に言いつけたからである。
春亜自身は龍成と腕を組んで登校する気満々だったが、陰キャである龍成には、それが重しに感じてしまったようだ。
陰キャ特有の目立ちたくないと言う願望。
それはどうやらマリアナ海溝より深く、ヒマラヤ山脈より高いらしい。
(そういえば、昨日からLINE開いてないな…
母さん無事なのか?)
龍成はポケットからスマホを取り出し、LINEを開く。
すると1000件を超える連絡が溜まっていることに気づいた。
そのどれもが妹の叶恵からのメッセージである。
"兄さん。大丈夫。お母さんは懲らしめたから。心配しなくていい。"
"兄さん。そっちに星宮春亜っていう女がいたらすぐに追い出して。"
"兄さん?どうして既読つけてくれないの?"
"兄さん?大丈夫?叶恵、そっちに行こっか?"
"兄さん。何かあった?もしかして、女に何かされてる?"
"兄さん。……………"
"待っててね。兄さん。今、武装してるから。直ぐに安心させてあげるからね。"
そんなメッセージが数分置きに送られて来ていた。
(いや、怖いわ!病んでるの!この子!!)
妹の叶恵は実は結構なブラコンだったりする。
それは龍成自身も重々承知しているつもりであったが、まさかここまでとは考えても見なかった。
龍成はそんな妹に
"ごめん。返信遅れた。にいちゃんは大丈夫だから、心配しないでね。"
と返信しておいた。
すると直ぐに既読の二文字が付いて、
"良かった。…兄さんがもう少し返信するが遅れてたら、10キロ先からスナイパーライフルで星宮春亜の頭を貫くところだったよ。
でも良かった。…わたしはこれから学校だから、じゃあね。"
というメッセージが届いた。
ざわ………。ざわ………。
龍成はこの瞬間、妹を怒らせないように誓ったのであった。
「おはようでござる。龍成氏。」
龍成が机に突っ伏して寝たふりをしようとしていた時、そんな言葉が横から聞こえてきた。
振り返らずとも誰だかわかる。
このネットリとした不快な声に、この特有の話し口調。
「賢治。おは……どうしたんだ?その格好。めちゃめちゃキモいぞ。」
龍成の顔は化け物を見るような怪訝な表情を浮かべ、賢治に視線を送った。
「キモいとは失敬な。
今日は春りんの新しいアルバムの発売日でござるよ。それをお祝いしなければ、ファンとは言えないでござる!」
春りんloveと刺繍されたバンダナを巻き、星宮春亜の写真がプリントされたTシャツ。
理想のザ・オタクみたいな服装だ。
この格好で投稿してきた顔を考えると、賢治のメンタルの強さが尋常ではないことが伺える。
彼には下の視線が気にならないのだろう。
(…まぁ、その春りんがこの学校に転校してくるんだけどな………その春りんが、今俺の家で住んでいるんだけどな…………
裸エプロンも見たんだけどな………
こんな事、口が裂けても言えねぇ。)
龍成は賢治を遠い目で見ながら口角を上げて、不敵な笑みを浮かべていた。
「まぁ、お前の趣味にとやかく言うつもりは無いが、バレないようにしろよ?………
無理だろうけど。」
「うむ。わかっておるでござる。
教師殿に没収されてはたまらんでござるからな。」
賢治がオタクなら、教師はオタク殺しだ。
オタクが学校に自分の宝を持ち込んだ時、教師達はそれを乱暴に取り上げシュレッダーにかける。
実際、龍成が高校1年生だった頃。
賢治は春亜のサイン色紙を学校に持ってきたことがあった。
なぜ持ってきたのかというと、片時もそのサイン色紙と離れたく無いんだとさ。
だが、そのサイン色紙は1分後、シュレッダーにかけられ、散り散りの紙くずと化していた。
教師に見つかってしまったのである。
龍成の学校は校則が厳しく、不要物が発見されれば、それは即座に処分するというものがある。
不要物が価値がないものでも、値段のつけようもない高価なものでも、それは例外ではない。
「本当に学ばねえな。…この豚は。」
「余計なお世話でござるよ。
龍成氏こそ、はやく春りんの美貌に目覚めるべきでござるよ。」
賢治はそんなことをぼやきながら、バッグの中から1枚のCDを取り出した。
それは、龍成の家に大量の食材と同時に届いた、春亜のCDと酷似している。
「ん?賢治。お前それって?」
「これでござるか?これは今朝発売の春りんの最新のアルバムでござるよ。
…もしかして、龍成氏も興味があるでござるか?」
ニタニタと気持ちの悪い笑顔を向けてくる賢治に「いや、微塵も。」とだけ返した。
だが、心の中では、
(まじか。星宮のやつ。あのアルバム今日発売だったのか……なんでわざわざ1日前に俺の所に届けたんだ?)
と疑問符を掲げていた。
(まぁ、どうでもいいけど……)
その時、龍成の視界が真っ暗闇に包み込まれた。
どうやら誰かの手で司会を塞がれているらしい。
「だーれだ。龍成君。」
「!?この声!……天乃か!」
「うん。せいかーい!おはよう。今日もいい天気だね。」
笑顔が満点の天乃はヒョコッと龍成の背後から顔を出して、挨拶を交わす。
(!?!?好きだ!天乃!?)
これが本当に男子なのだろうか、
と疑問になるほど可愛い容姿をしている。
髪型も男のように短髪ではない。
制服は男用であるが、女子用制服を着ても何も違和感はないだろう。
「お、おはよう。天乃。……結婚してくれ。」
龍成は取り敢えず、イケボでそんなことを言ってみた。
「じょ、冗談はやめてよ。龍成君。」
あたふたと汗を浮かべる彼女……おっと…彼の姿に龍成は生唾を飲んだ。
ゴクリ。
(な、なんて可愛いいんだ!この子は!
好きだ!!!!!)
心の中で悶絶する龍成。
あの春亜やアリサでも龍成をここまでデロデロにすることは難しいだろう。
キーンコーンカーンというチャイムの音と同時に天乃は「またね。龍成君!」と言い残して座席に帰っていった。
★
「よーし。ホームルーム始めるよ〜。」
龍成の担任の美人先生が入室すると同時に、教室内の空気は静まり返った。
ホームルームといってもやることはいつも同じだ。
出欠確認をして、1日の流れをあらかた説明する。
それがいつものホームルームだ。
だが、この日は少し違った。
「佐江内君はこの後、自分の荷物を全部持って、生徒指導室まで来てください。
大事なお話があります。」
賢治が呼び出しを食らう。
理由は明確だ。
彼が持参した不要物を処分するためだろう。
賢治は青い顔を浮かべ、汗をダラダラと流してい"なぜバレた!"みたいな顔をしているが、その格好をしていてバレない方が可笑しいだろう。
自業自得である。
そして、この日のホームルームはもう一つ。
いつもと違っていた。
「あっ。そうそう。今日はみなさんに紹介したい方がいます。転入生ですよ。…入って来てください。」
(!?)
龍成の担任の美人先生はもう終わるかのように思われたホームルームをその一言で延長した。
刹那、龍成の背筋にビビっと電気が走る。
(まさかとは思っていたが……)
廊下の方から「はい。」という綺麗な声が聞こえたかと思うと、薄いピンク色の髪をした美少女が、龍成の教室に入って来た。
クラスメイトたちは口をポカーンと開けて目を丸くする。
賢治に至っては、目が飛び出んばかりに瞼をこじ開けていた。
血涙がドロドロと流れ出ているが本人は気にしていないようだ。
もう、モンスターとしか言いようがない。
(まさかとは思っていたが……!!)
龍成は肩肘をついて頭を抱え込んだ。
「私の名前は星宮春亜です。
アイドルやってます。
みなさん。よろしくお願いします!」
瞬間。教室中に爆音が轟いた。
ある者は狂喜乱舞し叫びまわり、ある者は歓喜の悲鳴を上げ、ある者は歓喜のあまり嗚咽を繰り返し産声よりも大きな鳴き声を上げている。
「宴ダァァァ!!」だとか、
「我が生涯に一片の悔いなし!」と賢者モードに突入しているやつだとか、反応は様々だ。
だが、一人だけ一言も言葉を発していない男がいた。
(なんで同じクラスなんだよぉぉおお!!
せめて隣のクラスとかにしろよぉぉぉ!)
自分の学園生活の波乱の展開に、苦悩する陰キャが深くため息を吐いている。
「みなさん。よろしくお願いしますね!」
春亜はその陰キャに追い打ちをかけるように笑顔を向けて、投げキッスをしたのであった。
昨日、ゴキブリが出た。
アースジェットが無ければ太刀打ちできない………