3.アイドルは養いたい。その2
「災難な1日だった。……疲れた……」
夕暮れ時。
西に沈みゆく夕日を背後に"はぁ"とため息をつきながら、自宅に向けて歩みを進める。
陰キャの彼にとって中野アリサという存在はあまりに眩しすぎた。
「まさかあの学園の女神がこんな陰キャをな…嘘……ってわけでもなさそうだったしな。…」
陰キャには特有の洞察力がある。
それは陽キャから自分の身を守るために自然と身につくものなのだ。
もちろん龍成にもその能力は備わっていた。
彼にとっては嘘をついている人間など目を見ればお見通しだし、自分に害を及ぼそうな陽キャを瞬時に判断することができる。
彼はその能力のことを"ダークヒューマンズノリッジ"と呼んでいた。
意味は暗闇の男の知恵。
馬鹿馬鹿しく厨二くさい名前だが、その実用性はかなり高いのだ。
実際、龍成は今回の中野アリサの告白にかなりの疑念を持っており、嘘告だとか偽物の恋人になってほしいだとか結婚詐欺だとかそれくらいの物だろうと思っていた。
そして、彼女に彼はその能力を使った。
しかし、結果は白。
彼女は本気で龍成に恋しているようだった。
「…あいつが俺のことを好きになる理由なんてあったか?……
フラグ…いつ立てたっけ?」
女の子に好かれて、嫌な気分になる人はいない。
実際、龍成もそうだ。
だが、龍成は陰の世界の住人。
陽キャが全般的に苦手な彼にとって、彼女からの好意は邪魔…とは言わないまでも嬉しいものではなかった。
それに心当たりもない。
彼女が龍成を好きになる要因。
それが全く見当もつかないのだ。
「女は陰キャよりも陽キャの方が可愛い……か。……」
気怠げに下校道を歩きながら小さく呟く。
これは今は亡き龍成の父が残した遺言であった。
龍成はそれを遠い目をして思い出す。
「懐かしいな。……遺言がアレとか……マジでないだろ。」
龍成は懐かしむようにクスリと笑みを浮かべ、脳裏に家族の事がよぎる。
「そういえば叶恵のやつ。
元気にしてっかな。」
叶恵とは龍成の妹である。
龍成は高校から都会に出て一人暮らしをしているので、実家住みの中3の妹とはなかなか会う機会がない。
ちなみに、龍成の現在の家族構成はシングルマザーの母親と妹の叶恵、姉の佐奈、そして龍成だ。
姉の佐奈は現在大学生であり、龍成の近くに住んでいるということもあって、時々……というより頻繁に龍成の様子を見に彼の家に来ることがある。
天を仰ぎながら懐かしい思い出に浸っていると、いつの間にか龍成は自分のアパートの目の前まで来ていた。
2回の角部屋。
そこが龍成の部屋である。
ギシギシと軋む錆びた階段を登り、ポケットから家鍵を取り出し鍵穴に差し込む。
その時。違和感を感じた。
「なんか……俺の家からいい匂いがする。…なんだ?……料理の匂いがするぞ。」
そう。龍成は自分の家から美味しそうな匂いが漂って来る。
「一体何故だ。姉さんか?……いや、あの人が料理を作るはずがない。……
じゃあ、いったい誰が……」
部屋を間違えたか?
とも思ったが、表札はしっかりと結城となっている。
龍成の名字だ。
何が何だか分からない龍成であったが、取り敢えず、家に入ることにした。
ガチャリ。
鍵を解除すると、大きな音が室内に鳴り響いた。
ゴクリ。
そして、そろりそろりとドアを開いた。
刹那。
「おかえりなさーい!龍成くーん❤︎」
何者かが龍成に飛びついて来た。
(!?)
ドスンという音を立てて龍成が下敷きになる形で倒れてしまった。
顔には何やら柔らかい幸せな感触。
「イテテ〜。あっ、龍成くん。お帰りなさい。…きちゃいました♪」
龍成から身を話し立ち上がった少女がそう言って来た。
薄いピンクの髪に大きな瞳。
そして男を惑わす美しい絶対領域。
龍成は彼女を見て惚ける。
決して彼女が何故か裸エプロンだったからではない。
見たことがあったがからだ。
今朝。……テレビで。……Mステで。
龍成は彼女を見ていた。
「お、お前は!!アイドルの陽キャ女じゃねぇーか!"来ちゃいました♪"じゃねぇ!!
帰りやがれ!!
不法侵入だぞぉぉぉーー!!」
「えぇ〜。いやーん。龍成君酷〜い。」
アイドルという立場上、皆を等しく愛さなければならないその少女はテレビでは見せない特別な笑みを龍成に見せていた。
この日から龍成の陰キャ生活は幕を閉じるのであった。………裸エプロンで。
★
「そういえば、アリサ様。
今日、思い人に婚姻届を出したのですよね?
うまく言ったのですか?」
車の中。
そこは広々とした空間であり、車の中ということを忘れさせる程である。
メイド服を着た女が、唐突に口を開いた。
見た目は美少女であるが、右目に火傷の跡があるのが分かる。
彼女はそれをコンプレックスと思っているようで、髪で右目を隠しているが火傷のあとは完全には隠れきっていなかった。
髪型は肩くらいの長さしかないセミロングで、物凄く薄い水色の光沢を帯びている。
枝毛…という言葉とは無縁なのだろうと思えるほどに綺麗な髪だ。
「……………?沙織?何か言いましたか?」
ポケーとスマホを見つめていた中野アリサはハッと我に帰る。
中野アリサのメイドの名は朝宮沙織という。
年齢は中野アリサと同じだ。
「いえ……その。結城龍成様の件はどうなったのでしょうか……と思いまして。」
「あ、あぁ。まぁ。及第点というところでしょうか。」
「では、うまく言ったのですね。」
「……………たぶん。………」
朝宮沙織はクスリと笑みを浮かべて、
「それは良かったです。」
と笑みを浮かべる。
中野アリサは"はぁ"とため息をついて、スマホ画面に視線を戻しうっとりとして、龍成の顔を思い出す。
龍成に迫って、彼の前髪をかき分けた時だ。
(それにしても……ずるいわ。
何、あのイケメン。……普段は前髪で目を隠しているから、沙織みたいに何かコンプレックスでもあるのかと思っていたけど………
何なの……あれ。…カッコ良すぎます。)
スマホ画面は写真のライブラリが表示されており、そこ一面に龍成の写真がびっしりと敷き詰められていた。
(絶対振り向かせて見せるから……
今日は恥ずかしすぎて帰っちゃったけど……
見てなさい。龍成様。
絶対に私の物にしてみせます❤︎)
朝宮沙織はコロコロと表情を変え悶えている中野アリサを見ながらニコニコと暖かな笑みを送っている。
中野アリサが女神なら朝宮沙織は天使だろう。
うっすらと笑うその笑みにも尊さを感じさせる。
ちなみに、そんな朝宮沙織が後に、主人である中野アリサをそっちのけにして龍成に夢中になる日が来るのはまた別の話である。
実は少々風邪をこじらせておりました。
気温の寒暖差が激しいので、読者の方々もお体には気をつけてください。