862 南海の秘密(8)
「うぎゃあっ!」
衝撃を予想して、先に叫び声を上げたジェルマ少年は、実際には何ともないことに気づいた。
「あれ?」
見ると、稲妻を飛ばしている金属の腕とジェルマの間に、巨大化した掌がある。
その掌は勿論ゾイアのものだが、本体は俯せに倒れたままで、残っている方の腕だけが伸びて来ていた。
と、またゾイアの喉の辺りから抑揚のない声がした。
「……人間に危害が及ぶのを、看過することはできない……」
相手は稲妻を止め、口に当たる小さな鉄格子から、極めて人間的な言葉を発した。
「ふん。随分古臭いプログラムだな。まあ、これは電撃銃で実害は大してないが、それなら止めておこう。その代わり、おまえの修理の手助けはしない。嵐が過ぎたら、この子供と一緒に海上に戻すぞ」
「……了解した……」
「まあ、気圧は上がって来ているから、そんなに時間はかかるまい。夜明け前には、海面に再浮上する。じゃあな」
そのまま出て行こうとする相手を、ジェルマが呼び止めた。
「ちょっと待てよ! あんた何者だ? ってか、人間なのか?」
相手の透明な頭巾のような頭部から透けて見えている金属の歯車が忙しく動き、色とりどりの硝子玉がチカチカと瞬くように点滅した。
「この見かけで人間のはずがなかろう。が、まあ、以前はそうであった。遠い記憶だが……。ふむ。おかしな話だが、おまえの顔に見覚えがあるような気がする。おまえの名は?」
「へっ。こんな機械人形に知り合いはねえけど、隠すことはねえから、教えてやらあ。おいらはジェルマさ。まあ、正式には、サンジェルマヌスって厳つい名前だけどな」
最初の時以上に激しく歯車が動き、硝子玉が明滅した。
「いや、そんなはずは、ああ、まさか。いくら何でも、年数が合わぬ」
明らかに動揺している相手に、ジェルマは、探るように聞いた。
「もしかして、あんたが知ってるのはご先祖さまの方じゃねえか? まあ、ご先祖さま、つーても、死んだのはつい最近らしいけどさ」
歯車が止まり、硝子玉が暗くなった。
「……そうか。死んだか。いや、寿命が尽きたのだな。長命族とて、無限には生きられぬ。こういう形でなければな」
「え? あんたもメトス族なのか?」
「ああ。生きていた頃はな」
「生きていた頃は、って、じゃあ、今は幽霊かい? うーん、こんなゴテゴテした幽霊ってのは、あんまりピンと来ねえけど」
驚いたことに、相手は笑うような声を出した。
「確かにな。わしは、正に機械の中の幽霊だろうな」
ジェルマは軽く舌打ちした。
「さっきから、意味がわかんねえ言葉ばっかりだぜ」
「おお、そうだろうとも。わしとて全てがわかっておる訳ではないさ。大半は記憶装置からの受け売りだ。さて、それはともかくとして、おまえの名前を聞いて少し気持ちが変わった。不具合を起こしている人工実存の自己修復が完了するまで、ここに置いてやろう」
「うーん、それはつまり、ゾイアのおっさんが治るまで居ていい、ってことか?」
「平たく言えば、そうだな」
ジェルマは口を尖らせた。
「じゃあ、平たく言えよ。で、あんたを何て呼んだらいい?」
「ふむ。ならば、ゴースト、でよかろう」
「変なの。ま、いいや。それより、暫く置いてくれるんだったら、頼んでいいか、ゴースト?」
「おお、いいぞ」
「おいら、朝飯を喰ったっきり、何も口にしてねえんだ。喉もカラカラだし、腹も減ってる。飲み物や食い物はねえのか?」
ゴーストは、また笑った。
「やはり似ているな。ああ、いや、こっちのことだ。では、取り敢えず居住区の方へ案内しよう。食品複製機が上手く作動してくれれば良いのだが」
振り向いて行こうとするゴーストに、ジェルマは「おっさんは置いてくのか?」と聞いたが、それにはゾイアが例の変な声で返事をした。
「……心配ない……自己修復38.04パーセント……」
一瞬立ち止まったゴーストも、「後はもう、プログラムに任せるしかないさ」と告げた。
「それに、脚が人魚の状態では、移動に困る。せめて直立二足歩行ができるまでは、放っておけ」
「ちぇっ、わかんない言葉使うんじゃねえよ。あ、ちょっと待てよ!」
ゴーストを追って巨大円筒の外に出たジェルマは、「うっ!」と声を上げてしまった。
そこは、立方体のような形の小さな部屋だったのだ。
しかも、二人が入って来たところは、スーッと扉が閉まってしまったのである。
ジェルマは、怒りと不安が入り混じったような声で怒鳴った。
「おいっ、ゴースト野郎! おいらを騙したな!」
振り返ったゴーストは、笑いを含んだ声で答えた。
「違う、違う。これは昇降機だよ」
「だから、わかんない言葉を、わっ、落ちる!」
「大丈夫だ。この箱ごと海底を降りているのだ。居住区は、地下に造ってあるからな」
ジェルマは頬を膨らませた。
「もう、おいら、何かあっても驚かねえぞ」
しかし、下へ到着して扉が開くと、ジェルマは大声で叫んでしまった。
「な、なんじゃ、こりゃあ!」
そこには、綺麗に縦横整えられた市街地があった。
しかも、その上には青い空と輝く太陽があり、市街地の先にはこんもりと繁った森が見え、その遥か向こうには、峨々たる山並みすら見えている。
ゴーストは、気取った声でこう告げた。
「ようこそ、わがダフィニア島へ!」