859 南海の秘密(5)
罠である可能性を予測しながらも、ラカムの用意した船に乗り込んだゾイアとジェルマ少年。
その二人のいる船室に、ラカムが薬草茶を持ってきた。
ホンの一瞬間があったものの、一般人のフリをしているゾイアは如才ない笑顔で応じた。
「おお、それはすまぬ。ちょうど話し込んでいて喉が渇いたところであった。せっかくだから、ラカムどのも一緒に飲もうではないか」
ラカムは持っている盆を落としそうなくらい動揺したが、急いでそれをテーブルに載せると、言い訳がましく断った。
「す、すまねえ。こう見えても忙しいんだ。雇った船員たちの仕事ぶりが、イマイチでな。まあ、おれは遠慮しとくから、二人で飲んでくれ。じゃあな」
焦ってラカムが出て行くと、ジェルマは堪え切れずに吹き出した。
が、ゾイアがポットからカップ二杯にハーブティーを注いでいるのを見て、「え?」と驚いた。
「おっさん、まさか飲むつもりか?」
ゾイアはニッと笑うとカップを両手に持ち、船室の窓から中身を捨てた。
戻って来て、テーブルに空のカップを戻すと、ジェルマに微笑んで見せた。
「あんな怪しい態度を示されたものを飲むようでは、この世界ではとても生き残れぬ。が、恐らく毒ではなく、眠り薬であろう」
「まあ、そうだろうね。で、どうする?」
ゾイアは態とらしく欠伸をした。
「何故だか急に眠くなったようだ。少し寝よう」
ジェルマもニヤリと笑った。
「あ、おいらも眠くなった。寝ようぜ」
二人が寝室の方へ移動し、寝台に横になって待っていると、居間の方に人が入って来る気配がした。
ラカムが小さな声で何か言っているようだ。
「おーい、ガイアックの旦那、いるかーい? お、やったぜ、キレイに飲んでやがる。ってことは、寝室だな。おおっ、寝てる寝てる。見てみろ。獣人将軍だかなんだか知らねえが、ラカムさまにかかったら、こんなもんさ。ざまあ……」
寝室の入口で、ラカムは口を半開きにして固まってしまった。
寝ていたゾイアが起き上がったからである。
「やはり、われをゾイアと知っているのだな。黒幕はマオール帝国か?」
ラカムは口を閉じると、一言も喋らずに振り向いて逃げようとした。
が、いつの間にか居間に入って来ていた船員たちに、行く手を塞がれてしまった。
「そ、そこをどいてくれ! おれは泳いで帰るんだ! 後のことは、マオールのやつらに聞いてくれ!」
しかし、船員たちは動かず、ニヤニヤ笑ってラカムを見ている。
ラカムも漸く、相手が意図的に邪魔をしているのがわかった。
「きさまら、いったい……」
すると、真ん中の一人が惚けたような顔でラカムに告げた。
「困りますねえ、船長。船が沈むかもしれない時には、最後まで残ってもらわなきゃねえ。ああ、ご心配なく。客人二人は、われわれで捕まえますから」
立往生しているラカムの後ろから、様子がおかしいことに気づいたゾイアが出て来た。
すでに正体がバレたため、髪と目の色は通常に戻している。
五名いる船員たちは、特に武器を持っている様子もないため、ゾイアは穏やかに話しかけた。
「ほう。ラカムでは頼りないと、別口で雇われたのだな。ならば、言おう。怪我をせぬうちに、ラカムと一緒に泳いで港に戻ることだ」
ラカムと話していた真ん中の船員が、肩を竦めた。
「そうはいかねえんだ、客人。チャナール太守から前金を貰ったからな。まあ、おれ以外は普通の船員だが、おれはラカムがしくじった時の後詰に雇われたんでね。チャナール太守も、ラカムじゃ無理だろうと言ってたぜ」
チャナールの名前を聞いて、ゾイアは納得したように頷いた。
「おお、そうだったのか。暗黒都市マオロンでのわれの記憶は曖昧だが、チャナール太守の名前は後から聞いた。おまえも腕に覚えがあるのかもしれんが、そのチャナール太守のお抱え擬闘士がどうなったか、聞いていないか?」
が、相手はおかしそうに笑った。
「おいおい。おれもグラップラ崩れだと思ったのか。違うさ。こう見えても、おれも失われた種族の末裔なんだぜ」
その時、ゾイアの後ろから覗き込んでいたジェルマが、大声で警告した。
「いけねえ! おっさん、こいつは睡魔族だ! 早く目を閉じろ!」
ジェルマの叫びが終わる寸前、その男の両目が眩い金色に輝き、船室の中が黄金の光に満たされた。
「……おっさん、起きてくれ! 頼むよ!」
「う、ううっ」
「良かった! わかるか、おっさん? おいらだ、ジェルマだよ」
「うーむ」
ゾイアは、全力で瞼を上げようとしているのだが、すぐに閉じてしまうようだ。
「おっさん、ごめんな!」
ジェルマは、ピシャッとゾイアの頬を叩いた。
ゾイアの瞼が、少しだけ開いた。
「お、おお。もう一度、頼む。構わんから、力一杯に」
「よっしゃあ!」
パーンと大きな音がして、漸くゾイアの目が開いた。
「ありがとう。もう大丈夫だ。ん? 気のせいか、随分船が揺れているようだが」
ジェルマは吐息混じりに説明した。
「おいらが叫んだんで、ヒュプノス野郎、慌てて全力を出しやがったんだ。周りを見てみな」
改めてゾイアが周囲を見回すと、ラカムは勿論、四人の船員も気絶したように眠っている。
「あいつは、そのヒュプノス族とかいう男は、どうした?」
「おいらが眠ったフリして見てたら、あいつは船の操作とかできないみたいで困ってたが、だんだん波が荒くなって来たもんで、救命艇に乗って逃げちまった」
「そうか。前金を貰ったと言っていたしな。すると、船員たちが起きてくれないと、どうにもならんな」
「え? おっさん、跳躍で逃げようよ。ああ、ラカムたちのことを心配してるのかもしれないけど、こいつら自業自得だよ」
ゾイアは困ったように首を振った。
「すまぬ。われも何度か同じような目に遭ったから自分でわかるのだが、今は魔道も変身もできない。恐らく、ヒュプノスのせいだろうが」
ジェルマの顔色が変わった。
「何暢気なこと言ってんだよ! もう嵐の中に入っちまってるんだぞ! このままじゃ、うあああーっ!」
横から大きな波が来たらしく、船体が大きく傾き、アッという間に船は転覆していた。