856 南海の秘密(2)
クジュケはツイムに龍馬を使うように言ったが、バロードからカリオテまで直接行くことはできない。
途中に峻嶮なスーサス山脈があるからだ。
まず、龍馬でスカンポ河の東岸をギリギリまで南下する。
次に、西端では小川のように細くなっているアルアリ大湿原の手前にある河湊町で、龍馬を下りて専門の厩舎に預ける。
そこから、スカンポ河を下る早船に乗り換え、南の大海に出て、沿海諸国へ廻るのである。
因みに、カリオテ大公国は沿海諸国の中ではやや東寄りにあるため、天候が悪ければ更に何日か日和見しなければならない。
出発の準備をしながらも、ツイムはタロスに愚痴を溢した。
「せめて行きだけでも跳躍で連れて行ってくれりゃ、少なくとも二日は節約できるのにな。あいつ、意地悪してやがるんだ」
タロスは苦笑しながら慰めた。
「まあ、そう言うな。あいつは今が一番忙しいんだ。それに、帰りのことを考えれば、これが一番妥当な方法だと思うぞ。龍馬なしで早船だけで帰って来ようとしたら、もっと何日もかかるだろう。まあ、元船乗りのおまえには、その方が快適かもしれんが」
ツイムも白い歯を見せて笑った。
「元船乗りじゃねえ。元海賊さ」
その頃沿海諸国では、ツイムが元海賊であった頃の首領であるラカムが、ゾイアのために船を出そうと名乗りを上げたのである。
が、ジェルマ少年がゾイアの袖を引いた。
「おっさん、止めときな。『ラカム水軍』っていったら、ここいらじゃ昔から札付きの悪なんだ。まあ、娘のミラの代になってカリオテ大公国と手打ちしたが、親父のラカムはコッソリ奴隷貿易をやって、娘に追ん出されたらしいぜ」
態と聞こえるような声で言っているらしく、ラカムの顔が怒りで真っ赤に染まった。
「うるせえっ、このガキ! ミラとは、とっくに親子の縁を切ったんだ! あの薄情な娘、親父を捨てて自分が女首領になったくせに、今度は皇后さまになるんだと抜かして出て行ったが、バチが当たって国外逃亡だ! ざまあみろ!」
話がどんどん逸れて行くため、ゾイアが苦笑しながら二人を宥めた。
「まあ、二人とも落ち着け。前歴がどうであれ、ラカムどのが作った料理はどれも美味かった。値段も法外なものではない。真っ当な商売をしているようだ。で、あれば、船のことをお願いしてもいいと、われは思うぞ」
ジェルマは、「へっ、勝手にしろ」と吐き捨てるとソッポを向いた。
ラカムの方は先程の怒りを忘れたように、愛想笑いを浮かべている。
「おお、さすが、金貨で代金を払うだけのことはあるな。だが、船一艘となると、それなりに値が張るぜ。大丈夫かい、旦那?」
狡そうに笑うラカムに、ジェルマはやっぱりという顔をして見せたが、ゾイアは構わずに懐から革の袋を出した。
「これで足りるだろうか?」
そう言いながら投げられた革袋を受け取り、中を覗いたラカムの顔色が変わった。
「!」
「取り敢えず、手持ちはそれだけしかない。郷里から送らせてもいいが、時間がかかる。足りないようなら、他を当たってみるが?」
「あ、ああ、いや、なんとか足りるだろう。ふむ。出発は明日でいいか?」
「おお、引き受けてくれるか。ありがたい。ついでと言ってはなんだが、この店は宿も兼ねているようだが、出発までここに泊めてもらってもよいか?」
「勿論だとも! 泊まり代は、お礼に無料にしとくよ。なんだったら、今から使ってもらってもいいぜ。おれは船を手配してくるからよ」
「そうさせてもらおう。部屋は二階か?」
「ああ、三部屋どれでも空いてるが、お勧めは左の大きい方だ。海がよく見える。おっと、いけねえ、旦那の名前を聞いてなかったな。教えてもらえるかい?」
髪も瞳の色も地味な茶色のままだから、獣人将軍ゾイアとは気づいていないようである。
ゾイアは一瞬考えたが、偽名を使った。
「ガイアックだ」
「じゃあ、ガイアックの旦那、部屋でゆっくりしててくれ」
慌ただしくラカムが出て行くと、ジェルマが大きな舌打ちをした。
「おっさん、お人好しにも程があるぜ! 先に有り金全部渡しちまったら、もう二度とラカムは戻って来ねえぞ!」
ゾイアはニコニコしながら首を振った。
「いや、必ず戻って来るさ。どの程度こちらの話が耳に入ったか探り探り話してみたが、少なくともわれの正体に気づいてはいなかった。で、あれば、こんな金蔓を手放すはずがない。欲の深い人間は扱い易いものだ」
「ふん、確かにな。だが、船を出したとして、なんか捜す当てはあんのか?」
ゾイアは肩を竦めた。
「いや。が、沖に出れば、何か閃く、かもしれん」
「ったく、暢気なおっさんだな。仕方ねえ。付き合ってやるよ」
ゾイアはジェルマを連れて行くことは考えていなかったらしく、意外そうに聞いた。
「危険かもしれんぞ。いいのか?」
ジェルマはニヤリと笑った。
「ご先祖さまの気持ちが、今わかったよ。こんな危なっかしいおっさん、とても放っておけねえや。まあ、おいらに任せときな!」
一方、店を出たラカムは、船主のいるような場所には寄らず、真っ直ぐに船着き場の方へ走った。
停泊中の大きな船に向かって、「おーい、おれだ!」と声を掛けると、舷梯が下ろされた。
そのまま案内も乞わずに船室まで入ると、「見つけましたぞ、太守閣下!」と叫んだ。
船室の奥には、でっぷりと太ったマオール人が座っている。
細い目でラカムを睨むと、不機嫌そうに聞いた。
「おまえのガセネタは聞き飽きておる。が、まあ、いい、聞いてやろう。見つけたのは、どっちだ?」
ラカムは満面の笑顔で答えた。
「それが何と、両方でございますよ!」
「何だと? どういうことだ?」
「お誂え向きに、家出しているらしい長命族の子供が一人。そして、以前にマオロンで太守のお抱えの擬闘士を潰したという、例のガイアックという男でございますよ、チャナール閣下!」
(作者註)
暗黒都市マオロンでのゾイアの活躍は、外伝短編『マオロンの超戦士』をご参照ください。