854 ガルマニア帝国の興亡(96)
勝手にマオール軍二万に居留地を与えたことについて、ハリスは、謂わば事後承諾を求めるため、元首リンドルの許に戻った。
皇帝宮の謁見の間でハリスの話を聞き終わるなり、リンドルは顔を真っ赤にして罵声を浴びせた。
「馬鹿野郎! 一戦も交えずに敵に土地を差し出すなんて、古今東西聞いたこともない! きさま、それでも国防長官か!」
ハリスは白い頭巾のせいだけでなく、本当に無表情な声で淡々と応えた。
「この件は、わたしに任せる、とのことで、あった。結果、最小の損害で、最大の利益を、得たと思う。当方に一切の、人的被害がなく、二万の敵が、二万の味方と、なった。いずれにしろ、兵力増強を、しなければ、マインドルフに、対抗できない」
それは事実であり、全兵力を搔き集めても四万しかいない現状で、甚大な戦死者を出して勝利を収めても、その後マインドルフに潰されるだけである。
捕虜にしていた二万のマオール軍を持て余していたかれらにとって、そうなれば一石二鳥であったろう。
リンドルもさすがにそれはわかっており、ただ、自分の許しも得ずに国土を処分されたことに、君主としての尊厳が傷ついているようだ。
腹立ちが治まらないのか、リンドルはつまらないいちゃもんを付けた。
「おまえとは随分長い付き合いなのに、子供の頃誘拐されてマオールにいた話は、一度も聞いてないぞ」
それに対するハリスの返事こそ、恐るべきものであった。
「当然だ。嘘だからな」
リンドルは半開きになった口を、慌てて閉めた。
「う、嘘って、おまえ、どこまで」
「全部だ。誘拐されたことも、リュウシコウ左大臣に、養われたことも、何もかも」
「バレたらどうするつもりだ!」
「バレぬ。リュウシコウの、一族は皆、粛清された。家も何も、残っておらぬ。ああ、ついでに言えば、マオールに、行ったことも、一度もない」
「じゃあ、どうやって言葉を覚えた?」
「ガーコ族は、諜報を、生業と、している。マオール語は、絶対に欠かせぬ、基本的な素養だ。マオール人の教師は、わたしなら、マオール生まれだと、みんな信じるだろう、と言ったよ」
「どうして、そんな嘘を……」
「彼我の戦力から、戦うより、味方にした方がいいと、すぐに考えた。それが、向こうにとっても、利益となる、しな。が、猛り立っている、かれらに、話を聞いてもらうには、工夫が要る。以前、リュウシコウのことは、調べて知っていた、からな」
不信感を露わにして自分を見ているリンドルに、ハリスは、少し背筋を伸ばして付け加えた。
「謀略を得意とする、ガーコ族には、代々伝わる、不文律がある。それは、『誠意を込めて、嘘を吐く』ということだ。わたしは、確かに嘘を吐いたが、かれらを騙すつもりは、ない。居留地は、キチンと与え、いずれ自治領に、してやるつもりだ。そこには、一片の嘘も、ない。ではこれで、国防長官の職を、辞する」
お辞儀をして立ち去ろうとするハリスを、リンドルが独り言のような小さな声で止めた。
「待てよ。辞めさせないと言ったはずだぜ。それに、これからはマオール語ができるやつがいないと困るじゃないか。最後まで責任とれよ。それが誠意ってもんだろう?」
ハリスは立ち止まったまま、何度も深呼吸していた。
やがて気持ちが定まったのか、静かに振り返って頭を下げた。
「畏まった」
その様子をジッと見つめていたリンドルは、自信を取り戻したのか、少し声を張って告げた。
「いいか。今後、おれには絶対に嘘を吐くな。たとえ誠意があってもだ!」
ハリスも、やや強い口調で返した。
「御意!」
その頃、遥か南の沿海諸国の料理店では、ゾイアの奢りで鱈腹食べたジェルマ少年が、満足そうに椅子の背凭れに体重を預けた。
「ふうっ、もう喰えねえ。これで二三日は凌げる。ありがとよ、おっさん」
ゾイアは、苦笑混じりに助言した。
「毎日適量食べた方が良いぞ」
ジェルマは鼻を鳴らした。
「わかってるさ、そんなこと。だが、一人で生きて行くってのは、厳しいんだぜ」
「立ち入ったことを聞くが、家族はいないのか?」
すぐには返事をせず、ジェルマは何気なく周囲を見た。
昼時を過ぎており、他に客はいない。
一人で店を切り盛りしているらしい店主は、ゾイアたちに料理を出した後、奥の安楽椅子でうつらうつらと居眠りしている。
それらを確認してから、漸くジェルマは質問に答えた。
「いるさ。おいらの母国のダフィネに両親がな。だが、あんまりわからず屋だから、おん出て来たんだ」
「ほう。その歳で家出か。あ、いや、三十路であったか」
見た目五歳くらいのジェルマは、肩を竦めた。
「長命族じゃ、三十歳はまだ子供さ。にしたって、親の考えばっかり押し付けられたんじゃ、嫌になる。まあ、おいらのことはいいだろう。おっさんが出会ったっていう、もう一人のジェルマ、初代のサンジェルマヌス伯爵の話を聞かせてくれよ」
「おお、そうであったな」
ゾイアは過去に戻った詳しい経緯は省き、三千年前の世界のジェルマ少年の話を聞かせた。
「……ヒュドラを退治できたのも、モノリスを復活できたのも、いや、恐らくわれの知らぬそれ以上のことも、ジェルマのお蔭だ。その上、三千年後にわれとわれの友人たちを助けてくれ、最近亡くなったことは知っている。だが、われと別れた後、どういう人生を過ごしたのか、もし、おまえが知っているのなら、教えて欲しいのだ」
ジェルマは深く吐息してから、やや悲しげに告げた。
「おいらのご先祖さまは、あんまり幸せじゃなかったらしいよ」