848 ガルマニア帝国の興亡(90)
リンドル将軍の無血入城によって、ガルマニア帝国は実質的に途絶えたことになる。
が、リンドルはマインドルフのように新しい帝国を創設するつもりはないようであった。
「聞いたこともない名前の帝国を創ったって、国民が納得しないし、諸外国だって認めないだろう。この国はあくまでもガルマニア帝国さ。それで、おれは皇帝、と言いたいところだが、いきなりの皇帝じゃあ無理があるから、元首ってことにするよ」
いつものように腕の筋肉を見せる服装で玉座に座り、リンドルが話している相手は、無論、ハリス将軍であった。
白い頭巾に覆われているため表情はわからないが、自然に臣下としての立ち位置におり、喋り方も微妙に変化させていた。
「東方魔道師も、親衛魔道師隊も、いなくなり、防諜の点で、心配があるため、ガーコの里から、人を集め、ました。当面、皇帝宮の中を重点的に、いずれは対外的な、諜報活動についても、やらせていただき、ます」
リンドルは、そういうハリスの他人行儀な話し方を当然と思っているらしく、自慢の口髭を撫でながら、満足そうに笑った。
「おお、頼むぜ、ハリス。あ、いや、国防長官にしたんだったな。で、直属軍二万は、結局どうなった、ハリス長官?」
「はっ。言われたとおり、マインドルフの旧領を、扶持するとの、提案をしましたが、思いの外、ツァラト将軍への、忠誠心が厚く、半分の一万しか、残っては、くれませんでした」
リンドルは、自分の唇を摘まんだ。
「まあ、仕方ないか。半分でも上等だと思わなきゃな。これで、おれとおまえの軍勢と併せて四万か。うーん。もう少し欲しいところだな」
「兵の募集は、もう始めて、おります。それより、マインドルフを、牽制するため、早めにツァラト将軍と、ザネンコフ将軍に、同盟の呼び掛けを、いたしましょう」
「そうだな。それもあって、直属軍の内、向こうへ行きたいやつは行かせたんだからな。だが、おまえも知ってるとおり、おれはどうもザネンコフが苦手だ。交渉は、おまえに一任するよ」
「畏まり、ました」
そのザネンコフは、剣術の稽古に使う道場の脇にある休憩所に座り、苦り切った顔でツァラトと話していた。
「これでは、まるで火事場泥棒ではありませぬか。確かに、ゲーリッヒさまにも問題は多うござったが、リンドルめ、いきなり軍を動かすとは」
ツァラトは赤髭に覆われた顔を俯かせた。
「すまぬ。帝都ゲオグストに残した直属軍二万が、全く動かなかったそうだな」
ザネンコフは、慌てて両手を振った。
「おお、ツァラトさまがお謝りになられる必要はございませんよ。その点は寧ろ、流血がなくて幸いでした。ただ、今後、リンドルがどのような出方をして来るのか、それ次第では、わしにも覚悟がありまする!」
ツァラトが苦笑してザネンコフを宥めた。
「まあ、落ち着け。リンドルにはハリスが付いている。あまり暴走しないよう、上手に誘導するだろう。それよりも、わがはいが心配なのは、マインドルフの方だ。愈々新しい帝国を立ち上げるらしい。今回の無血入城を受けて、どういう動きをしてくるのか、暫く目が離せぬぞ」
「ええ。向こうには魔女ドーラと、東方魔道師も付いておりますから。ああ、そういえば、例のハリスの息子の伝手で、ガイ族を召し抱えることにしました。こちらも備えておかねばなりませんので」
「うむ。それがいい。かれらも新天地を求めていたからな」
勿論、リンドルの帝国簒奪に一番衝撃を受けたのは、マインドルフであったろう。
第一報を受けた時、脂ぎった顔を歪め、「嘘だ!」と大声で叫んだ。
「あんな筋肉馬鹿に、皇帝が務まるものか!」
横に座っているドーラが惚けたような顔で窘めた。
「まあまあ、落ち着かれませ。どのような人間でも皇帝になれることは、ゲルカッツェで証明済みではありませぬか。結局、実質的に政権を担うのは、智将ハリスでありましょうな。で、あれば、条件次第では、こちらに靡きまするぞえ」
そのハリスと同様に、内心はどうあれ、ドーラもマインドルフへの言葉遣いを改めているようであった。
マインドルフもまた、それを当然のこととして、横柄に頷いた。
「ふん、そうだな。こちらはこちらで、早急におれの即位の準備を進めねばな。アーズラム帝国皇帝マインドルフ一世か、悪くない響きだ」
一世を付けた方がよいと入れ智慧したのもドーラである。
アーズラム帝国がこれから代々続くように、ということであろう。
上手くマインドルフに取り入っているドーラに比べ、一段下がった席に控えているジョレは、表情が冴えない。
同僚であったポーマが戦死し、その遺領を貰って本来なら大いに喜ぶべきところだが、同時に、マオール軍の投降兵二万名も預かることになったからである。
当初逃げ散った者たちも、言葉が通じない異国では逃げ切れないと戻って来て、結局、ほぼ全員が捕虜となった。
ドーラ配下の東方魔道師を何名か借りて通訳してもらい、なんとか統制しているが、いつ叛乱が起きるかわからず、不安で眠れない日々を送っていた。
そのため、マインドルフが自分を呼んでいるのに気づかず、怒鳴るように名前を言われて、漸く「はい?」と顔を上げた。
「何をボーッとしている! 飲み過ぎたのか、ジョレ!」
「あ、いえ、酒など飲んでおりませぬ」
山羊のような顎髭を震わせるジョレを、ジーッと意地悪そうに睨んでいたマインドルフは、ニヤリと笑った。
「おお、いいことを思いついたぞ。先帝ゲールの頃からおれの格下であったリンドルは、当然おれに臣従するべきだとの使者を出そう。それは、まあ、ドーラの役目だが、あいつが逆らうようなら、討伐軍を出さねばならん。それは、ジョレ、おまえが率いろ」
ジョレは顔色を変えた。
「え、ですが、わたしは……」
マインドルフは笑顔のまま、静かに告げた。
「頼んでいるのではない。これは命令だぞ」
ジョレは両手を床について頭を下げた。
「ははーっ!」