845 ガルマニア帝国の興亡(87)
草原に広めに展開して待ち構えるポーマ軍一万五千に対し、数の上では多いはずのマオール軍二万は、逆に密集隊形をとった。
しかも、そのまま突撃して来たのである。
「いけねえっ!」
ギョロリとした目を剥いて、ポーマは焦った。
当然先に弓矢の応酬があるものとみて、前面に弓隊を配置していたのだが、号令を掛ける間もなく、射程圏内に入り込まれている。
「ええい、ボーッとするんじゃねえ! 弓隊、早く射掛けろ!」
一斉に弓から矢が放たれ、接近するマオール軍の頭上に降り注ぐ。
運悪く命中したマオール兵の絶叫があちこちで上がったが、全体の進撃速度は変わらず、最前線では互いの顔が見える距離まで近づいた。
と、先頭を走るマオール兵たちは、細く短い棒のようなものを手にし、その端を自分の口に当てた。
忽ち、ポーマ軍の弓隊から悲鳴が上がり始めた。
皆、目や喉などの急所を押えて苦悶している。
そこへ急接近して来たマオールの騎馬兵が、鉾で斬撃を加え、前面の防衛線が早くも破られた。
遠目で見ているポーマには、どうして弓隊がやられてしまったのかわからなかった。
「な、何だ、あの武器は?」
吹き矢は中原では馴染みがないものだが、ポーマもそんな穿鑿をしている余裕はなかった。
鉾を振り回しながら駆けて来る騎馬兵が、目前に迫っている。
「くそっ!」
ポーマは自慢の長柄槍を構えた。
どう見てもこちらの方が間合いが長く、しかも、互いに馬上なら、斬る鉾よりも、衝く槍の方が断然有利である。
「さあ、来やがれ!」
ポーマは笑おうとして、表情が凍りついた。
薄く広く軍を展開しているため、ポーマの近くには味方が一人もおらず、逆に密集している敵の騎馬兵は、少なくとも五六騎が固まって自分に向かって来ているのだ。
慎重なジョレなら一旦退却したであろうが、ポーマは逃げずに戦うことを選んだ。
「てめら纏めて始末してやるぜ!」
が、最初の敵を槍で衝いた時には、複数の別の敵が斬りつけていた。
敵に刺さった槍を抜く暇もなく、最後に駆けて来た騎馬兵の鉾が、ポーマの首を薙いだ。
開戦早々に主を失ったポーマ軍は、崩れるように潰走し始めた。
当然、逃げる先は、南に隣接するジョレの領地である。
そのジョレは、僅か五千の兵を率いて出陣して来ていた。
ポーマ同様、マオール軍は弱いと見縊った訳ではない。
ポーマ軍一万五千にマインドルフの援軍が一万加わっていれば、よもや後れを取ることはあるまいとみて、自分は後詰に廻って様子を見ようと思ったのである。
その前方から、明らかに敗走して来るポーマ軍を見て、ジョレは自分の甘さを呪った。
「いかん! 今から増援を呼んでも間に合わん! 総員、退却せよ!」
勿論、現時点でもポーマ軍と自軍を併せれば、マオール軍と同じ二万なのだが、同数ではこの勢いを止められないと判断した。
驚いたのは、逃げて来たポーマ軍である。
助けてもらえると期待したジョレ軍が、一戦も交えずに逃げ出したのだ。
呆然としている背後から、飢えた獣のようにマオール軍が襲い掛かった。
その頃漸くマインドルフの援軍が近づいて来た。
率いているのは、なんとドーラ、いや、男性形となったアルゴドラスであった。
こんなに遅れたのは、一万だけでは心許ないから倍の二万にしてくれとゴネたアルゴドラスに、マインドルフが増員を渋り、結局、双方が歩み寄って一万五千で決着したのが今朝になったからである。
速度を上げて進軍しながらも、アルゴドラスの機嫌は悪い。
「ふん! あんなに吝嗇とは思わなんだ! 確かに、ジョレとポーマが全軍を出せば三万で、それだけでも勝てる戦ではある。が、余の長年の勘が、危険を告げているのだ」
その不安は的中していた。
アルゴドラスが戦場に着いた時には、逃げ回るポーマ軍を甚振るように、一方的にマオール軍が掃討しつつあった。
「こ、これは、いったい……。ジョレの軍は、どこへ行った?」
アルゴドラスがわれを失ったのは、ホンの一瞬だった。
直ちに大音声で全軍に命じた。
「ポーマ軍を救うのだ! 突撃せよ!」
全軍が地響きを立てて猛進する中、アルゴドラス自身も武器を手にして突き進んだ。
その武器は、一見大剣のようだが、幅がやや狭い。
しかも片刃でやや反りもあるから、剣ではなく刀である。
その刀を縦横に振るって、マオール軍に斬り込んで行った。
迎え撃つマオール軍も、新手の軍勢の出現に対応するため、再び密集隊形に戻りつつあった。
楽勝と見ていたタンドール将軍も、兵士たちを叱咤した。
『怯むな! どうせ弱兵だ! この勢いのまま、踏み潰せ!』
が、言う程には相手が弱くないことは、タンドールにも見て取れた。
特に、一際体格の大きな老将が、颶風のようにマオール軍を薙ぎ倒して進んで来る。
タンドールの口が半開きになった。
『ま、まさか……』
慌てて口を閉じたタンドールは、喜悦の笑みを浮かべた。
『ああ、有難し! あれぞ、紛うことなくアルゴドラス聖王! こんな大手柄の機会が巡って来るとは! 皆、離れよ! わしの得物を盗るなよ! さあ、いざ、参る!』