829 ガルマニア帝国の興亡(71)
帝都ゲオグストでは、異様な光景が展開していた。
皇帝宮前の広場に、大軍勢が整列しているのだが、全員が中原では目にしない黒い甲冑に身を包んでいるのである。
形も変わっており、小さな鉄片に黒漆を施したものを、丈夫な糸で綴り合せてある。
防御力は中原のものに劣るが、その分軽く、動き易い。
持っている槍や剣も、中原と違う形をしている。
マオール兵であった。
それを皇帝宮の露台から見下ろしながら、ゲーリッヒは満足そうに笑った。
今日はキチンとした皇帝用の私服を着ている。
「予定より、随分と早かったじゃねえか。たった三日で、よくぞ全軍揃えたな」
横に控えていたヌルチェンも、微笑みながら頷いた。
こちらも魔道師の恰好ではなく、補佐官としての制服を身に纏っている。
「はっ。親衛魔道師隊を総動員して、兵の移動を援助させました。到着した馬を岬まで転送で戻し、また着いたら戻しと、繰り返したのです。過労で倒れる馬も出ましたが、出陣用の馬は別に確保しておりますので、ご安心ください」
「抜かりねえな。まあ、できれば、明日には出発させろ。見慣れねえ大軍に、ゲオグストの住民がビビッてやがるからな。直属軍一万は、その後、向かわせる」
「御意。まあ、マオール軍だけでも、充分勝てるとは存じますが」
「そうはいかねえと思うぜ。おれはザネンコフって男を知ってるからな。決して油断するな」
「わかっております。本人が剣豪将軍故、家臣も個々の戦闘力が高いそうですね。しかし、マオール兵の強さは、集団戦にあります。個々の力を当てにするのは、古い考えかと」
「ふん。古くたって何だって、強いやつが勝つのさ。ああ、それと、あまり戦いを長引かせるな。マインドルフの野郎が、ちょっかいを掛けて来るかもしれねえ」
「はい、肝に銘じます!」
そのマインドルフは、迷っていた。
「ザネンコフが潰されるのを、このまま黙って見ていて良いものだろうかのう」
砦の城主の間で話しかけている相手は、当然、魔女ドーラであった。
ジョレとポーマを交えての酒席の後、二人はそれぞれに与えられた私室に帰された。
それはつまり、ここから先は内密の話、ということだ。
ドーラは、笑いを含んだ声で応えた。
「お優しいのう、マインドルフさまは。今のお言葉をポーマ将軍が耳にすれば、また激昂するぞえ」
マインドルフも、脂ぎった顔で苦笑した。
「まあ、優しさで言っている訳ではないがな。あやつが潰されれば、野人皇帝は、全力でこちらに向かって来よう」
ドーラは首を傾げた。
「それはどうであろうかのう? マオールから二万の援軍を貰ったとはいえ、直属軍は未だに三万。そのうちの一万は遠征に出すそうじゃから、帝都防衛に残すのは、僅かに二万。周囲には、旗幟不鮮明なリンドル・ハリス軍併せて三万がおる。とても身動きできますまいよ」
マインドルフも、わが意を得たという顔になった。
「そうなのだ。どう考えても、今ザネンコフを攻めることには、何の得もない。自分に逆らったのが赦せないというのは、あまりに子供じみているではないか!」
「そこはそれ、ハリスが言っておったように、マオール軍がどの程度戦えるのかという試験であろうよ」
「それで上手く行けば、二十万の援軍を受け入れるのか? 馬鹿馬鹿しい。国ごと乗っ取られるわい」
実は、ドーラは、ハリスの言ったことの大部分はマインドルフに伝えていたが、マオール帝国の最終目標が自分への復讐であるらしいことは、黙っていた。
それをマインドルフが知れば、かれこそが真っ先にドーラの身柄を押さえようとするかもしれないからだ。
ドーラは惚けた顔で、話を続けた。
「野人皇帝は自信家じゃから、マオールを手玉に取れると思っておるのじゃな。それに今回のことで、マオールからの援軍が、ガルム大森林南端の岬に到着してから、僅か三日でゲオグストまで行けることが内外に示された。これで、リンドルとハリスは、迂闊に動けなくなったぞえ」
「例の『森の街道』だな。全く油断のならぬ野人だ。ゲルカッツェに皇位を譲って身を隠し、密かにそんなものを造り、更には海軍の勉強までしておったとはな」
「左様じゃのう。恐らくは、将来のバロードとの決戦を考えてのことであろう。が、そこまで保つか、どうか」
「そうか……」
マインドルフは目を細め、天井を見上げていたが、「ふむ」と頷くと、狡そうな笑みを浮かべた。
「おれはザネンコフに援軍を送るべきかどうかで悩んでいたが、逆に、皇帝側を支援するという手もあるな」
一瞬驚いたドーラも、同じような笑顔となった。
「成程、そういう両天秤もあるのう。さすがわたしが見込んだ男じゃ! やはりコパとは違う!」
マインドルフは、ちょっと嫌な顔をした。
「そう言われたところで、褒められた気がせん」
「おお、これはすまぬ。比較する相手を間違うた。『陰謀が服を着て歩いている』と評されたチャドスを凌ぐ悪賢さじゃ!」
マインドルフは笑い出してしまった。
「それもいい譬えではないぞ、魔女。が、不思議と悪い気はせん」
二人は顔を見合わせて笑った。
ドーラが去った深夜。
マインドルフの寝室に白い影のような姿が現れた。
闇の中で目を開いたマインドルフは、落ち着いた声で「申せ」と告げた。
近づいた相手は、頭からすっぽりと白い頭巾のようなものを被っている。
ガーコ族であった。
マインドルフの耳元で、妙な抑揚の声で囁いた。
「マオール帝国の、真の目的は、ドーラこと、アルゴドラスへの、復讐。ゲーリッヒも、それを、知って、いる」
「わかった。ハリスによろしく伝えよ」
「はっ」
ガーコ族が去ると、マインドルフは「全ては、わが掌中にある」と呟き、微笑みながら眠りに落ちた。