813 ガルマニア帝国の興亡(55)
先帝ゲールによって創設された方面軍は、中原東北部の内、建国直後のガルマニア帝国周辺の未征服地域を八つに分け、それぞれに担当の将軍と軍団を配したのが始まりである。
当然、その難易度は地域によって違い、軍団の人数も一万から二万までと幅があった。
ブロシウスの謀叛の後、報復に成功して新皇帝となったゲルカッツェは、政治にも軍事にも興味を示さず、実際の帝国の運営は宰相チャドスに丸投げであった。
それを良いことに、チャドスは自分の親類縁者を帝国の要職に就けたが、軍人はチャダイぐらいしかおらず、自然と方面軍は離れて行ったのである。
その中でも、特にマインドルフは独立志向が強く、割り当てられていた方面だけでなく、皇帝直轄領になっていた自分の旧領土をも併呑し、三万を超える軍勢を保有した。
更にマインドルフは、ジョレ・ポーマ・リンドル・ハリスの四将軍を懐柔し、勢力拡大を図っていた。
が、ゲーリッヒが皇位を奪還すると、逸早く帝都ゲオグストに上洛し、進んで臣従を誓った。
野心家のマインドルフにしてみれば、勇猛果断な先帝ゲールや、陰謀が服を着ていると称された宰相チャドスに比べれば、野人太子ゲーリッヒなどは与し易い相手と思ったのであろう。
「その点は、見誤ったな」
全軍停止の後、隊列の変更を指示しながら、マインドルフは独り言ちた。
それが耳に入ったらしく、腹心の部下が聞き返した。
「ご命令を変更されますか?」
マインドルフは苦笑した。
「ああ、いや、策戦のことではない。野人の息子を、ちと、甘く見ていたと思うてな」
「おお、左様でございますね。わたくしも、もっと単純な青年だと思っておりました。やはり、女で変わったのでしょうね」
「いや、そうではあるまい。海賊の娘は、皇后になれて有頂天になっている田舎者にすぎん。権謀術数とは無縁だ。寧ろ、例の東方魔道師が黒幕かもしれん」
部下は呆れて笑い出した。
「まだ子供ではありませぬか!」
が、マインドルフは真面目な顔で首を振った。
「いや、ある意味、魔女ドーラより怖ろしい相手だぞ。何しろ、マオール帝国が後ろ盾だからな。おっと、今はそれどころではなかったな。ゴンザレスの砦は頼んだぞ」
部下も笑いを消して頷いた。
「お任せを。しかし、一万も連れて行って、大丈夫でございますか?」
「構わん。おれの推測では、留守部隊は百名程度だろうが、それでも一万でギリギリだと思う。それくらい攻め難い砦なのだ。もっと増やしてやりたいところだが、こっちが減り過ぎると、さすがに怪しまれるからな」
「わかりました。砦は今日中には落とせると思います」
「焦るな、と言いたいところだが、こっちも逃げ場所がそこしかないからな。頼むぞ」
「はっ! ご武運を!」
去って行く部下を見送りながら、マインドルフは「武運か」と吐息のように呟いた。
「正に、それが試されるな。おれの武運が、ここで尽きるかどうか、やってみるしかない」
腹心の部下が一万を率い、東南に向かって先行した後、マインドルフは大きく息を吸い、号令を下した。
「よし、これよりわれら二万は西南に向かう! 敵はゴンザレス軍一万五千! 山賊どもを蹴散らしてやるのだ! 出陣せよ!」
天地を震わせるような雄叫びと共に、マインドルフ軍は動き出した。
一方、マインドルフ軍を足止めしようと西北へ廻り込みつつあったゴンザレス軍は、その相手が猛然とこちら向かって来ていることに驚いた。
速度を落とそうとする部下たちを、ゴンザレスが野太い声で鼓舞した。
「怯むな! すぐに味方の大軍が来る! 持ち堪えるのだ!」
その本人も含め、大柄な者が多いゴンザレス軍は、何割かが特殊な馬を使っている。
通常の馬より力が強い騾馬である。
砦が丘の上にあることもあって、荷物の上げ下ろしにも利用できるからだ。
その代わり脚が遅く、小回りも利かない。
軽快に駆けてくるマインドルフ軍に忽ち距離を詰められ、弓を構える間もなく、両軍が直接激突した。
ぶつかり合った直後から、マインドルフ軍は、錐で揉み込むように中央に攻撃を集中して来る。
短い槍で突き、長剣で斬りつけ、疲れて来ると、後続と入れ替わる。
強引に中央部を抉じ開けようとしている。
その狙いは、明らかであった。
大将であるゴンザレスの首を取ろうとしているのだ。
グイグイと押し込んで来る敵を見て、ゴンザレスは顔を顰めた。
「おれを討つ気か。ふざけるな! こっちこそ、ダニエルの仇を取ってやるぞ。者ども、押し返せ! 狙うのは、マインドルフ唯一人だ! 雑魚に構うな!」
部下を叱咤しようとして、ふと見ると、周りを既にマインドルフ軍に囲まれていた。
「くそっ!」
ゴンザレスは、両脚でミュールの胴体を挟み、長柄の槍を両手で持つと、凄まじい速さで繰り出した。
突き、払い、後ろから来る敵には石突を当て、次々に屠っていく。
その間に、大将の危機に気づいた部下たちが、「お首領、今助けに行きます!」などと叫んで、駆け寄って来ている。
かれらにとっては、ゴンザレスは未だに山賊の首領なのであろう。
それを契機に、ゴンザレス軍は一時的な劣勢を跳ね返し、両軍入り乱れて激しい乱戦模様になって来た。
と、両軍がぶつかっている上空に、魔女ドーラが姿を現し、空中浮遊しながら戦況を俯瞰した。
「はてさて。これはどちらに味方する方が、得かのう?」