810 ガルマニア帝国の興亡(52)
建国以来、常に領土を拡張し続けて来たガルマニア帝国は、軍事を最優先する国家体制であった。
そのため他民族出身であっても実力のある武将は次々に出世させ、多数の将軍を擁していた。
その中でも特に資質の優れた者が抜擢され、ある程度の自由裁量権を持たされた方面軍将軍となったのである。
一方、逆に普段は皇帝の傍に仕え、大規模な対外遠征などの際に軍を率いるツァラト将軍のような立場の者もおり、シャルム渓谷で死んだゴッツェ将軍などもそうであったように、生粋のガルマニア人が多い。
行き過ぎた能力優先主義の弊害として常に謀叛の危険があるため、皇帝の周辺は同国人で固めていたのだ。
実は、コパも後者の立場の将軍であった。
ガルマニア人である上に、先帝ゲールの義理の甥でもあるのだから、これは当然であろう。
しかし、常時ゲールの近くにいるのはある意味生命懸けであり、不興を買って斬殺された者など枚挙に暇がない。
不穏な動きのあるギルマン自治領を鎮圧するという名目でコパが本国から離れたのは、皇帝の一族であるかれさえも、身の危険を感じるようになったからであった。
そのゲールが自死して、運命は変転を重ねたが、その前も後も、コパと方面軍のマインドルフ将軍とは殆ど接点がなく、顔見知りという程度に過ぎない。
それがいきなり『盟友』だの『友誼』だのと歯の浮くような科白を並べられ、普通ならば警戒するべきところ、コパは全面的な協力を約束したのである。
マインドルフからの伝令が喜色満面で帰った後、待ちかねたようにドーラがコパを叱りつけた。
「阿呆! 放って置けば敵同士で潰し合うのに、何のために態々こっちから巻き込まれるんじゃ。今からでも遅うない、取り消せ。あ、いや、その必要もないの。知らぬ顔で、これ以上関わるな」
コパは貧相な顔を真っ赤にして激昂した。
「控えおろう! 朕は皇帝であるぞ! 阿呆呼ばわりは無礼千万! ううぬ、チャドス、はもうおらんか、チャロア、この魔女を摘まみ出せ!」
命じられたチャロアが怖気づいて固まっている間に、ドーラの方が啖呵を切った。
「ああ、言われずとも出て行くぞえ! 勝手に自滅するがよいわさ。さらばじゃ!」
その場で宙返りしたドーラは、灰色のコウモリとなって飛び去った。
為す術もなくそれを見送ったチャロアに、コパの怒声が降って来た。
「何をボーッとしておる! 全軍に触れを廻せ! 戦じゃ! 盟友マインドルフを救うのだ!」
「か、畏まりました!」
その場から飛ぼうとして飛べず、チャロアは帽子がないことに気づいた。
が、部下を呼ぶのももどかしいのか、荷物を漁って帽子を探している背中に、物が飛んで来た。
「早う行け!」
「あ、はいっ!」
天幕を転び出たチャロアは、自棄糞のように叫んだ。
「総員戦闘配置に着け! 敵軍の襲来に備えよ!」
チャロアを元宰相のチャドスだと思っている兵士たちは、騒然となった。
宰相自らがそう言う以上、愈々ゲーリッヒが本気になり、大軍勢で攻めて来るとの虚報が、アッという間に広まった。
目端の利く者は、奪った財宝を抱えて、続々と逃げ出した。
その頃、全力でツァラト軍の追跡から逃げているマインドルフの許に、コパ軍へ行った伝令が戻って来た。
伝令は馬首を巡らし、マインドルフと並行して走りながら、大声で報告した。
「コパ陛下は、わが軍に全面的に協力すると、お約束されました!」
「陛下?」
馬の速度を緩めずにマインドルフは首を傾げたが、すぐに伝令を労った。
「ご苦労。後方に下がって休め」
「はっ!」
伝令が離れるのと入れ違いに、腹心の部下らしい男が笑顔で馬を寄せて来た。
「宜しゅうございましたな! これでツァラト軍とほぼ互角、いや、それ以上になりまする。われらも真っ直ぐにコパ将軍のいる城を目指し、早々に合流いたしましょう!」
が、マインドルフは首を振った。
「真っ直ぐではない。直前で城を迂回する」
想定外の返事に部下は馬を止めそうになり、慌てて追いついた。
「そ、それは何故でござりますか?」
マインドルフは苦々しそうに顔を顰めた。
「信用できんからだ! コパの軍勢は、謂わば雑魚の集まり。たとえコパ本人は騙せても、末端まで味方になるとは思えん。うかうかと信じて近づけば、思わぬ怪我をするぞ。そうではなく、わが軍が逃げるための盾とするのだ」
部下は顔色を変えた。
「ですが、それでは信義が」
「そんなものいらん! この先ずっとコパの阿呆のご機嫌を伺い続けるなど、真っ平だ。一旦国外へ逃れ、再起を図る!」
部下は黙った。
これ以上反論すれば、自分の身が危うくなるからだ。
逆に、マインドルフが念を押した。
「今の話、直前まで他言無用!」
「御意!」
そのマインドルフを追うツァラトは焦っていた。
三万のマインドルフ軍を五万の軍で待ち伏せし、必勝の態勢をとったつもりだった。
万が一マインドルフが逃げるとしても、領国のある東の方だろうとみて、多少の伏兵すら配置していた。
「西へ逃げるとは……」
馬を走らせながらも、ツァラトの脳裏には怒り狂ったゲーリッヒの顔が明滅している。
と、人の気配を感じて横を見ると、ヌルチェンの顔があった。
ツァラトの馬と同じ速度で飛んでいるのだ。
ギョッとして落馬しそうになるのを辛うじて堪え、ツァラトは文句を言った。
「驚くではないか! 今は忙しいのだ。つまらぬ用事なら後にしろ!」
ヌルチェンは冷たく笑った。
「大事な用に決っているでしょう。この際ですから、コパ軍も一緒に始末してください。ゴンザレス将軍も、少し遅れるでしょうがザネンコフ将軍も、それぞれ一万五千ずつ率いて来ますよ。この一戦で、ゲーリッヒ陛下の覇権を確立するのです!」