809 ガルマニア帝国の興亡(51)
再三に亙る援軍要請を断り続けているザネンコフ将軍に、皇帝ゲーリッヒの特別補佐官となったヌルチェンがその理由を訊いた。
自分を臆病呼ばわりするヌルチェンに腹を立てたザネンコフは、顔色を変えて答えた。
「理由はおまえだ、小僧。おまえは、チャドスと同じ佞臣の臭いがする。わが帝国が本当に恐れるべき相手は、マインドルフではなく、おまえの方だ!」
ヌルチェンは怒らず、お道化たように笑った。
「チャドスと同じマオール人だからといって、佞臣と決めつけるのは偏見というものです。まあ、あなたは正直なお方のようですから、わたしも正直に申しましょう。実際、戦闘はもう始まっているでしょうし、どうしてもあなたの援軍が必要な訳ではありません。これは、ゲーリッヒ陛下のお心遣いなのです」
ザネンコフは鼻に皺を寄せた。
「憐れみか!」
ヌルチェンは形の良い眉を両方上げ、仕方なく大人を窘める子供という体で話し始めた。
そう一々悪く取らないでください。
ゲーリッヒ陛下がご即位された際、八方面将軍全てに旧来の主従関係を復活させるとお約束なさいました。
その際、真っ先に手を挙げたのがマインドルフ将軍です。
かれを嫌っているあなたを含めた三人の将軍が、帝都ゲオグストへの上洛を拒否した時点で、本来なら関係は破綻しています。
ですが、お優しい陛下は、いつでも戻って来いと仰ったのです。
今回、図らずもそのマインドルフ将軍が謀叛を企てましたが、それで困ったからといって、あなた方三人に縋っている訳ではありませんよ。
まあ、尤も、ヒューイ将軍はあまりに自分本位な行動があり、わたくしが成敗いたしましたが。
それはともかく、陛下の下にはツァラト将軍も、他の四将軍もおられ、マインドルフ一人を倒すことぐらい何でもありません。
それを敢えて、陛下がゴンザレス将軍やあなたにまでお声を掛けられるのは、それこそチャドスの時代が終わったことを全国民に知らしめるためなのです。
チャドスが宰相であった頃のガルマニア帝国は、完全な分断国家でした。
皇帝を詐称していたゲルカッツェ皇子は、全く政治を顧みず、酒色に明け暮れており、それをよいことに、チャドスが国家を壟断しておりました。
八方面将軍たちも、縛めを解かれた野獣のように自由気儘に占領地を領国化し、半ば独立国となっていました。
陛下はこれを憂い、父君の建国された大帝国を復活させたいと望んでおられるのです。
わたくしのような若輩者が補佐役ではご不満でしょうが、何卒陛下のご心中をお汲み取りいただけませんでしょうか?
聞き終えたザネンコフは項垂れ、掠れたような小さな声で「畏まった」と応えた。
チャドスから子供のようだと評されたザネンコフは、本当の子供であるヌルチェンの弁舌に敵わなかったのである。
ヌルチェンは満足そうに微笑んだ。
「それは重畳。具体的な援軍の方法につきましては、一切お任せいたします。わたくしは一刻も早く帝都へ戻り、陛下に吉報をお伝えいたします。それでは」
ヌルチェンが去った後、ザネンコフは剣を持ち、かれが立っていた辺りの空気を二三回斬った。
「クソ生意気な小僧め!」
それで気が済んだのか、大きく息を吐くと部下を呼んだ。
「これより出陣する! 規模は一万五千! 目指す敵はマインドルフだ!」
一方、そのマインドルフ軍が向かっているヒューイの城では、死んだチャドスの衣装を着たチャロアが、コパのいる本営の天幕に駆け込んで来た。
「申し上げます、申し上げます! 配下の者より報告が入りました! マインドルフ将軍率いる三万の軍勢が、凄まじい勢いでこちらに向かって来ております!」
「落ち着け。それではチャドスに見えぬぞえ」
そう言ったのは勿論ドーラである。
コパ本人は蒼褪めた顔で、「マインドルフが……」と呟いている。
ドーラは舌打ちした。
「これこれ。そうビビるな。こっちは五万で城もあるのじゃ。それに、攻めて来るとは限らん。案外、謀叛がバレて逃げて来たのではないかのう」
呆然としたままのコパの代わりに、ドーラがチャロアに命じた。
「もっと遠くまで調べさせよ、チャロア。おっと、チャドス閣下、であったな」
ドーラの皮肉に反発する余裕もなく、頷いて引き返そうとするチャロアの前に、部下の東方魔道師が飛び込んで来た。
「マインドルフ軍三万を追うように、凡そ倍の軍勢が迫っております! 率いているのは、赤髭将軍ツァラトのようです!」
コパは「ツァラトもか……」と言ったきり、固まっている。
ドーラが苛立って叫んだ。
「まだ敵か味方かわからんぞえ! わたしが確かめて来るから、おまえたちは兵士が動揺せぬように、どっしりと構えておれ!」
が、ドーラが調べに行くまでもなく、マインドルフからの伝令が早馬で駆けて来たのである。
「コパ将軍は何処におわすや! 盟友マインドルフ将軍よりの火急の知らせにございまする!」
それが聞こえたドーラは、「盟友か」と苦笑しながら外へ出て、「こっちじゃ!」と呼んだ。
伝令は馬から飛び下り、本営の天幕に入るなり、まだ残っていたチャロアの前で片膝を着いた。
「コパ将軍閣下! ご尊顔を拝し」
チャロアは慌てて手を振った。
「わしではない! それにコパ陛下は既にご即位されておる!」
奥に座っていたコパ本人はそれどころではなく、伝令を手招きした。
「苦しゅうない、近う寄れ! 儀礼も不要! 早う用件を申せ!」
「はっ!」
伝令は改めてコパの前で片膝を着き、言上した。
わが主人マインドルフは、皇帝陛下よりあらぬ疑いをかけられ、謀叛人として追討を受けておりまする!
身の潔白を証明する機会すら与えられず、正に逆賊の扱い!
事ここに至っては、生き延びるため戦うことも已む無しと覚悟いたしました!
つきましては、予てよりのご友誼により、コパ将軍、あ、いえ、コパ陛下のお力添えを賜りたく、伏してお願い申し上げまする!
言葉どおりに平伏した伝令に感激したコパは、貧相な顎髭を震わせて応えた。
「相わかった! 朕は全面的にマインドルフの味方であるぞよ!」
その横でチャロアは唖然とし、ドーラは苦々しそうに顔を顰め、小声で「安請け合いするな、阿呆!」と吐き捨てた。




