807 ガルマニア帝国の興亡(49)
(作者註)
少し残酷な描写があります。苦手な方は、この部分を飛ばしていただいても、話が続くようにいたします。
「な、何の音だ?」
コパが尋ねた時には、既にドーラとチャロアは天幕の外に飛び出していた。
「ああああっ!」
悲鳴のような声を上げたのはチャロアの方である。
ドーラは苦々しい顔で、「やられたのう」と呟くと、茫然自失状態のチャロアに厳しい声で命じた。
「おまえの部下たちを集めて、兵士たちがここへ近づかぬよう手配せよ! 今すぐじゃ!」
「わ、わかったっ!」
チャロアが飛び去るのと入れ違いに、天幕からコパが出て来た。
「おい、ちゃんと朕に報告せぬか。いったい、何が……」
下を向いたコパの目が、飛び出しそうに見開かれた。
空から落ちて来たらしい人間の身体が、地面に横たわっている。
「チャ、チャドスか?」
仕方なさそうに、ドーラが答えた。
「そのようじゃな」
「死んでいるのか?」
ドーラは肩を竦めた。
「胴体は俯せじゃが、顔は上を向いておる。これで生きておったら化け物ぞえ。人でなしではあったが、一応、人間ではあろうから、死んでおるさ」
「誰に殺されたのだ?」
ドーラは苛立った顔でコパを睨んだ。
「一々聞くな。少しは自分で考えよ。このようなことができる人間は魔道師しかおらぬ。そして今、敵対しておる魔道師でこれ程のことができるのは、あの坊やだけさ」
「坊や?」
「身分を偽って中原にやって来たマオールの九男坊、ヌルチェンさ。最初は可哀想な子供のフリをしておったが、愈々魔族の本性を露わにしてきたのう」
「マギア族?」
「ああ、もう、うるさいわ! そんなことはどうでもよい! 問題は、これをどう処理するかじゃ。変な噂が立てば士気に影響する。また脱走兵が出ては困るであろう? 考えるから、暫く静かにせよ」
コパが何か言い返そうとしたところへ、蒼褪めた顔をしたチャロアが戻って来た。
「あ、陛下。ええ、一応、この天幕の方へは誰も近づけぬよう厳重に結界を張らせ、念のため残りの部下たちには、周辺の警戒に当たらせておりまする」
形としては皇帝たるコパへの報告だが、チャロアの視線は縋るようにドーラを見ている。
その視線がウザそうに顔を顰めていたドーラは、ハッとしてチャロアを見返した。
「おお、そうか。やはり同じ一族だから似ておるな。遠目ならわからぬであろう」
その意味がわかったらしいチャロアは、イヤイヤをする子供のように首を振った。
「無理だ! わたしにはとても宰相閣下の身代わりなど務まらぬ。勘弁してくれ」
ドーラが、腹立たしそうに舌打ちした。
「阿呆! 実務などせずともよい。ともかく、兵士たちが動揺せぬよう、影武者が必要なのじゃ。幸い、おまえの見た目なら、服さえ替えれば誤魔化せる。実際の仕事は、わたしに任せよ。おっと」
ドーラは作り笑顔で、態とらしくコパに念を押した。
「それで宜しゅうございますかのう、陛下?」
コパはずっと目を白黒させていたが、漸く重々しく頷いた。
「うむ。よきに計らえ」
ドーラたちがなんとかチャドスの死を隠そうと悪戦苦闘している頃、自分の野心をあからさまにしようとしている男がいた。
マインドルフ将軍である。
ヒューイ軍と分かれた後、マインドルフ軍は将軍の馬の足取りに合わせて次第に行軍速度が遅くなり、遂に停止してしまった。
兵士たちがザワつく中、意を決したマインドルフが一段高い場所に馬で駆け上がり、全軍に響き渡るような大音声で告げたのである。
これより反転し、帝都ゲオグストへ向かって急行する!
直前で一旦夜営し、夜明けと共にゲオグストに攻め込み、一気に皇帝宮を落とすのだ!
言って置くが、これは謀叛には非ず!
何故なら、ゲーリッヒがゲルカッツェを追い出し、強引に皇位を奪ったやり方と同じだからだ!
一番強い者が皇帝となる、これがガルマニア帝国の在り方ではないか!
いや、それが、この中原東北部の宿命でもあるのだ!
かつて先帝ゲールの侵攻なかりせば、この地域は、間違いなくおれのものになっていたはずだ!
そのゲールがいなくなった今、間違った歴史を元に戻さねばならん!
これは歴史の必然だ!
天命なのだ!
いや、おれは自らに誓おう、ゲーリッヒを倒し皇帝になると!
そして、おまえたちにも誓う、相応の褒賞を与えた後、特に優れた者は諸侯に取り立て、新たな帝国の礎とすることを!
さあ、共にゲオグストへ向かおうぞ!
新たな歴史の幕を開けるのだ!
薄々自分たちの将軍の野心を察していたであろう兵士たちは、「おおっ!」と応えたものの、その声は意外に小さかった。
とても成功の見込みはないと思っているのだ。
そこで、マインドルは、更に声を張り上げた。
「心配するな! ゲオグストには、二千名程度の衛兵しか残っておらぬ! しかも、ジョレ、ポーマ、リンドル、ハリスの四将軍とは、わが軍がゲオグストに攻め込んだ際には、必ず内応するとの約束を交わしている!」
勿論、嘘であった。
内応どころか、実際には、既に全員ゲーリッヒ側に付いていた。
マインドルフもそこまでは知らないが、四将軍に関しては風向き次第であろうとは見ていた。
多少の迷いはあっても、自分さえ痛烈に勝って見せれば、犬の仔のように懐いてくるはずと考え、商人上がりのこの男は、先物を売ったのである。
そして、その効果は絶大であった。
三万の軍勢は一気に戦意を高揚させ、大地を揺るがすような雄叫びを上げると、反転して道を戻り始めた。
が、マインドルフ軍はそこから少し南下したところで、地平線を埋め尽くすような大軍勢に遭遇することになったのである。




