799 ガルマニア帝国の興亡(41)
皇帝ゲーリッヒからの使者が来たと聞いて、ゴンザレス将軍は焦った。
一先ず女たちを全員退出させ、首を捻った。
「どういう態度で臨むべきかな?」
マインドルフ将軍が嫌いで誘いに乗らなかったとはいえ、ゲーリッヒ個人には悪い感情は持っていない。
寧ろ、ゲルカッツェよりは余程マシだと思っていた。
が、如何にも時機が悪い。
ホンの今し方、ゲーリッヒと対立する皇帝コパの黒幕である元宰相チャドスと密約を交わしたばかりである。
「順序が逆なら良かったが、まあ、条件次第だな」
そう独り言ちているところへ、使者が通された。
相手を見たゴンザレスは唖然として、言葉もでない。
使者はマオール人のようであったが、ガルマニア帝国の文官の正装を身に着けており、そこに問題はない。
が、顔が若い。
いや、幼いとさえ見える。
ゴンザレスは思わず尋ねた。
「おぬし、幾つだ?」
「十三歳でございます」
「子供ではないか!」
無礼な言い方に、使者は威儀を正した。
「お控えなされ。たとえ子供であっても勅使でありまするぞ」
こういう反応は予期していたらしく、懐から御璽の入った書面を出して見せた。
ゴンザレスは慌てて椅子から飛び降り、「どうぞ!」と相手に勧めると、自分は床に片膝を着いた。
その状態でも、使者と頭の高さがあまり変わらないため、グッと俯いた。
使者は当然のように座り、微笑みながら名乗った。
「わたくしはヌルチェンと申します。この度、皇帝特別補佐官を拝命いたしました。ついでに申し上げるなら、わたくしはマオール帝国皇帝ヌルギス陛下の第九皇子であり、母国を裏切ったチャ一族の追討も担当いたしております」
「チャ一族? あ、ああ、チャドスやチャロアの」
ヌルチェンの形のいい眉が、片方だけクイッと上がった。
「ほう? お親しいのですか?」
「あ、いえ、全然!」
ゴンザレスは完全に気を飲まれ、バタバタと手を振った。
それを面白そうに見ていたヌルチェンは、相手が落ち着くのを待って、持っている書面を差し出した。
「密勅でありますから、声を出さずにお読みくだされ」
「あ、はい!」
ゴンザレスはその姿勢のまま読み始めたが、ガタガタと身体が震え、読み終わった時には、顔面が蒼白になっていた。
「ま、真でございましょうか?」
ヌルチェンは笑顔のまま、「お読みになったとおりです」とのみ答えた。
ゴンザレスは荒い息を吐いていたが、顔に血の気が戻ると共に、喜びが溢れるような笑顔になった。
「ああ、これぞ夢にまで見たこと! 陛下には、畏まりましたと、お伝えくだされ!」
自分の去った後、そのようなことが起こっているなどとは知らず、ゴンザレスの反応に気を良くしたチャドスは上機嫌で、遥か北のザネンコフの砦のある小高い丘を訪れていた。
高低差の少ない中原東北部でも、ここまで来ると丘陵地帯となり、壁のように高峰が連なるベルギス大山脈が遠望できる。
「ううっ、寒いな!」
ドーラと同じように文句を言いながら、息を切らして石段を一歩ずつ上って行く。
少しでもザネンコフへの印象を良くしようというつもりかもしれないが、その苦しげな顔では逆効果でしかないであろう。
やがて石造りの堅牢そうな砦が見えて来た。
城壁の上で多数の見張り役の衛兵が警戒しているため、すぐに誰何された。
「何者だ!」
息が切れて大声では喋れないチャドスの代わりに、護衛の東方魔道師たちが隠形を解いて返事をした。
「ガルマニア帝国宰相チャドス閣下であらせられる。ザネンコフ将軍にお取次ぎ願う!」
衛兵たちが慌ただしく動くのを眺めながら、チャドスは少し不安そうに、「まさか門前払いはするまいが」と呟いた。
待つ程もなく門が開いたが、出迎えに来たのは衛兵だけで、しかも、「宰相閣下お一人にて、お願いいたします」と告げた。
東方魔道師たちが騒然となったが、チャドスは「ここで待っておれ」と命じ、一人で門を潜った。
中に入ると、庭で半裸の男たちが木剣で素振りなどをしているのが見えた。
その中にあって、一人だけ変わった形の黒い胴着を身に着けている男が、こちらに歩き出した。
見事な銀髪であるが、老人という年齢ではなく、壮年という言葉が相応しい。
鋭い目つきのまま、口元だけで笑顔を作り、チャドスに挨拶した。
「このような片田舎にご足労いただき、恐縮いたしまする、閣下」
チャドスも屈託のない笑顔を装った。
「なんのなんの。日頃の鍛錬不足で息を切らしたが、わしも若い頃はマオール流の拳法を嗜んでおった。将軍のように生涯現役とはいかないまでも、肖りたいものと思うておる。が、今日来たのは、もっと俗な用事でな」
ザネンコフは、スッと笑顔を消した。
「せっかくのお越しだが、援軍はお断りいたす」
チャドスは猶も笑顔であったが、目は笑っていない。
「まだ何も申しておらんのに、そう先回りするな。それに立ち話では、さすがにちとしんどい」
「ならば、床几を用意させましょう」
室内に入れると思ったチャドスはガッカリしたようだが、これは逆に、閉じ込めたりするつもりはないという、ザネンコフの気遣いであろう。
その証拠に、まだ門は開いたままで、外で待つ東方魔道師たちから見える位置に床几が並べられた。
チャドスも座ってから、「成程」と頷き、少し表情を和らげた。
「援軍を断る理由を教えてくれぬか?」
ザネンコフは、真っ直ぐにチャドスを見た。
「理由は、あなたです」
チャドスは苦笑した。
「ゴンザレスにも同じことを言われたよ。マインドルフは嫌いだが、わしはそれ以上だとな。が、今は国難の時だ。個人的な好悪は抜きに考えてくれ。ゲーリッヒとコパ陛下と、どちらが皇帝に相応しいか、をな」
ザネンコフは首を振った。
「どちらも相応しくないと、わしは思っております」
「ほう? では、ゲルカッツェか? おお、そうか、ゲルヌだな」
「いいえ。この世に皇帝として相応しいお方は、唯お一人。ゲール陛下のみです」
チャドスは顔を顰めた。
「そんなことを言っても、ゲール陛下はもうおられぬぞ」
ザネンコフの表情が変わった。
「そうです。そしてその原因は、チャドス閣下、あなたでしょう?」