795 ガルマニア帝国の興亡(37)
チャドスの援軍要請に対し、ゾイアは自分が行こうと申し出た。
チャドスは目を細め、心の中まで見透かすようにゾイアの顔を見ていたが、フッと笑った。
「わしはロム長官に話しておるのだ。余計な茶々を入れるのは止めてくれぬか」
が、ゾイアも笑顔で返した。
「いや。別に冗談で言っている訳ではない。自慢するつもりはないが、われ一人で数千人ぐらいの戦力となるぞ」
チャドスの顔色が変わった。
「冗談でないなら、頭がおかしいのか! コパさまの率いる五万の軍と、つい先日までギルマンで戦ったであろう! おまえを恨んでいる兵士が大勢おるのだ!」
半分は嘘であった。
兵士たちの大半は、恨むよりも、ゾイアを怖れる気持ちの方が強い。
ゾイアが来れば、逃亡兵が多数出るのは間違いなく、確実に士気が下がる。
軍事に疎いチャドスにも、それくらいのことはわかった。
が、断わられたゾイアは、逆にそういう機微がわからないのか、意外そうな顔をしている。
「そこはわれから説明しよう。敵味方の関係は、常に相対的なものだ。現に、われはギルマンでは蛮族と共に戦ったぞ」
「それとこれとは話が別だ! ああ、もう、おまえは少し黙っておれ! わしはロム長官の意見が聞きたいのだ!」
二人のやり取りを横で聞いていたロムは明快に答えた。
「最初にゾイアどのが言われたとおりです。現在のリベラに、他国へ援軍を送るような余裕はありません。本来の住民以上の難民を引き受けたため、都市としての機能が麻痺寸前なのです。宰相閣下の仰る将来の危険に備えるどころか、明日どうなるのかもわかりません。よって、援軍の儀は、お断りさせていただきます」
チャドスはスッと冷めた顔になり、捨て科白のように告げた。
「後悔なさるぞ」
そのまま立ち去ろうとするチャドスの背中に、ゾイアが「われで良ければ、いつでも言ってくれ」と声を掛けたが、それには返事をしなかった。
一方、バロード西北端の廃屋では、息子の死を知らされた白髪の老婆姿のドーラが、虚ろだった目をカッと見開いた。
「死んだ、のか?」
「はい。安らかな最期でしたよ」
「そうか……」
開かれたままのドーラの両目から、ツーッと涙が流れ落ちた。
一気に記憶が戻って暴れ出すのではないかと、身構えていたクジュケが拍子抜けする程、ドーラは静かに呟いた。
「ここで待っておれば、いつか息子と会えるのではないかと、そういう気がしておった。だが、死んだのであれば、もう無駄じゃな。いっそ、あのまま河に沈んでしまえばよかったものを。わが子より長く生きたとて、何になろう!」
ドーラの涙は止まらず、次第に嗚咽する声も混じった。
どう慰めたらよいのか、クジュケが途方に暮れていると、背後から「お祖母さま!」という声がした。
振り向くと、焦って飛んで来たらしいウルスラ王女の姿があった。
クジュケは、しまった、という顔になった。
「あっ、お待ちください!」
止める間もなく、ウルスラはドーラに抱きつき、声を上げて泣きじゃくった。
ドーラはどうしていいのかわからぬようで、暫く呆然としていたが、おずおずとウルスラの背中を撫でた。
クジュケは、二人が落ち着くのを辛抱強く待ち、泣き止んだウルスラが少し恥ずかしそうに顔を上げたところで、話しかけた。
「よくここがわかりましたね」
「ラミアンの机の上を見たのよ」
クジュケは、最初に報告を受けたラミアンの走り書きを見て、すぐに跳躍したため、紙をそのまま置いて来てしまったのだ。
「おお、わたくしとしたことが、迂闊でした」
「ううん、お蔭でこうしてお祖母さまに会えたんだもの」
嬉しそうに話すウルスラを見て、ドーラは首を傾げた。
「孫、なのか?」
「ええ、そうよ」
「名前は?」
クジュケが、「あっ、それはまだ!」と言ったが、遅かった。
「ウルスラですわ!」
次の瞬間。
萎びたようであったドーラの顔がみるみる若返り、曲がった背筋がピンと伸び、白髪は艶めいた銀髪に変わった。
その美しい顔には、魔女のような微笑みが甦っている。
ウルスラは急いで逃げようとしたが、その細い腕は、既にガッチリとドーラに掴まれていた。
「ああっ、離して!」
「おっと、久しぶりではないか、ウルスラ。そう邪険にするでない。どんなにおまえに会いたかったことか。さあさあ、早速じゃが、わたしの聖剣をどこに隠したのか、教えてもらおうか!」
その頃、皇帝ゲーリッヒから泡の出る珍しい葡萄酒を振る舞われた、マインドルフ・ヒューイ両将軍は重大な策戦変更を命じられていた。
三人が居る宿坊内外の厳重な警備をヌルチェンら親衛魔道師隊に指示すると、ゲーリッヒは声を潜めた。
いいか、おめえたち。
これから言うのは秘密の策戦だ。
兵士たちにも、ギリギリまで知らせるな。
おめえたちの率いる三万ずつの軍が目指すのは、ヒューイの城じゃねえ。
ヒューイにゃ悪いが、あんなもんに戦略的な価値なんかねえ。
援軍なしで、城が何日保つか聞いたのは、そういう意味だ。
ああ、わかってるさ。
最終的には取り返してやるし、それは難しいことじゃない。
が、それを簡単に行うには、条件がある。
それは、先にゴンザレスとザネンコフを潰すことだ。
この二人の砦がある限り、挟み撃ちにされる虞がある。
だから、先に潰す。
が、気づかれて先にヒューイの城を囲むコパの軍勢と合流されちゃあ、何にもならねえ。
真っ直ぐ行くと見せかけて、途中で二手に分かれろ。
そうだな。
マインドルフはザネンコフ、ヒューイはゴンザレス、がいいだろう。
いいな、絶対に気づかれるなよ!
二人の将軍は酔いも醒め、黙って頷いた。