793 ガルマニア帝国の興亡(35)
その頃、自由都市リベラは都市機能の限界を迎えつつあった。
今しも市政長官のロムは、相談相手でもあるゾイアの前で頭を抱えていた。
ロムも小柄ではないのだが、やはりゾイアと向かい合って座ると、二回りぐらいは体格差がある。
因みに、ゾイアの方から頼み、ロムも対等の言葉遣いで話すようになっている。
「正直、もう無理なんだ。リベラだけでも、受け入れているギルマン難民は既に一万名を超えている。食糧も水も足りない。特に水は深刻だ。井戸が枯れてしまえば、せっかく復活させたこの都市が、また廃市に戻ってしまう」
ゾイアも困惑の表情で天井を見上げた。
「すまぬ。われもこれ程説得が難航するとは思わなかった。言葉を尽くしても、かれらの中にある蛮族に対する恐怖と嫌悪が拭えないのだ」
このような状況だが、ロムは思わず苦笑した。
「それはわたしも同じだよ、ゾイア。いや、ギルマンの人々以上かもしれん。実際、バロードは異民族支配を受け、蛮族の乱暴狼藉も目の前で見た。心を入れ替えましたと言われても、俄かには信じられない」
元々バロードの軍人であったロムは、王政復古したカルス王が蛮族の横暴を黙認していることに反発して、『自由の風』という反政府活動を主導し、遂には母国を離れて自由都市リベラを創ったのである。
その間、共に戦って来たゾイアも深く頷いた。
「われとて蛮族とはずっと敵対関係にあった。しかし、ガルマニア帝国という巨大な敵と果敢に戦う姿を間近に見て、認識を改めたのだ。それを見ていないギルマンの人々に、言葉だけで伝えることは難しい。尤も、ローラと話し合ったアンヌが変わったように、直接の触れあいがあれば、もう少し変化すると思うのだが」
「うむ。先王の遺児とはいえ、アンヌはよくやってくれている。一緒にいるゲルニアもだが、難民たちの不満が爆発せぬよう、同時にリベラの住民と無用の摩擦を起こさぬよう、上手く調整している。それがなければ、とっくに破綻しているだろう」
「われも感心している。アンヌは無論だが、ゲルニアが生き生きと働いている姿に、ふと胸を打たれる時がある」
珍しく感傷的な言い方をするゾイアを、ロムは、ハッとしたように見た。
人間ならざる存在として、いや、そうであるが故に人間に尽くそうとする擬体のゲルニアに、自分の姿を重ねているのであろう。
が、二人が感傷に浸る間もなく、副官のフォルスが来客を告げに来た。
「ほう、誰だ?」
尋ねるロムに、フォルスは生真面目に答えた。
「お名前は仰いませんが、ガルマニア帝国を代表して長官にご相談がある、と言われております」
ロムはゾイアと顔を見合わせた。
「誰だと思う、ゾイア?」
直接それには答えず、ゾイアはフォルスに聞いた。
「ガルマニア人か?」
「いえ、それが、見たところ、マオール人のようで」
ゾイアは、「うーむ」と唸った。
察しがついたらしいロムも、驚いた顔になった。
「どちらだろう?」
それにはゾイアが答えた。
「帝国を代表してと言うのなら、宰相の方だろう。どうする?」
「どちらにせよ、会わぬ訳にはいかんだろうな。フォルス、お通ししろ」
「はっ!」
フォルスが部屋を出て行くと、ゾイアは小声でロムに聞いた。
「われは席を外そうか?」
「いや、頼むから居てくれ。『陰謀が服を着て歩いている男』と一対一で会うのは、さすがに不安だ」
そう話し合う間に、フォルスが相手を連れて来た。
「お初にお目にかかる、ロム長官。わしは、ガルマニア帝国宰相のチャドス……」
気味の悪くなるような笑顔でそこまで言ったところで、チャドスの細い目がいっぱいに見開かれた。
「……おまえが、どうして、ここにいるのだ?」
ゾイアが答える前に、ロムが社交的な笑顔で紹介した。
「ゾイアどのには、わたしの個人的メンターとして色々助言をいただいております。特に、外交についてはわたしは素人ですから、外国の要人とお会いするのに失礼がないよう、同席をお願いしたのですよ」
チャドスは、どうするのが自分にとって得か真顔で考えていたが、すぐに最初の笑顔に戻した。
「おお、これは羨ましい。わが国にも是非ご助言いただきたいものだ。それはさて措き、ロム長官、今、少しお時間を拝借してもよろしいかな?」
ロムは、チラリとゾイアに視線を走らせてから、笑顔で頷いた。
「無論です。隣の会議室でお話しいたしましょう」
フォルスに案内されて隣の部屋に行こうとするチャドスの背中に、ゾイアが声を掛けた。
「お連れの方々は、部屋の外で待っていただこうか」
振り向いたチャドスは嫌な顔をしたが、見えない連れに「言われたとおりにせよ」と命じた。
ロムには何がどうなっているのかわからなかったようだが、ゾイアが、「いいだろう」と言うのを聞いて、安心したように会議室に入った。
ロムがゾイアを伴ってチャドスと会談を始めようとしている頃、その母国バロードでは、束の間の平和を享受していた。
但し、双王宮の統領室では、滞っていた租税の処理で大忙しであった。
「そんでも、皇帝一家が出て行ってくれて、助かっただあね」
事務作業の手を止めてそう言ったのは、秘書官のシャンロウである。
先日、亡命を希望してバロードに来たゲルカッツェとレナ親子が、魔道屋スルージの紹介で別の場所に移動したことを、不意に思い出したらしい。
上司であるクジュケは書類に目を落としたまま「そうですね」と応えて、ふと、目を上げた。
「ん? ラミアンの姿が見えませんね」
もう一人の秘書官であるラミアンが、席にいないことに気づいたのだ。
シャンロウが「やっぱり聞こえてなかっただね」と笑った。
「はあ? ラミアンは、何か言ってましたっけ?」
「コンスルは『よいぞ』って答えたけんど、上の空だったもんねえ。お化けが出たって話を、確かめに行くって言ってただよ」
「お化け?」
「んだよ。バロードの端っこの方の廃村に、白髪のお婆さんのお化けが出たんだと。フラフラ空を飛んだり、掌から波動を出したりするらしいから、魔女かもしんねえけど」
クジュケの顔色が変わった。
「まさか、とは思いますが。シャンロウ、場所を教えてください。わたくしが行って確かめます!」