785 ガルマニア帝国の興亡(27)
なんとかギルマンの人々とも共存したいと話すローラに、ゲルヌは、同体の弟ローランドの意見はどうかと尋ねた。
「ぼくは絶対反対だ! ローラのやろうとしていること全てに!」
更に言い募ろうとするローランドの顔が上下し、瞳の色が茶色に戻った。
その瞳から一粒の涙を零しながらも、ローラは微笑んで見せた。
「あなたが去った日から、ずっとこうなのよ。だから、申し訳ないけど、表面に出さないよう気をつけているわ」
「そうか。それはすまなかった。しかし、不思議だな」
「え、何が?」
ゲルヌは思い出そうとするように、空を見上げた。
「ウルスとウルスラは、割と自由に人格を交替していたように思う。どちらかが主導権を執るということも、あまりなかった気がするが」
ローラは涙を拭い、今度は本当の笑顔となった。
「ああ、それはそうでしょうね。王子と王女は生まれた時から共存していた訳だから。わたしはギルマンに来るまで、自分の中に別の人格が居るなんて、想像もしていなかった。だから、最初はとても驚いたの。でも、同時に魔道が使えるようになり、ああ、自分も両性族なんだと納得できた。でも、ずっと一人として生きて来たから、どうしてもわたしの方が人格が強いみたい」
「そうか。ゾイアがこのギルマンは非常に特殊な場所だと言っていたから、それが眠っていた能力や人格を引き出したのだろう。案外、ギルマンを離れたら、元に戻るかもしれないな」
ローラは少し困惑した顔になった。
「それは、ちょっと嫌だわ。いつも意見が合わないけど、ローランドは、今では唯一の家族だもの」
自分も既に両親を亡くしているゲルヌも、身につまされたように頷いた。
「成程。これは、わたし自身も含めての話だが、他国や他民族との共存を考える前に、家族と共に生きることから始めるべきなのだろうな」
そのゲルヌと共に生きることを互いに拒絶し合っていた次兄ゲルカッツェは、愛人のレナとレウス王子を連れ、霊癒族の隠れ里に来ていた。
三人と、新しく生まれて来る子供のために与えられた部屋は、やや手狭ではあったが、清潔感に溢れていた。
「わあ。なんだか落ち着くね。空気まで美味しいよ」
子供のように燥ぐゲルカッツェを見て、レナは苦笑していたが、ふと、腕に抱いていたレウスがレイチェルに代わり、部屋の奥の一点を見つめているのに気づいた。
「え? 誰かいるの?」
と、空気がユラリと揺れ、中原風の魔道師が姿を現した。
「畏れ入ります。すっかり隠形に自信を失くしました」
特徴のない顔で苦笑する相手を見て、ゲルカッツェの方が裏返った声を上げた。
「カールじゃないか! おまえ、今は誰の味方?」
カールは両手を広げ、少しお道化て見せた。
「おお、わたくしは皇帝家付きの魔道師です。ゲール陛下亡き後、そのご遺言により、三人のご兄弟に平等にお仕えしているつもりです。尤も、ゲーリッヒさまとは色々とございまして、現在、少々距離を置かせていただいておりますが」
ゲルカッツェは猶も問い詰めた。
「じゃあ、ゲルヌの味方?」
カールは笑みを消し、真っ直ぐにゲルカッツェの顔を見て、答えた。
「つい先日までは、そうであったかもしれません。が、意見が合わないことがあり、今は離れております」
「喧嘩したの?」
少し嬉しそうに言うゲルカッツェに、カールはゆっくり首を振って見せた。
「いいえ。ただ、意見が合わなかったのは、あなたさまのことです」
「えっ、ぼく?」
ゲルカッツェに任せていては埒が明かないと思ったらしく、スッとレナが前に出た。
「遠回しに言わず、ハッキリと申せ」
レナというより、その腕の中のレイチェルを見つめながら、カールは応えた。
「わたくしは、ゲール陛下より命ぜられております。たとえ跡目争いがあっても、ご兄弟の一人も死なせぬように、と。よって、ゲルカッツェさまが、ゲーリッヒさまやゲルヌさまに殺害命令を出された際には、お二人をお護りいたしました。逆のお立場になられた以上、この度はゲルカッツェさまを全力でお助けする所存でございます」
「ぼく、殺害命令なんか出したっけ?」
無邪気に聞くゲルカッツェを無視し、レナは静かに告げた。
「役目、ご苦労。少なくとも、わたしが無事に皇子を産むまで、われら三人を護っておくれ」
「ははーっ!」
そして、もう一人の兄弟であるゲーリッヒは、愛妾のミラから嬉しい報告を受けていた。
「でかした! 今度こそ間違いねえ! その子は未来の皇帝だぜ!」
ミラは頬を染めながらも、笑い出した。
「やだよ。まだ男の子か女の子か、わかんないわ」
「そうか。そうだな。まあ、いずれにせよ、目出度え! こうなったら、早いところ正式に婚礼を挙行して、おめえを皇后にしなきゃな」
ミラは少し真面目な顔になった。
「国が落ち着いてからでいいよ。あんたの従兄が攻めて来そうなんだろ?」
ゲーリッヒは鼻で笑った。
「あんな阿呆、怖くもなんともねえさ。せっかく味方に付けたヒューイと揉めてるらしいぜ。まあ、見てな。おれに逆らうやつらは、全部ブッ潰してやるからよ!」
「おお、頼もしいねえ。あんたにゃ、怖いものなんぞ、無いんだね」
誉めそやすミラを片手で制し、ゲーリッヒは、「いや」と周囲を伺い、声を潜めた。
「一つあるさ。マオール帝国だ」
ミラも声を低くした。
「あの坊やの母国かい?」
「ああ。あの坊や自身がどうであれ、向こうの皇帝の下心は見え見えさ。恩を売って、ガルマニアごと、いや、中原ごと乗っ取る気だ。が、まあ、こっちもそうならねえよう用心しながら、利用できるだけ利用するつもりだがな」
ミラは含み笑いで「悪い男だねえ」と、しなだれかかった。
その肩を抱き寄せ、ゲーリッヒも笑った。
「この世界じゃな、悪くなけりゃ生き残れねえのさ」