782 ガルマニア帝国の興亡(24)
ゲルカッツェらをこのまま王都バロンに残してもいいのではないかと言うウルスラに、クジュケは断固として反対した。
「駄目です!」
本来なら臣下であるクジュケに命令してもいい立場にあるウルスラだが、無理強いせずに、ここは情に訴えた。
「可哀想じゃないの。生まれて来る子に罪はないわ」
クジュケは、グッと歯を食い縛った。
「確かにその子に罪はありません。でも、考えてもご覧なさい。その子はガルマニア帝国の皇位継承権者になるのですよ。ゲーリッヒさまが放って置くはずがありません。それに、レナさまが無事にその子を出産されても、レウス王子はまだ乳飲み子です。そのお世話を、ゲルカッツェさまお一人にお任せすると仰るのですか?」
「だから、乳母を付けてあげれば」
皆まで言わせず、クジュケは首を振った。
「無理です。今の王宮には適任者がおりませんから、新たに雇うことになります。とても秘密が保てません。それに、今回は何とかなりましたが、本当にレウス王子がご病気になった時、どうなさいます? わたくしもうっかり王宮に出入りする医師や薬師に診せればよいとラミアンに申しましたが、かれらも王宮専属ではありませんから、そこから情報が漏れる虞もございます」
反論できず、ウルスラは唇を噛んだ。
と、スルージが、「ああ、あっしとしたことが!」と大きな声を出した。
「ランプの真下は暗いってのは、このことだねえ!」
クジュケもハッとしたように、「おお、そうですね!」と頷いた。
「王宮の下の地下広場に小屋を建て、そこに隠れて住んでもらえば」
ウルスラが悲鳴のような声を上げた。
「やめて! いくら何でも酷すぎるわ!」
スルージも慌てて手をバタバタさせた。
「待ってくだせえ! あっしが言ったのは、ものの譬えでさあ。厳重に秘密が守られ、乳母や医師の代わりが務まる者が大勢居る場所を、コロッと忘れてたってこってす!」
ウルスラもホッとしたように笑顔になった。
「わかったわ! 霊癒族の隠れ里ね!」
「へえ。受け入れてもらえるかどうか、まだわかりやせんが、取り敢えず、エマさまに掛け合ってみやす!」
漸く落ち着き先が決まりそうなゲルカッツェらとは逆に、宙ぶらりんの状態で待たされている者がいた。
皇帝への即位を準備中のコパ将軍である。
「どうしても城を貸すのは嫌だと言っておるのか?」
コパが訊き返した相手は、魔女ドーラである。
緩衝地帯の野原でコパを即位させる訳にもいかず、こちらに味方する方面将軍のうち、一番立派な城を持っているヒューイと交渉し、戻って来たところであった。
ドーラは苦い顔で、フンと鼻を鳴らした。
「ヒューイめ、わたしか兄ならばともかく、コパに自分の城を使わせるくらいなら、同盟を破棄するとほざきおった! 田舎貴族め!」
その誹謗は、ヒューイから格下呼ばわりされたコパにも当て嵌まるのだが、寧ろ、その場に同席しているチャドスが顔を顰めた。
チャドス自身、母国ではそのような扱いであったのであろう。
不機嫌そのものの声で、口を挟んだ。
「内輪揉めなどしている場合ではないぞ、ドーラ。一刻も早くコパさまにご即位していただかねば、ゲーリッヒの体制が固まってしまう。もうここでよい。それらしき祭壇を設えて、祖霊の前で誓うという体にすればよいではないか?」
「それでは駄目だ!」
大声で拒否したのはドーラではなく、コパであった。
貧相な顔に生やした顎髭を震わせ、裏返った声で叫んだ。
「最初からそんなことでは、ヒューイだけでなく、ゴンザレスやザネンコフにも舐められる! 朕は皇帝であるぞ! 五万の兵でヒューイの城を囲み、明け渡しを迫るのだ!」
体制を固めているだろうと評されたゲーリッヒの方も、内実は一枚岩とは言い難かった。
ゲーリッヒは昼間から葡萄酒を飲みながら、お気に入りのタンチェンから報告を聞いているところであった。
身なりこそ皇帝の正装であるが、相変わらず口汚い言葉遣いである。
「ほう。チャドスの糞野郎がマインドルフのおっさんの館に入ったって?」
「はっ。会話の内容までは聞き取れませんでしたが、あのお姿は見間違えようもございません」
ゲーリッヒは舌打ちした。
「マインドルフめ、そんなこと一言もいわなかったぜ。やっぱり腹黒いやつだ。まあ、最初からわかっちゃいるがな。で、チャドスはどうしてる?」
「その後、コパ将軍の許に戻り、魔女ドーラと合流した模様です」
ゲーリッヒは杯に入っている葡萄酒を一気に呷った。
「面白くねえ! 結局、悪い仲間は自然に連むってことだな。うーん、これでマインドルフまで向こうに付いたら、マジで勝ち目がねえぞ。おお、そういえば、太っちょゲルカッツェの行方はまだわからねえのか?」
「申し訳ございません!」
「まあ、それは仕方ねえ。あいつには軍勢は付いてねえからな。おれの直属軍はやっとこさ三万を超えたが、実質はツァラトが仕切ってる。ツァラトは裏切らないだろうが、妙な正義感がうざったい。ゲルヌもカールも戻って来ねえし。ったく、結局のところ、無条件で信頼できるのはおめえだけだぜ、タンチェン」
タンチェンは黒い鍔広の帽子を脱ぎ、感激に真っ赤になった顔で礼を述べた。
「有難き幸せに存じまする! なれど、陛下のご心痛を思うと、この胸が張り裂けそうです。わたくしにできることがございましたら、何なりとお申し付けください。強力な援軍の当てもございますれば」
「援軍?」
酔眼朦朧として聞き返すゲーリッヒに、タンチェンは無邪気に答えた。
「はい。陛下から要請があれば、最大二十万の援軍を差し向けてもよいと、わたくしの母国マオールから連絡がございました!」