781 ガルマニア帝国の興亡(23)
クジュケにとっては、わからないことだらけであった。
何故レウス王子は在り得ない高熱を発することができたのか、何故ウルスラ王女やウルス王子は赤ん坊のレウスと会話ができるのか、何故そのレウスは自分に弟ができたとわかったのか。
しかし、赤ん坊に聞く訳にもいかないため、母親のレナに尋ねた。
「あの、今の話は、本当でございますか?」
レナは珍しく少し頬を染めて、「多分」と答えた。
「でもまだ、そうかな、というぐらいよ。どうしてレウスにそれがわかるのか、わたしにもわからないわ」
すると、そのレナの火傷した手を冷やしていたウルスが、再び白い息を止めて話した。
「聞こえないぐらい小さな心臓の音がするんだって。後で、ウルスラ姉さんが詳しく説明するって言ってる。でも今は、先に火傷を何とかしなきゃ。もう少し待っててね」
ウルスはそれから暫く冷やし続け、表面が冷えたところでウルスラに交代し、癒しに切り替えた。
「もう大丈夫だと思うわ。まだレウスは寝てるから、レナさんも今のうちに少し休んだら?」
レナは素直に「そうするわ」と告げると、自分の寝台に横になった。
その間に着替えてきたゲルカッツェが、ウルスラの手を取って「ありがとう。本当にありがとう」と涙を流した。
「みんな忙しいのにごめんね。後は、ぼくがついてるから」
ウルスラも、すっかり親戚のような口調で告げた。
「何かあったら、遠慮しないですぐに呼んでね」
別室に移り、ウルスラがクジュケに説明をしようとしているところへ、シャンロウが「お客さまを連れて来ただよ」と、扉の外から声を掛けた。
クジュケが、「そういう場合は、今いいのか、ちゃんと聞いてからですよ」と窘めようとした時にはシャンロウはもうおらず、その相手だけがスルリと部屋に入って来た。
「すいやせん。あっしが強引に頼んだんでさあ」
モジャモジャの髪をかきながら笑っているのは、魔道屋スルージであった。
スルージが苦手なクジュケは、露骨に顔を顰めた。
「後にしてください。今、ちょっと、その、立て込んでるんです」
だが、スルージは引き下がらず、逆に「あっしもその件でやんす」と続けた。
「シャンロウさんとラミアンさんから、あらましお聞きいたしやした。いやあ、大変でござんしたねえ」
クジュケは小さく舌打ちした。
「ったく、あいつらは。今度みっちり秘書官の守秘義務を教えねば。で、どうしてあなたがこの件に絡むんですか?」
「実は、魔道師カールさんのご依頼でね。先日ここに立ち寄った際、十日の期限を切られたそうで、ご本人は焦ってるんでやんすが、何しろまだ怪我が治ってないからって、担当の先生に叱られちまってね」
「担当の先生?」
そう尋ねたのはクジュケではなく、ウルスラであった。
スルージは、ちょっとお道化たように大袈裟なお辞儀をした。
「おお、これはご挨拶が遅れました王女殿下。うーん、まあ、殿下には言っちまってもいいでしょう。どこという場所は業務上の秘密なんでやんすが、ヒーリングを得意とする霊癒族の隠れ里というものがございやして」
「まあ、サナト族の。と、いうことは」
「へえ。お察しのとおり、ニノフ殿下やピリカさんのお母さまがいらしたところです。っていうか、その先生ってのがお祖母さまでね」
スルージは、カールから聞いた暁の女神での出来事をざっと話した。
すっかり同情し、涙ぐんでいるウルスラの代わりに、クジュケが「どちらにせよ、エオスは駄目です」と冷たく言った。
「エオスとバロードは、謂わば一心同体。どちらがゲルカッツェさまを匿っても、ゲーリッヒさまには同じこと。開戦の口実を与えることに変わりはありませんよ」
スルージは肩を竦めた。
「まあ、今すぐにバロードと事を構えるような余裕は、ゲーリッヒさまにもねえでしょうが、エオスじゃ意味がねえことはあっしもわかります。で、聖地シンガリアへ飛びました」
スルージは教主サンサルスの返事を伝えた。
サンサルスの曽孫に当たるクジュケは、「うーん」と唸った。
「曾祖父さまらしいお考えですねえ。が、一般庶民になれって言っても、あの方たちにそれは無理でしょうねえ」
渋い顔でそう評するクジュケに、ウルスラが、「そうでもないと思うわ」と反論した。
「だって、新しい赤ちゃんが生まれるのよ」
クジュケは、ハッとしたように頷いた。
「おお、そのことそのこと。それを聞くはずが、スルージのせいで余計な回り道をしました。お教えください。どうして、それがわかったのです?」
余計な回り道と言われたスルージは何か言いたげであったが、ウルスラに譲って自分は黙った。
どう言えばいいのかしら?
わたしにも上手く説明はできないんだけど、レウスとレイチェルを初めて見た時から、何となく気持ちが通じるような気がしたの。
この感覚は、同じ身体のウルスとも違うし、サンジェルマヌスさまがお与えくだすった『識閾下の回廊』でゾイアやタロスと意思疎通したのとも違う、独特なものよ。
ああ、そうだわ。
昔の本で読んだことがあるけど、妖精族の中には、他人の心が読めたり、自分の考えを直接他人の心に伝えたりできる者がいるって。
そうね、クジュケの言うとおり、極稀にね。
レウスたちの母親であるレナさんは、母方がアールヴ族の血筋らしいけど、勿論レナさん自身にはそういう力はないわ。
ただ、レナさんの属するシトラ族は、抑々過去にわたしのお祖父さま、つまり、アルゴドラス聖王が北方に居た時の子孫よ。
それが、アルゴドラス聖王の直接の子供である父カルスと出会って複雑に反応し、レウスとレイチェルが生まれたんじゃないかしら。
レイチェルの理気力はわたし以上だし、ウルスが唯一使える冷気の魔道の正反対の技をレウスが使えるのも、そういうことだろうと思うの。
で、その心で直接話す力で、レウスがわたしに教えてくれたわ。
レナさんに新しい生命が宿り、それが弟だって。
わたしは、今更ながら、それが弟で良かったと気づいた。
もし、妹なら、焼きもちを焼いたのは、レイチェルだったはずだもの。
あら、ごめんなさい。
今、どうするかを考えないとね。
レウスがコッソリ教えてくれたけど、レナさんは迷ってるわ。
バロードやガルマニア帝国を自分たちのものにしようという野心が、ぐらついているって。
新しい子供を無事に産み、ちゃんと育てたいという気持ちに傾いてるそうよ。
でも、わたしも暮らしたことがあるけれど、シンガリアは、ちょっと難しいんじゃないかしら?
山地だし、寒いし、食事も質素で、修行の場だから日常の規範も厳しいわ。
レナさんは平気かもしれないけど、ゲルカッツェさまは無理ね。
だから、いっそこのまま……
「駄目です!」
そう叫んだのは、無論、クジュケであった。