779 ガルマニア帝国の興亡(21)
「猊下、ちょっくらあっしの話を聞いていただいても、よござんすか?」
サンサルスの顔に、ホッとしたような笑みが浮かんだ。
「どうぞ、お入りなさい、スルージ」
扉が少し開いてモジャモジャの髪が覗き、「失礼しやす」という言葉と共に、スルリと魔道屋スルージが入って来た。
が、中にヨルム青年が居るのが目に入ると、しまった、という顔をした。
それに気づいたヨルムが、皮肉混じりに尋ねた。
「わたくしは外しましょうか?」
スルージは慌てて、「あ、いえ、それは、大丈夫でやんす」と手をバタバタさせた。
「いずれにせよ、ヨルムの旦那にも聞いていただかないといけねえんで。ただ、旦那は絶対反対なさると思いやしてね」
ヨルムはムッとした顔になった。
「わたくしに反対されるのを見越して、先に猊下の言質を取ろうとしたのですね?」
返答に窮するスルージに、サンサルスが助け舟を出した。
「急ぎの用件でしょう。取り敢えず聞かせてくださいな」
「へい。急ぐってこともありますが、機密を要することでしてね。本当なら、直接お部屋の中に跳躍したかったくれえでさあ。あ、すいやせん。前置きはこれくらいにしやす」
ええと、ガルマニアの状況は、どの程度ご存知です?
そうです、そうです。
帝都ゲオグスト付近は完全にゲーリッヒさまの勢力下に入り、内外にも新皇帝即位を宣伝してやすね。
しかし、国内はまだガタガタして纏まりきれていない上に、例のギルマン争奪戦から帰還する予定の五万の兵が、途中で止まったまんまなんでやんす。
噂じゃ、ゲオグストから逃げた宰相チャドスらが、皇帝の従兄であるコパ将軍を担ぎ上げ、帝国奪還を旗印に挙兵を企ててる、とか。
ところで、この国家の非常事態の中、全く忘れ去られた重要人物がいるんでさ。
へえ、そうでやんす。
現皇帝のゲルカッツェさまです。
ゲーリッヒさまが新皇帝を宣言したといっても、別にゲルカッツェさまは退位された訳じゃありやせん。
事実上、現在二人の皇帝がいるってこってす。
ここに、コパ将軍まで即位を宣言したら三人になっちまいますし、第四、第五の皇帝だって出て来て、大混戦になるかもしれねえですねえ。
が、まあ、それは置いといて。
現在忘れられているゲルカッツェさまなんですが、実は、ここだけの話、バロードにおられやす。
王都バロンの王宮の中でさあ。
はい。まだどこにも知られてねえはずです。
尤も、知られるのは、時間の問題でしょうね。
ゲルカッツェさま本人はともかく、一緒にいるレナさまは、大人しく隠れているような女、あ、失礼、女性じゃありやせん。
なんといっても、バロードの前国王の愛人で、形だけは新国王に即位したレウス王子の母親です。
未だにバロードは自分の国だと思ってて、このまま放っておけば、勝手に兵を募り、ガルマニアまで攻め込むつもりでやんす。
そんなことされた日にゃ、否応なくバロードも引き摺り出され、全中原を巻き込んだ大戦争になっちまいやす。
で、そうさせないためには、少なくともガルマニアが落ち着くまで、静かに過ごしていただく避難所が必要になりまさあ。
実際、バロードの統領となったクジュケの旦那からは、十日以内に国外に退去するように言われてますしね。
そこで、お願いでやんす。
せめて一年、もし、よければそれ以上、この聖地シンガリアに、ゲルカッツェさま、レナさま、レウス王子のお三方を、匿っていただけやせんか?
「お断りします」
静かにそう告げたのは、ヨルム、ではなく、サンサルスの方であった。
スルージだけでなく、ヨルムも驚いてサンサルスのこの世の者とも思えぬ美しい顔を見ている。
サンサルスは、二人の動揺が静まるのを待って、説明した。
お気の毒だとは、思います。
ですが、わたしにも、教団の兄弟姉妹たちへの責任があります。
ゲルカッツェさまを受け入れるということは、ゲーリッヒさまのガルマニア帝国に宣戦布告することと同じです。
確かにこれまでも、ガルマニア帝国とは何度も小競り合いがありました。
しかし、一旦ゲルカッツェさまを受け入れてしまえば、途中で引き渡すことなどできませんから、全面戦争を覚悟しなければなりません。
わたしには、兄弟姉妹にそれ程の犠牲を強いる権利はありません。
それともう一つ。
実は今日、わたしの弟子ファーンとなっているタンファンが、追って来た東方魔道師六名を返り討ちにしました。
一人討ち漏らしたそうですが、聞いた風体からみて、チャロア団長でしょう。
と、なれば、宰相チャドスの配下です。
当然、第二波、第三波の刺客を送り込んで来るでしょうし、その際、ゲルカッツェさまにも危害が及ぶやもしれません。
まあ、現在、チャドスとゲルカッツェさまが友好関係にあるとは思えませんからね。
いずれにせよ、わが教団でゲルカッツェさまをお預かりすることはできません。
サンサルスの突き放したような言い方に、スルージは勿論、自分も反対するつもりであったヨルムでさえ、言葉を失っている。
と、サンサルスがフッと笑った。
「二人とも、そんな顔をしないでください。わたしだって、時には非情な判断を下しますよ。但し、今の話は、皇帝であったり、前国王夫人であったり、王子であったりする人たちの場合です。相手が行き場のない庶民なら、話は別です」
「え?」
「はあ?」
ヨルムとスルージが、ほぼ同時に声を上げたのを見て、サンサルスは更に笑った。
「かれらが帝位や王位を捨て、本当に一般人として生きるつもりなら、なんでわたしが受け入れを拒めましょう? そんなことをしたら、プシュケー教団は終わりです。ですから、スルージ、戻ったら伝えてください。今後、普通の庶民として生きるお覚悟がおありなら、いつでも聖地シンガリアにお出でください、と」
スルージは、モジャモジャの髪に両手の指を突っ込んで、呻くように呟いた。
「そいつぁ、ガルマニア帝国と戦争するのと同じくらい、いや、それ以上に難しい宿題でやんすねえ」